2008年6月15日日曜日

チャンスの平等

先日、東京・秋葉原で多くの方が犠牲になった痛ましい事件が起こりました。

様々な社会的・個人的な問題が複雑に絡み合った結果生じた事件のようですが、今後このようなことが二度と起こらないよう、起こさないよう、私たち一人ひとりが自分のこととして重く受け止めなければなければなりません。

この事件の背景の一つとして大きく取り上げられているのが「格差社会」です。

いつも勉強させていただいている「モチベーションは楽しさ創造から」というブログでも最近取り上げられていますが、「i Phoneと格差社会と秋葉原連続殺人」と題された記事では、i Phoneのような素晴らしい製品を開発する企業には、クリエイティブからルーチンといった複数の業務に対応した人材階層が存在し、人件費コストの重視の結果がルーチン業務の軽視を、引いては、格差の固定・拡大、社員のモチベーション低下を誘引していること、格差解決のためには、社内における「チャンスの平等」「チャンスの提供の拡大」に視点を置いた人事制度が不可欠であることが述べられています。

私は、筆者の考えにいつもながらの示唆を覚えるとともに、実は同様のことは、企業社会だけではなく、大学にも十分当てはまるのではないかと考えました。そこで今日は、このブログの記事の一部をお借りして、その内容を大学に置き換えて考えてみたいと思います。[   ]が大学の場合になります。少し無理がありますが、読み替えてお読みください。


企業[大学]が支払う人件費には限界があります。高い人件費は、価格[授業料]に転嫁されていくので、競争力を失わせる結果に繋がります。高い価格[授業料]は、顧客[学生]満足度を下げる形になるからです。できる限り安い人件費率を実現する事で、価格[授業料]競争力を維持していこうとします。

i Phoneの競争優位を生み出している、源泉となる人材は誰かというと、当然、クリエィティブクラスの人材[役員]となります。彼らの頭脳流出が起こらないように、彼らへは高収入が支払いをしていく事になります。彼らの市場価値は高く、引っ張りだこだからです。彼らを流出する事は、企業[大学]の根幹を揺るがす事になるからです。そこで、優先的に彼らへの人件費配分が決定されていきます。*1

しかし、クリエィティブクラス[役員]の頭脳流出が起こらないようにするには、金銭面だけを満足させるだけで十分ではありません。彼らをサポートする環境も整備していく必要がでてきます。その環境の上で最も大切になるのが、クリエィティブクラス[役員]の仕事をサポートするホワイトカラークラスとルーチンホワイトカラー[管理職員]の人材達。この部分にも、気が利いた人材を配置させる必要が出てくるのです。そうなると、ホワイトカラークラス・ルーチンホワイトカラークラス[管理職員]の人材達にも、それなりの高い給料を支払う必要がでてきます。*2

すると、ルーチン業務人材[現場職員]への人件費予算はあまり残りません。じゃ、派遣でなんとからならないか? アウトソーシングで何とかならないか?と人件費削減の方法を考え始めます。
クリエィティブクラス[役員]、ホワイトカラークラス・ルーチンホワイトカラークラス[管理職員]に高い給料を支払ったツケが、ルーチン業務人材[現場職員]への給料にしわ寄せがくるのです。
ルーチン業務は、徹底してコストを抑える。社員[常勤職員]から、パート[非常勤職員]・派遣。ルーチン業務のコストを抑える方法はいくらでもあります。

このような考えで経営をしていく企業[大学]はどんどん増えていくでしょう。顧客[学生]に満足してもらう製品を作って[教育を行って]いこうとすれば、ユニークなアイデア、優れた技術、割安感を感じる価格の製品を作っていく[教育内容、方法等の改善により充実した教育を行っていく]必要がでてきます。そして顧客[学生]満足を追求していけばいくほど、このジレンマに突入していくことになり、格差を大きくさせているのではないでしょうか?

そんな中、厳しいコントロールのもと、ルーチン業務ばかりを行っている労働者[現場職員]は、やはり怒りを持つでしょう。「いくら真面目に頑張っても、給料はほとんど上がらない。未来が見えない」という気持ちになるのも分かります。

では、社会安定の為に、クリエィティブクラス[役員]、ホワイトカラークラス・ルーチンホワイトカラークラス[管理職員]に給料を下げるとどうかというと、そうなればコアコンピタンスの低下を招き、企業[大学の]競争力がグーンっと落ちていくでしょう。

「じゃ、この格差問題を放置しておいてよいのか?」というと、それではマズイと思います。ルーチン業務を行っている人材[現場職員]の不満はどんどん高まり、秋葉原事件のような極端な例ではないけど、小さな暴発がいたる所で起こってくるような気がします。

この問題の一つの解決策の視点が、「チャンスの平等」「チャンスの提供の拡大」だと思います。昔は、ルーチン業務クラス[現場職員]から、ルーチンホワイトクラスやホワイトクラス[管理職員]、クリエィティブクラス[役員]への移動のチャンスがたくさんありました。頑張って努力していけば、ルーチン業務からの脱却はできたのです。今は、このチャンスさえも、ルーチン業務クラスの人達[現場職員]には与えられていないのが現状ではないでしょうか?

チャンスも与えられなければ、モチベーションなど沸くわけがありません。彼[現場職員]にも、夢とチャンスを与えていかなければならないのではないでしょうか?

活力ある社会[又は大学]を実現していこうとすれば、チャンスの平等は欠かせないと思うのです。今のように、一度、ルーチン業務ばかりを行うと、ずっとその仕事を行う事しかできないままの一生しか見えないというような、ピラミッドの固定化が最大の問題のような気がします。

もっと、どんどんルーチンホワイトクラスやホワイトクラス[管理職員]、クリエィティブクラス[役員]の仕事ができるチャンス、登用のチャンスを広げていく。これは、企業[大学]にとってもプラスだと思うのです。チャンスを生かすことで、クリエィティブクラス[役員]の仕事ができる人材がどんどん輩出されていくようになれば、企業[大学]の競争力も高まっていくのです。

どよんとした空気を一層する為にも、「チャンスの平等」という事をもっと多くの会社[大学]が人事制度に取りいれていって欲しいものです。


*1:現在の国立大学の場合、役員の能力の高さと収入の高さは符合していません。つまり、経営者としての能力の割には人件費の配分が多いと思われ、したがって、経営者としての市場価値はほとんど期待されていませんので、頭脳流出の恐れを心配する状況にはないと思われます。

*2:現在の国立大学の場合、法人化後の経営に対応した管理職員の能力は全体として低水準にあるとされています。また、管理職員間の能力格差は拡大しており、適切な人事考課に基づいた報酬面におけるインセンティブの付与が必要になってきていると思われます。