2016年5月10日火曜日

人の役に立つということ-熊本地震・災害ボランティアに参加して

GW連休中の5月5日(木曜日)に、熊本県の西原村というところに、妻とともに、災害ボランテイアに行ってきました。

ずいぶん昔になりますが、転勤で熊本に住んでいたことがあり、熊本の皆さんには大変お世話になりました。ご恩返しに少しでも何かお役に立てることはないかと思い、今回、「日本九援隊」というNPO法人の企画に参加しました。

この企画は、「日本九援隊」が、熊本地震災害ボランティア用の大型バスをチャーターし、希望者が応募・便乗して被災地に向かうものです。

被災地では、「日本九援隊」のスタッフ、参加者のうち経験豊富なリーダー、地元自治体等の皆さんによる調整・指示の下、ボランティア経験に合わせた内容の作業を行います。

私は、全くの素人でしたので、内心不安でしたが、参加された方々の心温まるご協力によりなんとか無事に一連の作業を完了することができました。

1 準備は怠らず

目的地は、熊本県阿蘇郡西原村。最も被害の大きかった益城町の隣にある地区でした。

主なスケジュールは、
06:00 JR博多駅前出発
06:30 JR大野城駅前出発(九州道太宰府IC~熊本IC)
09:00 西原村災害ボランティアセンター到着
09:30 活動開始(途中、昼食時間を含め適宜休憩)
16:00 活動終了、西原村災害ボランティアセンター出発(九州道熊本IC~太宰府IC)
18:00 JR大野城駅前到着
19:00 JR博多駅前到着

まず、出発前に、近くの社会福祉協議会に行って、ボランティア活動保険に入りました(¥650)。

バス(チャーター代は参加者全員による割勘、今回は¥3000)の中で、NPO法人の方から、ボランティア(作業)に当たっての心構え、被災者の方々への配慮事項、各自の準備状況等についての丁寧な説明・確認がありました。予備知識のない(無謀な)初心者の私にとってはとても役立つ情報でした(正直なところ助かりました)。

聞くところによると、各自が常備することが望ましいものとしては、1)ヘルメット、2)作業手袋(ガラスの破片を扱うので革製)、3)安全靴があります(必須ではなく、服装に合わせた作業をすれば可)。私の場合、ヘルメットと作業手袋は、現地でお借りしました。安全靴は、自分の登山靴で代用しました。

また、車中で、ガムテープと太字マジックが回され、自分の苗字を書いて、腕又は胸に張りました。



2 いざ現地へ

バスを降り、まずは、現地の集合場所(体育館が避難所にもなっている西原中学校)へ向かいました。そこで、作業対象や内容がチームごとに違うので、ボランティア経験に合わせた10人ほどのチーム(当日は4チーム)に編成され、それぞれのチームのリーダーとサブリーダーが指名されました。



私たちのチームの担当は、「危険」の”赤紙”が張られている2つの民家のがれきの片づけと運搬でした。”赤紙”とは被害を受けた建物の倒壊危険性を調べる「応急危険度判定」の結果で、当時3割近くが立ち入り「危険」と判定(住民が2次被害に遭わないよう注意を促すための応急措置で、全半壊などの被害認定の調査とは別)されていました。

Yahooニュースから引用

担当する作業場所へ向かう途中の田園風景は、今の季節を反映して若葉一色の素晴らしいの景色でした。しかし、一転、点在する家屋は見るも無残な状況でした。テレビや新聞で見るのと自分自身の目で見るのとでは全く異なる地獄絵図です。

徒歩で数分後、作業場所に到着しました。既に家の中では、家族の皆さん総出で、部屋に散乱した家具や食器の片づけ、ごみ捨て場への運び出しを行っていました。軽トラックに載せては運び、再び戻って同じ作業の繰り返しです。残念ながら、”赤紙”の張られた建物の中では、安全確保のため、私たちボランティアはお手伝いをすることができません

私たちは、まず、ご家族に作業を開始する挨拶をして、建物周辺に散乱したがれきの整理を始めました。整理とは、屋根から落ちたかわら、倒壊した窓など飛散したガラス、ブロック塀などのコンクリート、その他の大きく4つに分類することです。混ざりあったがれきの中から4種類に分類し、それぞれを運搬用の袋に詰めていきます

