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学部のミッションの議論が本格化しているが、そもそも国立大学には私立大学のような「建学の精神」はあるの、と聞かれることがある。国立大学は、その淵源をたどっていけば、古くは藩校や帝国大学、旧制大学、高商、高等工業学校、師範学校等々にいきつくわけで、設立の目的・趣旨や精神は、大学・学部のミッションも含めてまさにその歴史が証言してくれる。
さらに、新構想大学や新設学部にっいても、国会で予算や法律の審議・決議を経たものであり、各時代や社会の状況、地元や産業界の要望をふまえて設置されており、建学の精神はそのミッションとともに公共的使命として厳然として存在する。
畢竟、国立大学こそ、創設時から多くを国費に依り、今日までの各時代をその社会の動きと連動して変遷していることからも、建学の精神が常に問われ続けている大学といわなくてはならない。
そうした中で、その精神の具現化の一番のアウトカムは有為な学生の輩出であり、研究成果の発露である。その建学時の国全体や地元の期待をどれだけ形となって顕すことが出来ているか、だ。社会の変化や政権交代に関わりなく、脈々と流れる人材養成や研究、さらには診療機能の確固たるアウトカムが求められる。
一方、その精神を表象したものには、校章はもちろん校歌や寮歌、さらには建物等の大学のシンボルなるものがある。先人たちは、大学の理念やミッション、地域の風土や歴史などを様々な意匠に凝縮し、その発展と継承の祈りをそれらにこめたのであろう。
校章で言えば、おなじみの柏、桜、松、桐、銀杏、鳳凰などの動植物、山や湖などの自然、旧藩の家紋などバリエーションはきわめて豊富だ。星もそのひとつで、「北に一星あり。小なれどその輝光強し」の小樽高商や北辰星章の旧制四校など多数ある。いずれも神話や和歌・伝承など古典、地域史など、そのものがドラマになっており興味が尽きない。
今年は巳年だ。
蛇は「森の賢者」と称されるフクロウと並んで「知の象徴」であり、一橋大学などかつての高商系の大学の校章等に使われている。
何故、知の象徴なのか? 一橋大学のウエブでは、その校章「マーキュリー」は、ローマ神話の商業、学術などの神メルクリウスの杖を図案化したもので、二匹の蛇が巻き付いているが、蛇は英知をあらわし、常に蛇のように聡く世界の動きに敏感である、と説明されている。
まさに、「知識は力なり」であり、我々日本の大学人は「知」という力によって、混迷する世界、我が国の改革エンジンとして世を渡っていかなくてはならない。
それでもご時世で、最近では、ゆるキャラやかつての校章を親しみやすくしたものを大学グッズとするなど、歴史だけでなく、まさに世相を反映するものにもなっている。
で、とある統合した大学。教員が勇躍元々の伝統ある校章を設備につけようとしたら、統合後入学した学生が不思議そうに、「何故今のロゴマークを使わないんですか?」と。歴史はまた作られる。(夢酔)