2023年1月7日土曜日

記事紹介|出処進退

遅かれ早かれ、死は誰にも平等におとずれる。

だからこそ、やりたいことをやってからあの世に行くのでなければ、なんのための人生かわからない。

だからといって、「やることがない」と、年をとっても、いつまでも第一線にしがみついているのは、あまりにカッコ悪い。

なぜなら、「年寄のほうが世間知らず」だからだ。

これは、「スマホ」や「遊び」の世界を考えればわかる。

子供は楽々とスマホやタブレットを使いこなすのに、ほとんどの年寄はお手上げだ。

そして、遊びも、年寄の頃と今の子供では大違いだ。

また、第一線をしりぞいてからやることがないというのは、現役生活の間に「世のため人のために尽くしてこなかった」、と告白しているようなものだ。

世のために人のために動いていた人は、のちに必ず、まわりからの引きがあるからだ。

自分のことだけしか考えてこなかった利己の人には、誰も仕事や、ボランティアなどの役職を頼まない。

そして、「出処進退」という言葉があるが、安岡正篤師は、人物を見るのに一番重要視されるのが「出処進退」のうちの「退」だという。

「退」とは、職を辞(じ)することだが、そこにごまかしのない「人間性」が出るからだ。

地位にいつまでも執着して「自分でなければできない」、などと言っていないか、だ。

やめるときには、自分ひとりで決断するしかない。

人に相談すれば、必ず「まだまだできますよ。やめるのは早すぎます」と言うにきまっているからだ。

特に社長や政治家の年寄は第一線から早く身を引き、若い人たちにバトンタッチすること。

出処進退があざやかな人でありたい。

出典:年寄りのほうが世間知らず|人の心に灯をともす