当日の最高気温は26度ほどでしたが、ヘルメットやけがを防止するための長袖・長ズボン、登山靴を着用しているため、30分もすると、頭から顔にかけて水のような汗がボトボトと流れてきます。休憩時間にはペットボトルの水をがぶのみしました。

現地では、まだ水道が復旧していないため、トイレが使えませんでした。チームを編成した西原中学校か、対策本部のある役場まで徒歩で戻るしかありません。女性の方は大変だったと思います。

ようやくお昼の休憩がやってきました。持参したおにぎりをぱくつき、残りの時間は、ひたすらじっと体を休めました。暑さや疲労のせいか、思いのほか体力を消耗していたからです。

滞在時間も少なくなったところで、2つめの建物に作業場所を移動しました。先発隊がいたものの、一つ一つの家屋が大きい(立派なお家の)ため、落下して破損した屋根瓦も多く、予想以上に作業に時間がかかりました。


NPO法人「日本九援隊」がチャーターした大型バス



私たちのチームががれきの撤去を担当した民家屋(1番目)



上記家屋の裏手にもがれきが散乱



隣家の間の擁壁が崩壊



がれきを分類し袋詰め



最終的には、家の周りにこの数倍の袋が山積みに



がれきの撤去を担当した民家屋(二番目)



壊滅的な隣家は未だ手つかず状態



上記家屋の裏手



ブロック塀が全面倒壊



押しつぶされた家屋



壁が崩落した家屋



1階部分が潰れて見えない状態



家屋の土台が崩落



そこらじゅうの家屋がこのような状態



屋外で生活している家の台所か


時間も無制限ではありません。とうとう帰路につかなければならない時間が来てしまいました。がれきの袋詰めは概ね終わったものの、それらをごみ捨て場に運ぶトラックに移す作業を行うことは残念ながらできませんでした

ボランティアの皆さんは、最後までやり遂げられななかったことに虚しさやくやしさを感じているようでしたが、被災者のご家族に作業終了のご挨拶をした際に、おばあちゃんから”ありがとう”の感謝の言葉をいただいたことで、ようやく少し満足な表情に変わりました。

一連の作業を終了し、分散していた各チームが汗みどろになって集合場所の西原中学校に戻ってきました。一堂に会して、それぞれの今日の作業内容と結果の報告が行われました。作業がスムーズに進まなかったこと、その原因、そして今後どうすべきか、最後に、参加したボランティアの安全を確認し、互いの健闘を称えあって、帰りのバスに乗り込みました。


自衛隊により避難所(西原中学校)の裏手に設営されたお風呂


3 ボランティアを経験して感じたこと

私にとって初めての災害ボランティア経験でしたが、いろんなことを勉強させていただいたような気がします。

まずは、「復旧支援の地域間格差」についてです。

今回伺ったのは、熊本県阿蘇郡西原村という、熊本市内に比べ、一人暮らし又は夫婦二人暮らしの高齢者が多い地区です。

”赤紙”の張られた家屋内では、ボランティアは作業を行うことができないことになっているため、高齢者の多い地区での今後の復旧の遅れが懸念されます。

また、聞くところによると、交通網が遮断されている南阿蘇地区では、ボランティアによる復旧支援が未だ手つかずの状態とのこと。

報道によれば、連休中、熊本市内では、ボランティアの受付を中止するほどの申し込みがあったようですが、連休明けのこれからは、このような地域では、ますます人手不足に見舞われることが予想されます。

次に、「被災した子どもたちの心のケア」の問題があります。

避難所となっている西原中学校の校庭の片隅で一人の女の子が遊んでいました。気になって声をかけてみると小学校3年生でした。”自宅がつぶれて、体育館に寝ている”とぽつりと答えました。

思えば、この震災は4月に新学期が始まったばかりのできごとでした。友だちまで失った多くの子どもたちが避難所に孤立している現実。同世代の子どもを持つ親としていたたまれなくなりました。

妻が、持参してきたお古の絵本を女の子に手渡していました。”水や食糧などの生活必需品ではないけれど、本に救われる時があるかもしれない”。そう考えて、自宅から持ってきた絵本でした。女の子は喜んで避難所にいる家族のもとに戻っていきました。

