私はある懸賞論文で、小松まり子さんという三十七歳のお母さんの作品を印象深く読まさせていただきました。
この方のお子さんは、足が不自由な方でしたが、車椅子で小学校に通った六年の間、お父さんお母さんは一度として車椅子を押されたことがなかったそうです。
近所の子供たちが当番を決めて、六年間ずっと送り迎えしてくれたそうです。
そして、中学校に入るとき、一緒に普通の中学校に行けると思ったら、教育委員会からの「お宅のお子さんは施設に入れてください」という指示がきたのです。
そのとき、友達が猛反発をしました。
署名運動までして、中学校の校長先生を動かして、同じ中学校に通うことができました。
三年間また当番を決めて友達が送り迎えをしてくれました。
そして、小松さんの息子さんは体が弱いから欠席も多かったけれども、何とか卒業までこぎつけました。
ところが、 風邪をひいて、晴れの卒業式に出られなくなってしまいました。
そのときに「お母さん、 小学校六年間、中学校を三年間支えてくれた友達に、僕、お礼が言いたい」と言って、朝、 ベランダに出て卒業式に行く友達を見送りました。
みんなが手を振って「おまえの分までがんばってくるからな」と言って、卒業式に行きました。
お父さんが早く帰ってきて、家で親子三人で卒業祝いをする約束でした。
昼ご飯どきにチャイムが鳴ったから、お母さんは、お父さんが早く帰ってきたと思って飛んで行かれた。
そしたら、そこに立っておられたのは卒業証書を持った校長先生と各学年の先生方と友達でした。
そして、校長先生が「今から、お宅のお子さんの部屋で卒業式をしたいんですが、 よろしいでしょうか」とおっしゃいました。
車椅子の息子さんとお母さんを前にして校長先生が卒業証書を読まれ、各学年の先生たちが「よくがんばったね」と握手をしてくれました。
友達が拍手で祝福してくれたときには、息子さんはうつむいて涙を流していました。
「私たちは、先生や友達の顔をまともに見ることができませんでした。息子は三年間中学校で何を学んだか分かりませんが、優しさが人をすばらしい人間に変えていくということを学んでくれたら、それだけで十分です。学校で習った勉強よりも、もっとすばらしいものをうちの子供は学んだ気がします」と、その懸賞論文の中に書いておられました。
今はこういうものの大事さが、だんだん失われています。
皆さんが一本のろうそくのような人間になられて、回りの方を明るく照らしていきながら、そこから新しい人生を歩まれる。
それが、私たちにとって今から必要になっていくのではなかろうかと思うのです。
福岡のある中学校の話ですが、同級生が亡くなったとき、友達がお葬式に行こうとしたら、校長先生が「授業日数に影響するから行ったらいかん」と止められたそうです。
これは新聞に報道された話で、その真偽は分かりませんが、困った友達は代表を亡くなった同級生の家に行かせて、お父さんお母さんにこうお願いしたそうです。
「クラスのみんなで○○君を送りたいので、どうぞ霊柩車を学校の正門に回してください」
当日、霊柩車はルートを変えて、学校の正門前を通って行きました。
クラスの仲間はみんなで同級生を見送ることができました。
私はこの話を聞いたとき、校長先生が本気で子供たちの申し出を断った、しかも授業日数を理由にして断ったとしたら、校長をやめてもらわなければならないと思いました。
最初から責任逃れでしょう。
「ああ、行ってこい。行って手を合わせて、みんなで天国に送ってあげよう」
もし校長先生に子供たちに対する本当の愛情があるならば、こう言ってあげるのが当然でしょう。
「学校で習った勉強よりも、もっとすばらしいものをうちの子供は学んだ気がします」
先の小松まり子さんの言葉のように、学校は子供たちに対して勉強より大事な本当の愛情を教えてほしいものです。