2013年1月23日水曜日

ここが変だよ、日本の大学(2)

前回に続き、「IDE-現代の高等教育」(No.547 2013年1月号)から、ブルース・ストロナクさん(テンプル大学ジャパンキャンパス学長)が書かれた論考「日本の大学の課題-外国人学長の視点」を抜粋してご紹介します。


教務改革-学生が学習する環境をつくる

大学の世界にISOのような品質保証制度はない。が、その大学の教務・事務両面でのベストプラクティスが、他と比べてどんなレベルにあるかを見極めることは大切だ。アメリカ人である私が比較対象にアメリカの大学を選ぶと奢りと言われるかもしれないが、実際のところ、日本の大学関係者が大学改革を論じる際、アメリカの大学は総じて日本の大学よりも競争優位性があると、みなが認めているように思う。

他国の大学がベンチマークする相手として米国の大学が選ばれるには、それなりの理由があると私は考える。どんな国にも、ハーバードや東大にあたるエリート大学は存在する。しかし、こうしたトップ校に進学するのはほんの一握りであり、大部分の学生は公立・私立を問わず、中間層の大学に入る。国際比較はこの中間層で行うことに意味があり、ここでこそアメリカの大学の層の厚さ、つまり平均的な質の高さが顕著となるのである。そして日本は、特にこの層において、多くが教育の質保証と学習環境の維持に失敗している。

まず学生の学習時間を見てみよう。1コースの授業時間は、米国では1週間180分が標準なのに対して日本では90分である。必然的に教室外での勉強時間も少なく、日本の学部生の1割は教室外でまったく勉強しない(アメリカでは0.3%)。逆に教室外で21時間以上勉強する学生は、アメリカが20%に対して日本は4.3%である。

アメリカの大学を知る教員ならば、学生がクラスに登録したあと、特別な理由もなく講義を休んだり期末試験を欠席したりしても大したお咎めなしとは、とうてい信じられないことだ。こうした環境では、相手を理解しながら説得する本物のディベートを授業で行うなど不可能である。また、学生の知的欲求を呼び覚まし、学習意欲をかきたてることも無理だろう。

おしなべて日本の大学は、学生を大人として扱い、もっと厳しい態度で臨むべきである。どんなに成績が悪くても退学にならないなら、つまり自らの行動に責任をとらなくてもよいなら、どうやって彼らは競争力、責任感、やる気といった、将来の社会を担うリーダーとしての資質を育むことができようか。かつての受験戦争時代、日本では卒業よりも入学のほうに価値があった。いまや入学も卒業と同じくらい簡単になりつつあるのに、いまだ大学評価において入学のほうのウエイトが高いのは理解に苦しむ。

また、日本の大学はアメリカの大学と比べ柔軟性も低い。多くは入学後に学部・専攻を変えることが困難で、他大学からの転入や私費留学のための休学、正式な提携先以外の機関からの単位移行も認められにくい。

こうした分野について、他大学をベンチマークしベストプラクティスを取り入れ、改革を進めようとしている大学はあるだろう。しかし、そこで障害になるのが教授会である。あえて言おう-教授会が学務の主要部分をコントロールしている限り、大きな変化は望めない。多くの教員は教育より研究を優先し、自分のゼミ生は別として、その他大部分の学生との接点は希薄だ。教員の自己満足は、いまだに改革・改善の深刻な障害となっている。

リーダーシップとガバナンス-人事を改革する

そこで、論じなければなければならないのが、リーダーシップとガバナンスである。ガバナンスとは意思決定のシステムであり、それは組織の価値を左右する。リーダーシップとは、この価値が実践される形態のことを指す。

大学のガバナンスは、オープン、平等かつ包括的、そしてある程度ステークホルダー間でシェアされるべきものである。しかし、それは大学が民主主義的であることを意味しない。リーダーシップは真の改革には不可欠だ。改革はボトムアップでは成功しない。教員・職員の中間層こそ、変化によって失うものがいちばん多いからだ。トップダウンとは決して独裁政治と同義ではないが、ステークホルダーの意見を広く聴取した上で下した決定と、その実行に対して、リーダー個人が責任を取ることを意味する。日本の大学の指導者の多くは、教授会の権限を非難したり、自身の権限の無さを嘆いたりしている。しかしその状況は変えられるし、変えなければならない。

重要なのは人事である。組織の原則を体現する人事制度は、改革のカギを握る。大学というものが世俗から切り離された存在だった時代の「平等主義」から抜け出さなければならない。今日、教員や上級職の採用選考には、学生を含めた幅広い意見を吸いあげるオープンなプロセスが求められる。日本ではいまだに、自らが治める大学の「生え抜き」でない学長を探すほうが難しい。組織の継続性という点で生え抜きはよかろう。しかし変革には向かない。学内にしがらみのない外部の人材を学長に迎えれば、組織の向かう方向についての明確なメッセージとなる。

また、教員の9割が自校の卒業生という時代は終わったものの、まだその割合は高すぎる。さらに、一定期間の厳格な業務評価に基づくテニュアトラック制や、有期雇用契約を意味する任期制についても議論が始まって久しいが、実際にフルタイム教員のパフォーマンスを厳格に評価し、その結果によって契約の更新・終了を実行している日本の大学はほんのわずかだ。

日本の大学がその指導者を内部から選んでいる限り、また教員人事制度が旧態依然の終身雇用を前提とする限り、そして、アカデミアというものに対する伝統的認識が変わらない限り、難しい決断をする能力もそうする動機も生まれないのは当然である。しかしそれこそ日本の大学がいま必要としているものなのだ。(つづく)


徳間書店
発売日:2004-12-19