科学新聞(第3476号、2014年2月28日)に、「中央教育審議会会長に就任した安西祐一郎氏に聞く」と題する記事が掲載されてありました。
インタビュー形式で書かれてありましたが、大変示唆に富む内容でしたので抜粋してご紹介します。
学術研究の振興と大学改革は密接な関係があるが、これまで学術研究の振興は科学技術・学術審議会で、大学改革は中央教膏審議会でそれぞれ議論が行われ、それに基づいて様々な政策が立案・実施されてきた。
そうした中、日本学術振興会の安西祐一郎理事長が中央教育審議会の会長に就任した。安西氏は科学技術・学術審議会の委員も兼ね、また、科学技術・学術審議会の特別委員会では学術研究の振興につなげるための大学改革等について議論することが決まっている。2つの審議会における議論をつなげ、学術振興の中心である学振のマネージメントを行っている安西氏に、お話を伺った。
学術研究の振興について
自分の心の奥底からのエネルギーがあって初めて、イノベーションにつながる発見も可能になる。学術研究というのは、世界的な競争であり、そこから生み出される創造や発見は、入類、人間にとっての究極の知的活動だと思う。エネルギーを集中して、献身的な努力をして初めて、真に人類に貢献する成果が生まれる。貢献するという意味は、科学における新しい発見をするということから、もっと社会的に価値のあるイノベーションを起こすということまで、色々な発見、創造のかたちがある。どういう発見、創造であるにせよ、そのエネルギーが必要になる。そのエネルギーは、人からやれと言って与えられるものではなく、自分が主体的に答えのない問題を見つけ、その問題に答えを見つけていこうという力だと思う。人から与えられたテーマ、人から与えられた方法、人から与えられた手段をただ繰り返しているだけでは、本当の発見、創造、イノベーションは起こりにくい。
よく「学術研究は日本の経済のためにやるのではない」ということを書う人もいるが、学術研究は人類共通の無形の資産も生むし、その一方で日本の国力も生む。どちらかということではない。日本にとって学術研究は真に大切だと思うが、日本が人類共通の資産を作り出していくことに貢献するということと、日本自体の国力を生んでいくという両方にとって大事だということ。
こういう技術分野でこういう技術を開発すれば、こういう成果があがって、きっとこういうイノベーションが起こるだろうと。そうした研究開発のスキームはもちろん重要だが、その一方で、狭い意味での目標・目的が与えられていないなかで自分でその目標を設定して、自分で創造・発見に取り組んでいく学術研究が非常に大事だ。しかし最近、研究者が自分で目標を立て、自らのエネルギーを持って発見・創造していく学術研究のパワーが弱まりつつあるのではないか。その一端は、日本人が関与している優れた論文の割合、優れた国際共同研究の成果の割合などに表れはじめている。
日本は、ノーベル賞の受賞者数が米国、英国に次いで多いが、その多くは60~70年代の発見に対して与えられたもので、最近の成果は山中先生のものしかない。他にもボスドクの人達の就職先が限られていることや、若手研究者が国内にポジションがないこと、優秀な学生が博士課程に進まなくなってきているのではないか。そういうことを総合的に考えると日本の学術研究の力がすでに弱まり始めている。しかも、今度の4月から科学研究費補助金が削減されることになっている。そうなると、日本があらゆる分野で世界に発見・創造を通して貢献する力と、日本自体が再び活力を持っていく国としてのカの両方に負の影響があると考えられる。
自ら課題設定し答えを見いだしていく学術砺究の振興には、大学改革や研究環境整備が重要だと考えられるが、どのような取り組みが必要なのか
大学同士、大学の内部での競争環境がないことが大きな問題。一旦、教授になれば、自分の心の底から出てくるエネルギーによって発見と創造をなしていく、その活動をしなくても教授でいられる。発見と創造、科学の成果をあげていくということにおいて、年齢や職階は関係ない。そういうフラットな立場での競争環境が、日本の大学では、ほとんどないのではないか。競争環境を作り出していくためには、大学についての規制を緩和していく必要がある。人件費、施設整備、教員定員、国際共同研究などにおける束縛、研究費の使い勝手などの規制を緩和していくことが重要。
研究費の使い勝手については、例えば、科研費は基金化の方向が進んだが、途中で停止してしまっている。科研費のような基礎的な研究資金については、全面的な基金化が必要。そうした大学外部で規制の緩和が必要な問題と、大学内部での規制の緩和が必要な問題があるのだが、見ていると大学内部で自己規制している部分がかなり多い。
組織のスクラップ&ビルドが非常にしにくいのも一つ。例えばWPIは9つあるが、全て時限の組織。業績から見れば持続的・永続的な組織になってしかるべきで、それで初めて所属している研究者が安心して研究できると思うが、それがなかなか永続的な組織にならない。これはWPIが設置されている各大学の責任だと思う。
博士課程に優れた学生が来ないとか、若い研究者が少なくて困る、雇おうと思ってもポストがないと言う人がいるが、それでは優れているとは言えない教員を優れた入材に入れ替えていくということを本当にやっているのかどうか。それをやらずにポストがないと言っでいるのではないか。
学術研究における大学の問題をあげれば、大学改革は必須だが、遅々として進んでいない。文部科学省は国立大学改革プランを出しているが、大学の改革のスピードは極めて遅い。
学術研究、人材育成、学部教育まで含めて、教員自身が全力を出し切ってやれるように改革をしなくてはいけない。そして、大学人自身がそれをやらなければ、それはもう大学ではない。その大学は、どんな有力大学であっても、国公私立を問わずやめた方が良いのではないか。
人材育成について
来年、敗戦から70年になる。85年のプラザ合意、89年にベルリンの壁が崩壊し、91年にソ連が崩壊した。90年代半ばにはインターネットが商用化され、世界中で使われるようになった。そういう時代の流れの中で、東西冷戦の二極構造から、グローバル化、多極化に世界が劇的に変化した。そういう中で、世界の主要国、途上国がもがいているというのが現状だと思う。中国やインドの台頭、EU、アフリカ、南米、ロシア、東南アジア、その他の各地域の葛藤が渦巻く非常に厳しい時代になっている。戦後長い間アメリカの傘の下で、あまり自分で主体的に考えず、主体的に何かを生み出していくということに注意を向けなくても経済成長できた時代はもう終わっている。だからこそ、主体性を持って答えのない問題に答えを見いだしていく力を教育においても研究においても持たなくてはならない。
教育再生実行会議においても、主体性を持って学んでいく力の色々な提言がなされてきた。中央教育審議会ではその具体化に向けた議論が進んでいる。昨年スタートした第2期教育振興基本計画においても、その前文の冒頭に「自立・協働・創造に向けた一人一人の主体的な学び」として、その柱になっている。つまり、「主体性を持って答えのない問題に答えを見いだしていく力を身につけていく」ことは、これからの日本における教育と研究の両方にわたる基盤になる。