2018年7月12日木曜日

記事紹介|教育や研究は経済成長のためか

今年も「経済財政運営と改革の基本方針」、いわゆる「骨太の方針」が閣議決定された。骨太の方針は経済運営にとどまらず、予算編成を含む財政運営全般の基本方針でもあるので、各府省の重要な政策、施策を対象としたものになっている。中でも、教育、科学技術・イノベーション、文化芸術、スポーツと、文部科学省の担当する政策、施策が多く取り上げられている。政府の重要な方針において文科省の関係が大きな部分を占めていることは肯定的に受け止めてよいと思われるが、気になることもある。

というのは、骨太の方針2018は副題を「少子高齢化の克服による持続的な成長経路の実現」としており、昨年までと同様経済成長をいかにして実現するかが中心的なテーマとなっている。そのため、経済成長を達成するためには各政策分野において何をすべきかということが主要な観点になっている。言うまでもなく、文科省の担当する政策は経済成長のためだけに行っているものではないので、そのような特定の観点からの施策を強力に進めながら、政策全体を適切に進めていけるかどうかが問われることになる。

例えぱ、経済成長のためにはどのような教育を行えばよいかという問題設定をすると、どのような能力を有する労働力を、どの程度の量供給する必要があるか、そのための教育を効率的に実施するためにはどうすればよいかという思考回路になるのではないか。そのようなアプローチから導かれる施策は、教育基本法に定められている人格の完成、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた国民の育成といった教育本来の目的を逹成するのに必要となる幅広い施策の一部分を強調したものになるだろう。

研究、あるいは科学技術についても、経済成長を強調したアプローチが中心になると、経済・産業の面の寄与が重視される一方、経済・産業の面での寄与はあまりないものの知的・文化的な価値や社会的・公共的な価値を国民にもたらすことが期待される取組みが軽視されたり、縮小されたりするりスクがあることをいつも意識しておく必要があるだろう。

現代日本のように経済成長を第一に考える社会は、進歩あるいは成長を求め続けてきた近代化の歴史の一つの到達点と言えるだろう。経済成長をどのように実現するかということに貢献するだけでなく、このような社会のあり方そのものについて歴史的、哲学的な観点を含めて掘り下げてみることも、大学人、特に人文社会科学の専門家の役割ではないか。