野球評論家の工藤公康さんが書かれたコラム「子供たちの「遠回り」 見守るだけの私」(2013年3月26日 日本経済新聞)をご紹介します。
私は厳しくしつけられて育ちました。食事をするときは正座でしたし、おはしの持ち方が少しおかしくても怒られました。5人兄弟の4番目で、小さいころは新しい服を買ってもらった記憶がありません。そのころ、子供心ながらに誓ったことがあります。「大人になって息子や娘が生まれたら、全員に分けへだてなく物を買ってあげられるような大人になろう」と。
今は2男3女に恵まれ、一番下の息子を除いた4人が高校を卒業しました。彼ら、彼女らの成長を見守ることができている今、心からの生きがいを感じています。
ただ、子育ては本当に難しい。それが実感です。成長するにしたがい子供なりの悩みや葛藤が出てきます。もちろん、私自身にもあったことで、親に相談できない悩み事もありました。
年ごろになれば友達との関係の方が大事に思えるもので、わずかなきっかけで道を外す危険性もあれば、逆に夢や目標を強く持って頑張れるようにもなります。
厳しさこそが大切。21年前、初めて長男の阿須加(あすか)を授かった時はそう思っていました。親からされたしつけを、そのまま子供にすることが「教育」。
それがあまりに一方的な押しつけであることに気付いたのは、3番目の子供である次女が4歳になったころでした。私は親からたたかれることで、悪いことは何かを教えられました。
それと同じことを次女にした時、急に心が痛くなったのです。泣きじゃくる娘を前に、これほど愛している子なのに、私は手をあげている。反省と後悔の思いがいっときに胸に流れ込んできました。なぜ私はたたいてしまったのか……。
私がプロ野球選手だったせいか、息子、娘たちも小さいころからスポーツをしています。今、プロの選手になっているのは、20歳になるゴルファーの長女・遥加(はるか)だけです。彼女がまだ小学生のころは、1年の半分も自宅に戻れず、会話の時間さえ十分に取れない状態でした。
それでもオフシーズンになって私がゴルフの練習に行くと遥加がついてきてくれました。別に大した会話をしたわけではありません。ただ、遥加は自然にゴルフがうまくなり、今、厳しい世界で自分を磨いています。彼女にも、私と同じような苦悩がこれからたくさんあるでしょう。どうか自分のことを信じて進んでいってほしい。そう願うばかりです。
21歳になった阿須加は私が1999年オフにダイエー(現ソフトバンク)から巨人に移籍してからテニスをはじめ、あっというまにのめり込んでいきました。そんな息子がテニスの強豪高校に行きたいと言い出しました。私には彼の実力がどれほどのものかわからなかったのですが、大阪の高校に入学できました。
合宿所に入ってテニス漬けの日々。そして、限界まで自分を追い込んだ結果、肩を壊しました。実家に戻った息子が肩の痛みをこらえていたのが、私にはわかりました。医師に診ていただいたところ、「もう少し続けていたらテニスができなくなっていたよ」。本人は相当ショックだったようです。
その後、再びテニスに打ち込む生活に戻ったのですが、疲労性の目まいなどで入院することになり、妻とも話し合ってつらい結論を出しました。「これ以上テニスを続けても、高校に迷惑をかける。やめるしかない」。ただ、その後、阿須加は千葉の高校に転校しプロテニスプレーヤーを目指すと強く言っていました。それが今では東京農業大学に進学しています。
きっかけは「奇跡のリンゴ」で知られる農家の木村秋則さんの講演を聴いたことでした。今は農業の流通について学ぶ一方、俳優としても一生懸命汗を流しています。
子どもたちと過ごして痛感したことがあります。それは同じ一日でも、24時間が過ぎ去る速度は子どもたちの方がずっとゆっくり流れている、ということです。失敗も成功も経験した大人は、つらい思いをさせまいという気持ちが先走り、とかくレールに乗せようとするものですが、未来を決めるのは子供本人なのです。
大人ができるのは、せいぜいアドバイス程度。もし、「何がしたいか僕にはわからない」という状態だったら、一度社会に出て、世の中を見てから人生の方向性を決めてもいいと私は思っています。
子供には「今この時」を大事にしてほしい。「やりたいこと」を見極めるには、時に遠回りをもあるはずです。でも、そのもどかしい時間が肥やしになって、初めて子供なりの「やりがい」が生まれてくるのではないでしょうか。
私は勉強ができる方ではありませんでした。家も豊かではなく、ノートも満足に買ってもらえませんでした。だから鉛筆で書いては消し、書いては消しが普通。野球をすることでしか生きていくすべがない、と思っていました。だからこそ、息子や娘には自分が本当に好きで夢中になれることを探してほしいと願うのです。
現時点でそれがないのなら、1年や2年、アルバイトをしながら世間の風に吹かれて見つければいい。世界を旅して見聞を広げてもいい。本当にやりたいことが見つかったとき、誰かの押しつけではない真の努力というものを学ぶでしょう。「やりたいこと」「なりたい自分」がないまま、ただ周りに流されて大学に進学して、それで人生が楽しかったと思えるのでしょうか?
4番目の子(3女)の話です。通っている高校の進学相談があり、私と妻と娘、それに先生2人で面談しました。
先生は「今の成績では、これから勉強を頑張ったとしてもこの辺の大学でしょう」とおっしゃる。こちらも「そうですか」となりますが、本人には入りたい大学があったのです。
長い面談の終わりがけに、私は少し話をさせてもらいました。「そのご指摘はわかります。でも私が知りたいのは娘がどうすれば変われるのか、なのです」。例えば、レベルの高い大学に入りたいのなら、まずは専門学校に進んで勉強し、それから大学進学を考えてみたらどうか、といったような言葉が欲しかった。
うちの子に限らず子供たちには驚くほどの潜在能力が眠っています。数字で輪切りにするのでなく、若者の可能性をいかに引き出していくのか。しんどい作業でしょうが、難しい時代だからこそ学校教育に求められている気がします。
工藤家は常に私中心に回っていて、子供たちには本当に苦労をかけてきました。私がチームを移籍するたびに学校も変わり、仲の良かった友達と分かれ、また最初から新しい人間関係をつくることになりました。それでも愚痴ひとつ漏らしたことがありません。
5人の子供たちに、どれだけやりたいことをやらせてあげられたのか、と考え込むこともあります。だからこそ思うのです。1回しかない人生でチャレンジしたいことがあるなら、親が一歩踏み出す勇気を与えてあげよう、と。子供の人生が後悔の少ない、充実感にあふれたものになるにはそれしかないのではないか。時にハラハラしながら、ひたすら見守る。ダメな部分も含め、じっと見続ける。私はそれこそが親としての自分の役割だと信じています。