2013年11月19日火曜日

悲しくも、幸せにもなるひと言

ブログ「人の心に灯をともす」からお身体を大切に」(2013年11月16日)をご紹介します。


アカネが配属されているJALマイレージバンクの事務局に、その電話はかかってきた。

「あの…、マイレージのことで相談に乗っていただきたいのですが…」

それは年配の女性の声だった。

「はい、どのようなご用件でしょうか」

「マイレージの名義を夫から変更したいのです」

「と申しますと…」

「夫が亡くなりまして」

「それは… ごしゅうしょうさまでした」

こうアカネが答えると、女性は沈黙してしまった。

「お客様、どうかなさいましたか」

「いいえ、なんでもありません。大丈夫です」

アカネは、その女性が「大丈夫です」と口にしたことがかえって気になった。

「それでは恐れ入りますが、まずお客様のご主人様のお名前を教えていただけますか?

もし、お手元にマイレージカードがございましたら、お得意様番号をお知らせください」

「はい、はい。…ええと」

アカネは、普段どおりに相続手続きの方法について説明をした。

遺産分割協議書などの書類をすでに作成しているかなどを訊き、印鑑証明の添付が必要な旨を説明。

もし、それがなければ、こちらから相続手続きに関する所定の用紙を送付することを告げた。

女性は、その間、ほとんどうなずくかのように聞くだけ一方といった感じだった。

それが、一層、アカネには不安に感じられた。

「お手数ではございますが、よろしくお願いいたします」

「はい」

「それでは、奥様、どうぞお身体を大切になさってください」

そう言って、アカネが電話回線のスイッチを切ろうとしたそのときだった。

「ぐっ」

言葉にならない、ため息のような、いや、おえつにも似た声が聞こえた。

アカネは、思わず問いかけていた。

「どうかなさいましたが、お客様」

「うう…」

今度は、明らかにそれが泣き声だとわかった。

「お客様…」

何か自分は悪いことを口にしてしまったのだろうか。

この5分間ほどのことが頭の中を駆け巡った。

通常の業務内容、ありきたりの会話だったはずだ。

「お客様、大丈夫ですか?」

一拍おいて返事があった。

「ごめんなさい。嬉しかったものだから…」

(え!? 嬉しかったですって?)

女性は、続けてこんな話をしてくれた。問わず語りに。

3か月ほど前、30年近く連れ添った夫を亡くした。

もうすぐ定年。

「時間ができたら、思い切って海外旅行へ行こうよ。

それも、できたらヨーロッパのどこかの町に長期ステイがいいな」と話していた矢先のことだった。

ご主人は、商社に勤めていたという。

そのため、海外出張が年に10回以上。

家を留守にすることも多かった。

「悪いな」と言いつつ、子育ては妻任せ。

「苦労のかけ通しだったな」と口にはするが、会社がすべてのような人だったという。

それだけに、二人でヨーロッパへ行くというのは夢のような話だった。

ところが…

会社から、夫が出張先の札幌のホテルで倒れたという知らせが入った。

心筋梗塞だった。

一人で出張だったので、救命処置が遅れた。

ホテルの人が気づいたときには、心肺が停止していたという。

そして、そのまま帰らぬ人となってしまった。

呆然とした。

しかし、悲しむ時間さえも許されなかった。

なきがらを家まで運ぶ手続き。

通夜と告別式の準備。

会社の人たちが主になって動いてくれたが、喪主としてただ座っているわけにはいかない。

病院への支払い。

区役所への死亡届と埋葬許可証の申請。

次から次へと訪れる弔問客は、知らない顔ばかりだった。

ひろうこんぱいで葬儀を終えた後、寂しさに襲われた。

ひと月が経ち、ちょっと落ち着いた頃、預貯金や株式、自宅不動産などの名義変更の手続きを始めた。

これが、なんともやっかいだったという。

銀行も証券会社も、提出する書類の多いことに参った。

「これでいいはず」と持っていく。

ところが、あれが足りないこれが足りない…と何度も追加や訂正を迫られた。

血が通っていないというか、お役所仕事のような冷たい対応だった。

他にも区役所の住民課、国民健康保険、国民年金課、そして社会保険事務所、税務署などへ毎日のように通った。

おおよその相続、名義変更の手続きが終わったとき、ふと頭に浮かんだのが、夫と約束していたヨーロッパ旅行のことだった。

海外出張が多かったので、マイレージがずいぶんたまっていたはず。

夫も、それをあてにして算段していたはずだ。

夫のカード入れを探すと、JALのマイレージカードが出てきた。

思い切って、カードの裏面にある番号に電話をした。

そこで出たのが、アカネだった。

そしてまた、他の役所や銀行と同じような型通りの会話が始まった。

「またか」と思った。

どこもかしこも、無味乾燥なマニュアル通りの言葉。

仕方がない、この人もそれが仕事なのだ。

そう思いつつも、心のどっか片隅にいきどおりと悲しみが混在してむなしくなった。

「お手数ではございますが、よろしくお願いいたします」

と言われ受話器を置こうとした、その瞬間だった。

耳元から、やさしい声が伝わってきた。

「それでは、奥様、どうぞお身体を大切になさってください」

「先ほどね、電話に出られたとき、いの一番に『ご愁傷さまでした』っておっしゃったでしょう。

そしてね、今さっき、あなた『お身体を大切に』って。

わたしね、この3ヶ月で一番嬉しかったんですよ、その言葉が。

だって、銀行へ行っても、区役所へ行っても、誰一人そんなやさしい言葉をかけてくれた人はいませんでしたから…」

「ごめんなさいね。わたし、涙が止まらないの」

そう言う女性の声は、ずっと震えていた。


人を思いやる言葉か、自分本位の心ない言葉か。

やさしい言葉か、型通りの冷たい言葉か。

たったひと言で、人は、悲しくも、幸せにもなる。