小学生のころ、作家の山田詠美さんは教師を「良い先生」と「悪い先生」に分けていたそうだ。子どもは大人と同じように悩み苦しみ、大人以上に羞恥心(しゅうちしん)を持っている。そのことを知っているのが良い先生だったと随筆に書いている。
教師ではないけれど、この人たちはどちらだろう。福島県の子らが東京で、政府の担当者らに思いを伝えた。素朴で切実な訴えへの答えは、「最大限努力したい」といった紋切り型が目立ったそうだ。
会合の後にある子が言った「何で大人なのにちゃんと質問を聞いていないの?」は大人にとって痛烈だ。「何さいまで生きられますか?」「菅そうり大臣へ 原発全部止めてほしいです」。来られなかった子の手紙にも、「子どもながらに」という形容を許さぬ悩み、苦しみ、疑問が詰まっていた。
福島では、検査をした子の45%に甲状腺の被曝(ひばく)が確認されたという。専門家は「問題となる値ではない」と説くが、そうであっても心の重荷はつきまとう。事故以来、この手の言葉の信頼性は暴落している。
「身体髪膚(しんたいはっぷ)これを父母に受く、あえて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり」と言う。古めかしいが、親にもらった体を大事にしなさいとの教えだ。国策の果ての放射能で損なうようなことがあっては、ご先祖も泣こう。
英詩人ワーズワースに「子供は大人の父なり」という一節があった。俗にまみれず神に近いからだが、打算や保身でがんじがらめの大人には耳が痛い。父から教わる必要が、ありはしないか。(2011年8月19日朝日新聞天声人語)