2019年2月15日金曜日

記事紹介|社会の大学への不信、財務省の牽制、空虚なイノベーション論、政治的に操られる「無償化論」、行き場のない「国私格差是正論」、大学の規模拡大信仰と情報公開アレルギー

中教審『高等教育将来像』答申には、何かすっきりしないところがある。 2040年の社会像など大ブロシキを冒頭で広げ、その後にいくつもの政策課題を掲げるという点で、それなりに形にはなっている。また個々の政策課題も重要であることはいうまでもない。しかしその間を結ぶ軸が明確ではないないのだ。ストーリーが見えない、といってもよい。

審議の当初に想定されていた軸は18歳人口の減少だったようだ。途中で23区の大学収容力の抑制など、地方の衰退が話題になったことも目をひいた。しかし人口減はそれだけでは将来を考える軸とはならない。むしろ軸となるべきだったのは、新しい成長への高等教育の寄与のあり方と、高等教育費の負担であったろう。

日本が社会経済構造を恒常的に革新していくためには、その基礎となる人材が不可欠であり、そのためには高等教育の質的改革が不可欠であることは繰り返し強調されているし、「大学発のイノベーシヨン」といった言葉もよく聞かれる。しかしそれは具体的にどのようにして可能となるのか。多様化と流動化が社会・経済の流れであるとすれば、単一の答えはあり得ない。では多様な解を導き出すのにどのようなメカニズムが必要なのか。

もう一方で高等教育の質的改革には新しい投資が必要だ。日本の大学はいまだに大衆化時代の教育条件の貧困を引きずっており、それが教育の質の空疎さのーつの決定的な要因となっている。しかし国の財政は、容易に政府支出を拡大させるような状況にない。そうだとすれば、授業料の増額と、それを支える貸与奨学金の拡大(返還困難者に対する猶予措置を含めて)しか現実的な可能性はないだろう。日本の対外純資産は366兆円にのぼり、その一因は国内に投資先がないことにある。社会全体からみれば、高等教育は重要な投資対象であってよいはずだ。

高等教育の革新と、それに対する投資、この二つを結ぶ軸をどう作るのか。ここにこそ焦点がある。社会の大学への不信、財務省の牽制、空虚なイノベーション論、政治的に操られる「無償化論」、行き場のない「国私格差是正論」、大学の規模拡大信仰と情報公開アレルギー、こうした要因の中で、肝心の問題は正面から触れられずにしまった。しかしそれでよいはずはない。この問題にどう筋道をつけていくのかが問われている。

将来像答申の語らなかったもの|IDE 2019年2-3月号 から