教育基本法に基づく我が国初の「教育振興基本計画」(平成20年7月1日閣議決定)については、これまでこの日記でも策定に至るプロセス等について、特に文部科学省と財務省の攻防を中心に何度かご紹介してきました。
教育施策の推進には財政の裏付けが不可欠なこと、しかし現下の我が国の財政事情はそれを許す体力に欠けていること、したがって私達教育関係者は、国民に十分な説明を行い理解を求めるとともに、財政の番人である財務省を打ち負かす戦略を十分に練った上で、財源獲得のための行動を起こす必要があることなど、いろいろな反省の上に学ぶことも多々あったのではないかと思います。
今後、私達教育関係者は、社会の皆様とともに、この閣議決定の内容を責任を持って着実に実行し、我が国の未来を切り拓いて行かなければならないと考えています。
さて、今日は、広島大学高等教育研究開発センター長の山本眞一氏が書かれた「教育振興基本計画の策定」(文部科学教育通信 No201 2008.8.11)の抜粋をご紹介します。
数値目標は入れられず
数値目標が基本計画に取り入れられることに対する期待は非常に大きかったが、今回策定の基本計画には教育予算や教員定数などの数値目標は、財務省などの反対にあって盛り込むことができなかった。本来そこで勝負がついていたであろう4月の中教審答申後、文科省が巻き返しを図り、教育界の要望をバックに財務省と闘う姿勢を示すとともに中教審委員の中から積極的な発言もあって、何かが起きるのではないかという期待感もあったが、結局このような結果に終わったことは残念である。新聞報道では「文科省の完敗(自民党文教族)」などの記述も散見される。しかし、このことについて誰も責任を取っていないところからみて、おそらく勝負はこれからだと文科省では判断しているのであろう。
今回の一連の動きの中から感じるのは、何と言っても財政の壁の厚さである。文科省は世論や中教審そして政治の力を総動員して、数値目標の盛り込みに努力したものと思うが、財務省そして総務省の反対はそれ以上に強かった。財務省がパワフルであることはつとに知られた事実であるが、それはやはりカネを握る官庁の強みというものであろうか。教育振興についての考え方について、財務省と文科省との間で論争があったようだが、どちらも100%相手を論破するだけの論拠の乏しい中で、結局は財政の論理つまり緊縮財政の方針に押し切られた感じがする。
また財政の壁は、資源配分の縦割りによる弊害や社会保障その他今後財政的に負担が増していく他分野との競合という問題とも関係する。今回の経験から教育予算については、限られた財源の中で、国家・国民のために最適な財政配分とは何かという観点から改めて考え直さなければならないと思うが、現実の財政配分は、各省庁と業界そして政治家がスクラムを組む中での、いわば「分捕り」競争の中で行われているわけであるから、われわれは科学的・客観的な意味での教育財政の在り方を考えるとともに、いかにして教育界の要望を教育財政に結びつけるかという政治の問題にも、その強さを発揮できるように意を用いなければならないのである。
出揃った高等教育施策のメニュー
以上のような問題があるとはいえ、しかし、教育振興基本計画の策定は今後のわが国の教育政策を基本的に方向付けるものであり、決してその意味は軽くない。そういう観点でこの基本計画を眺めてみよう。基本計画の中身の多くは、例によって初等中等教育の振興方策に割かれているが、高等教育についてもいくつか重要な方策が書かれている。
第一に、今後十年間を通じて目指すべき教育の姿として、「社会を支え、発展させるとともに、国際社会をリードする人材を育てる」としている点である。それには2つの方向性があって、一つには「世界最高水準の教育研究拠点形成や大学等の国際化を通じ、我が国の国際競争力の強化に資する」ことがあり、二つには「個性や能力に応じ、希望するすべての人が、生涯にわたりいつでも必要な教育の機会を得ることができる環境を整備する」ことである。つまり、優れた教育研究をさらに伸ばすことと、裾野を充実させて生涯学習社会に備えることの両面を睨んだ認識がここには示されている。また、いずれにおいても、教育の質の向上の重要性が指摘されている。
第二に、今後5年間に総合的かつ計画的に取り組むべき施策の基本方向が4つあるうちの一つに「教養と専門性を備えた知性豊かな人間を養成し、社会の発展を支える」とされ、ここに当面重要な高等教育施策が列挙されている。それらは、1)社会の信頼に応える学士課程教育等を実現する、2)世界最高水準の卓越した教育研究拠点を形成するとともに、大学院教育を抜本的に強化する、3)大学等の国際化を推進する、4)国公私立大学等の連携等を通じた地域振興のための取組などの社会貢献を支援する、5)大学教育の質の向上・保証を推進する、6)大学等の教育研究を支える基盤を強化する、の6項目に整理され、このほか、別の個所で私立学校の教育研究を振興するなどの項目が立てられている。
第三に、特に重点的に取り組むべき事項として、キャリア教育・職業教育の推進と生涯を通じた学び直しの機会の提供の推進、大学等の教育力の強化と質保証、卓越した教育研究拠点の形成と大学等の国際化の推進が挙げられており、「留学生30万人計画」の実施はその最後の事項内に含まれている。
財政の裏付けが欲しい教育施策
これらの高等教育関係の施策は、すでに制度化が図られているか、あるいは中教審などで議論が行われているもので、とくに新しいものではないが、今後5年間に取り組むべき施策のメニューを改めて示すものであり、教育政策担当者のみならず、大学関係者にとっても参考とすべきものであろう。
ところで、問題はやはり教育財政との関わりである。なぜなら、すべての施策には財政の裏付けが必要だからである。財政の裏付けのない政策論議は、とかく精神論に傾きやすい。とりわけ教育の分野では、感覚的・抽象的なスローガンが横行しがちであり、その意味でも要注意である。われわれは、戦後久しく、教育というものはお金とは関係なしに進めるべきものだという観念に慣れ親しんできているし、私自身も、たとえば国立大学は汚い施設だから国立大学らしいのであって、きれいにリニューアルされた建物はどこかの私学のようだという感想をついつい持ってしまいがちである。その点は個人的にも大いに反省をしなければならないと思う。
しかし、それにも増して注意を要するのは、国の教育施策と財政との関わりである。今回の基本計画の終わりの部分には「教育に対する財政措置とその重点的・効率的な運用」として、「限られた予算を最大限有効に活用する観点から、施策の選択と集中的実施を行うとともに、コスト縮減に取り組み、効果的な施策の実施を図る」とし、さらに4月の中教審答申にはなかった「新たな施策を講じるに当たっては既存施策の廃止・見直しを徹底することが必要である」という記述が盛り込まれていることから、背後に財務省の大きな圧力を感じざるを得ないのである。今後の教育施策の実施には、ぜひとも財政問題の抜本的改善を願わずにはいられない。