2009年2月24日火曜日

大学教員人事制度の課題

前回は、「国立大学法人の役員人事への文部科学省の介入問題」についてコメントさせていただきましたが、今回は「大学教員の人事制度と業績評価の問題点」に視点を当てて考えてみたいと思います。

大学教員の業績評価及びその人事考課への反映については、既にこの日記でも何度か触れておりますが、これまでいろんな大学の様子を見ていますと、大学や大学教員というものの歴史的・文化的背景や風土の特殊性が相まって、一般社会での常識的な考え方がなかなか思うように浸透していないように思われます。

しかし、世の中の流れやあるべき方向性から考えれば、これまでタブー視されてきた業績評価を含む大学教員の人事制度の根本的な変革はもはや避けては通れないことを、当事者である大学教員自身が謙虚にかつ早急に自覚することが求められているのではないかと思います。

と同時に、大学教員の正当な評価とは本来どのようなものか、どうすればより良き姿で実現できるかなど、新たな制度構築に向けた問題点の析出や解決方策を見出すことに能動的な姿勢を示さなければならないのではないか、そのためには、まずは、大学教員が自らの意識や行動の転換を図る必要があるのではないかと考えます。


今日は、「大学人事における日米比較と今後の改革の方向性」(日本総研主任研究員 久保田智之 氏)という論考の要旨(私が勝手に抽出)をご紹介します。

1 大学人事(特に評価制度)をめぐる動き

日本の大学における教員人事は、学問の自治のもと大学教員によって自主的に行われてきました。もともと行政の介入によって、学問の中立性、学術的見解が歪められないようにするために自主的に大学運営がなされてきました。法律上も、教育公務員特例法によって「教員の採用及び昇任のための選考は、評議会の議に基づき学長の定める基準により、教授会の議に基づき学長が行う」と定められています。つまり、教員の選考は教員同士で行うこととなっています。これは国立大学に関する法律ではあるが、私立大学においても国立大学と同様の規程が用いられることが多いために教員人事については、他の誰もが手を出せない状態となっています。このことから派生して、大学運営の様々なことについては、学長を筆頭にして教員が主体となってほぼすべてのことを決定する仕組みができあがってしまいました。

しかし、昨今国立大学が法人化される、大学自身の評価を受けなければならない、学部、学科の設置をしたい、地域社会に開かれた対応をしないといけないというような事態に対しても、これまでと同様に研究と教育に専念し、その他のことに関しては片手間にあるいは誰かに押しつける形で意思決定が進んできました。このために、大学では「教員」と「事務」職員という身分の違いを前提として様々な人事運営がなされるようになりました。大学教員は、自分のことを自分で決めることになるためにどうしてもお手盛り的な要素が残るようになってしまいました。このために徐々にではあるが、人事・組織面で硬直化現象が生じてきているといえます。確かに、教育、研究という領域に関しては「評価」そのものがなじむかどうかという根本的な議論が残ることはやむを得ません。しかし、現在の日本の大学が、少子化を乗り越えて国民の期待に応えて行くには、今までのやり方だけでは通用しなくなっています。外部の視線に十分耐えうるような仕組みが新たに必要となっているのです。

2 日本の大学職員の人事制度の現状

日本の教員人事制度は実質的に、公務員型の年功処遇と評価制度がない制度で運営がなされてきました。その根本には、「学問の自治」を守らなければならないということのために制定された「学校教育法」及び「教育公務員特例法」にまでさかのぼると考えて良いでしょう。この法律では、教授会自治を大きく認めるとともに採用、雇用条件についても教員自身が決めることとなったのです。一定の研究成果を残すためには、長期間の研究期間が必要です。短期間の成果で雇用、処遇を決められては安心して教育・研究に携わることができません。こうして、終身雇用制と年功序列が国公立の大学教員で確立され、また私立大学においても国公立大学にならう形で導入が進みました。

この年功的な処遇は、結局大学の活性化には現時点では寄与していないと言わざるを得ません。終身雇用と年功処遇という制度が、何もしない教員を生む温床として捉えられるようになりました。

しかし、大学は、教員が運営するものという認識が大きく揺らいでいます。教員と職員とが一体となって運営しなければ巨大な組織を回しきれなくなっていること、また大学評価という外部の評価にさらされながらその品質の維持・向上を約束しなければ大学として存続し得ないという競争環境が現れてきたことによります。

教員の人事制度に関しては、長期雇用を前提とするならば、ある程度の時点で業績評価を入れ、処遇(給与、賞与)と連動させる仕組みが望ましいと考えられます。しかし、大学のシステムを考えると教育・研究の主体が教員自身にあり、今後もそうあり続けるとするのであるとすれば、組織自身も教員自身で浄化させていく必要があります。そう考えると、単に教員評価制度を導入するだけでは、組織の活性化にはつながりません。いたずらに、個人を刺激するばかりで組織間の良好な競争環境を作り出すことには寄与しないといえます。この点、大竹(2005)*1は、「組織廃止の可能性を教授の研究意欲増大と優れた人材め採用へのインセンティブとする方が望ましい」としています。つまり、大学教員のモチベーションの源泉が研究、教育にあると考えるなら、その組織が一定の成果を残さないと、組織全体を改廃するという原則をうち立てることによって、業績への努力を引き出すことが可能となると考えられます。たとえ人員削減が財政的な理由から必要となる場合でも、とかげのしっぽ切りのように能力の劣る教員から解雇するというのでは、採用する教授が自らを最後にするよう能力の劣る教員を採用するインセンティブが働きますが、組織自体を廃止するという原則をうち立てておけば、そうはならないように絶えず優秀な人材を抱え込むようなインセンティブが働くようになるのです。組織の廃止の可能性をインセンティブとするのは、組織運営上としては雇用を確保しないといけない立場からすれば容易には選択できませんが、単に評価制度を導入したり、任期制的な雇用形態をとるだけではうまくいかないとを示唆しているものと考えられます。


*1:大竹文雄(2005)「経済学的思考のセンス」(中央公論新社)