「人の心に灯をともす」から「1年に3日だけでもいいことがあったら」(2013年1月22日)を抜粋してご紹介します。
ある企業のトップセールスマンたちの集まりに講師として招かれたときのこと。
そのなかでも一番のセールスを上げる女性と隣接する機会がありました。
失礼ながら、見た目はごくふつうのおばさんです。
その人が休んでいるのを誰も見たことがないといわれるほどのすごい働きぶりに加えて、同僚や部下の面倒もよく見、彼らの売上にも協力を惜しまないのだそうです。
そのせいで、周囲から母親のように慕われ、頼られながら、謙虚で少しも偉ぶるところがない。
そんなすばらしい人柄が、少し会話を交わしただけの私にもよく伝わってきました。
彼女は自分の生き方、働き方について、こんなふうに語ってくれたのです。
「私の母はよく、『1年に3日だけでもいいことがあったら、その年は最高の年だよ』といっていました。
その母に育てられた私も、『生きるのは苦しいのが当たりまえ』と思って生きてきました。
ですから3日いいことがあれば、残りの362日がたとえつらく苦しい日でも、私は十分、幸福だって・・・
ですから、こうしてみなさんとおしゃべりして、おいしいものを食べられる、ただそれだけで私は幸せすぎるくらい幸せなのですよ。
幸せすぎて母に申し訳ないくらいです」
足りないことがあって当たりまえと考え、むやみに幸せを欲しがらず、ありきたりでささいなことにも深い喜びを見出す。
そんな“賢者の知恵”が彼女に確かな幸福をもたらし、彼女のトップセールスウーマンとしての心の支えになっているのです。
このように、人間の幸と不幸はどうやら、「苦労を引き受ける心が幸せを引き寄せ、幸せを求めすぎる心が不幸を生む」という皮肉な逆説の糸で結ばれているもののようです。
今の時代、多くの人が、「あって当たりまえ」の世界で「うまくいって当然」という価値観の中に生きています。
水道の蛇口をひねれば水が出て当たりまえ、電車は時間どおり発着して当たりまえ、約束は守られて当たりまえ、欲しいものはお金を出せば手に入るのが当たりまえ。
万事、自分の思いどおりに進んで当然と、多くの人がそう思っているように感じます。
だから、その当たりまえが少しでもうまくいかないと、それがそのままストレスや不満になってしまう。
常に「ない」のがふつうだと考えれば、「ある」だけで幸せなのに、「ある」が当たりまえと思っているから、「ない」ことがたくさんの不満や不幸の種になってしまう。
何かの本で読んだ話だが・・・
昔の人は、「一緒に苦労してくれないか?」とプロポーズして、結婚したという。
今の人は「二人で幸せになろう」と言って結婚する。
苦労しようと言って一緒になれば、苦労するのが当たりまえとなる。
しかしその逆なら、ちょっとした苦労や困難があるだけでも、それは約束違反となり、苦痛となる。
だから、今は昔に比べ離婚が増えている、という話だった。
「ないことが当たりまえ」と思えば、ただ「ある」だけで有り難い。
当たりまえの日常に感謝できる人でありたい。