2010年12月1日水曜日

夢に向かって走り続ける

先日、ある大学で建築家安藤忠雄氏の講義を聴く機会に恵まれた。立ち見と通路まで座席となる超満員の盛況であった。「夢に向かって走り続ける」と題し学生・若者にエールを送る内容であったが若者のみならず会場を埋めた多くの聴衆が何かしらの力をいただいた気がしている。氏を世に知らしめた「住吉の長屋」に始まり、数々の作品を作り上げる過程で行政機関や施主とのさまざまな折衝エピソード等を交えた軽妙な語りに会場は沸き惹き込まれた。

氏の作品には通常の設計者が避けて通るような行政機関への不屈の説得と調整によって実現にこぎつけた作品が多いことを知らされ、納得するとともにそのエネルギーに改めて恐れ入った。世界的に著名になってからではない時代の作品での行動であったことに驚いたのである。

自分のため、日本のために「夢に向かって走り続ける」若者が一人でも多く育ってほしいとの熱気に最後まで溢れていた。近年、若者の引きこもり内向きが指摘されているが、この講義を聞いていて若者だけはなく様々な場に現役で働く世代にも共通に求められる言葉として響いた。

現在、官民にかかわらず既存のたて組織・システム・業務所掌にとらわれていては最良の解にたどりつかない課題がほとんどである。にも拘らず従前のフレームの中で課題を処理しようとするところに大変な限界を発生させていると映る。

縦の発想から横の発想への転換が特に成熟した組織には必要な時を迎えている。

組織の枠や垣根を越えた柔軟な発想と行動ができ組織を牽引できる人材をいかに確保してゆくかが官民ともに求められているし、その動きにブレーキをかける雰囲気があってはならないのだと強く感じる。

この原稿を書いている最中に安藤忠雄氏の文化勲章受賞の報が飛び込んできた。受賞はゴールラインではなくスタートラインと発言されていた。「夢に向かって走り続けること」「夢を持ち続ける限りいつでも青春」「外から日本を眺めること」大学での講義は、これからの時代を背負う若者世代に向けられた講義であり発せられた言葉であったが、その土壌を造ってきた責任世代であり、現在もその土壌というシステムを造っているわれわれ世代も、又元気なリタイアメント世代にとっても大切な言葉であると自省させられる。(2010年11月8日 文教ニュース 第2111号 文教ニュース社)