もし、保存する必要のなくなった本がある方は避難所に送ってあげてはいかがでしょうか。学校宛でもいいかもしれません。学校教育にしかできない、あるいは子ども同士でなければできない心のケアというものもあると思います。皆が自分や自分の周りいる子どもと重ね合わせて考えてみれば何かできることがあるかもしれません。

このように、地元自治体等、行政だけの力では乗り越えることができない壁が目の前に立ちはだかっており、”できる人が、できるときに、できることをやる息の長い、そして計画的・効率的な復旧・復興支援”が必要だと感じました。

次に、「これからのボランティア」についてです。

素人の私が、割とすんなり災害ボランティアに参加できたのは、一緒に参加した妻の勧めもありますが、なんといってもNPO法人の存在があります。

個人で被災地に乗り込んでいくには、それなりの勇気と準備が必要ですが、今回、最小限の装備と食糧と水(簡単に言えば登山やハイキングの準備)だけで参加しやすくしてくれたのは、NPO法人の企画のおかげだと思います。

移動手段のバスは、NPO法人がチャーターし、道中で希望者をピックアップしてくれるしくみでした。また、現地で必要な資材(スコップ、竹ぼうき、一輪車、がれきを入れる袋など)や、作業場所・内容の調整・手配は、すべて、NPO法人又はNPO法人と連携した現地の行政が準備してくれました。

そして、重要だと思ったのは、いろんな意味で目配りや指示のできる経験豊富なリーダーの存在です。災害ボランティア経験の有無、社会人・学生など多様なバックグラウンドを持つ大勢の人を束ね一つの目的を達成することができる能力は、これまで培ってきた経験から生まれてくるものだと思います。

最後に、「是非とも若い方や学生に災害ボランティアを経験していただきたい」ということ。

今回、見ず知らずの方々との即席のチームを組みました。博多駅(福岡県)発のバスでしたので、近隣県の参加者だと思いきや、わざわざ東京都、神奈川県など遠方から空路かけつけた方々もおられ、頭の下がる思いでした。

最初はたどたどしい雰囲気ではありましたが、協働していく中で、次第に会話が生まれ、作業が終わるころには、一つの達成感を共有する友人になっていました。年齢も性別も出身地も無関係に、一人の人間として

こういったポジティブに生きる意志を持つ方々の中に身を置く経験をすることは、職場や学校で学ぶものとは異なる、ある意味ではそれ以上の価値ある学びができるのではないか、また、自分の人生にとって得難い経験をすることができるのではないかと思います。

さらに、被災者(大人と子どもたち)、被災自治体、自衛隊など支援者の方々との会話・交流を通じて、耐えるということ、自立するということ、強く生きるということ、そして命の大切さなど、人として必要な力とは何かを考えるよい契機になるかもしれません。

連休も明け、これからボランティアの減少が予想されています。今後、職場や大学としても、物資の提供以外の復旧・復興に向けた支援について検討されることもあるでしょう。

熊本では未だ余震が続いており、かわらの落下、ガラスの飛散など二次災害の危険性があります。また、気温の高い季節に入りますので、熱中症にも十分な備えが必要です。そして、日帰りであっても、移動と作業の連続で、体力も消耗します。

私の場合、お世話になった熊本に少しでも恩返しできるよう、年甲斐もなく精一杯がんばりましたが、要領を得なかったためか、帰宅後は疲労困憊で足腰が思うように動きませんでした。以後十分気をつけたいと思っています。

国立大学の教職員場合、ほとんどの大学に「ボランティア休暇制度」が整備されていると思います。制度を持つことで満足するのではなく、”実際に活用すること”、そのために、”運用しやすい職場の文化を醸成すること”が必要ですね。


ともにがんばりましょう! 西原村のみなさん!
(追記)5月12日付朝日新聞に上記メッセージが紹介されていました。記事によると「熊本県西原村の緒方登志一さん(60)が、「取り壊すなら、再起を誓ってから」と、被害を受けた自宅の壁に「がんばるぞ」とメッセージを書いたところ、ボランティアや地元消防・警察にも感謝を伝えたいと次女の晶さん(25)が「ありがとう」と書き加えた」そうです。


自然豊かな阿蘇を有する熊本には、時折家族で旅行してきました。

以下の写真は、5年前に撮影した南阿蘇鉄道の風景です。

一日も早く、再びこのような景色を見ることができる日がくることを、心からお祈りしています。






(西原村関連動画)

 

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