2012年12月12日水曜日

大学院教育の在り方

前回に続き、日本経済新聞社編集委員の横山晋一郎さんがIDE「取材ノートから」(2012年12月号)に書かれた論考を抜粋してご紹介します。



大学院生の指導

教育学関係の学会大会を覗いた。10年以上前から取材している学会だが、今年は思わぬ体験をした。他の学会も同様だと思うが、この学会では大会発表は共通するテーマごとにくくられ、それぞれのセッション(2~2時間半)で3~5本程度の研究発表がある。個別発表ごとに質疑が交わされ、全部終わった後に総括討論が行われる。

“事件”はそんなセッションの一つで起きた。旧帝大系の大学院生二人の発表に興味を持ち早々と会場に陣取った。2時間のセッションで発表は3本。お目当ての発表は最後で、持ち時間は50分。メインの発表である。発表が終わり軽い質疑があった後、いよいよ総括討論に移ったが、なんと発表した二人の院生は「用事がある」と言ってさっさと退室してしまったのだ。

大学を取材するまで、学会発表はもっと敷居が高く権威あるものだと思っていた。だが、いくつかの学会を取材するうちに(理工系や医学系はわからないが)、学会自体が細かく分野を刻んで乱立しており、玉石混淆だと知った。それでもこれまで見てきた発表者は、報告への質問にきちんと対応し討論に加わる常識を持っていた。

それだけに、言いたいことだけを言って退室した発表者には驚いた。当然のことだが、研究は独りよがりであってはならない。専門家同士で議論を闘わす中で、問題点に気付いたり次の研究のヒントを得たりする。特に若い大学院生にと.って、学会発表とはそんな武者修行の場であるはずだ。一方的に発表して、「はい、さようなら」ではブログやツイッターで発信するのと変わらない。議論を放棄するならば、学会に来る意味がない。こんな基本すら誰も教えていないのだろうか。

そんな感想を学会関係者に話したら、最近は発表申請を出しておきながら、論文提出時になると「準備ができてない」とドタキャンする若手が多いという。「最近は大学院も増え、いろんな院生がいる。指導実態がわからない大学院も多い」とぼやく学会役員もいた。これだけで、全体を論じるつもりはないが、「大学院教育、これで大丈夫? 学会も大丈夫?」という思いは消えない。確かに、近年の大学院の量的拡大はめざましい。で、「質」はどうなの?