2019年7月28日日曜日

記事紹介|科学技術は両刃の剣

平成の30年間で、生命科学は飛躍的に進歩した。一方で原発事故にも直面し、科学技術の使い方を誤れば大きな打撃になることも痛感した。人類が手にした大きな力をどのように使えば幸せな未来につながるのか。私たちはその選択をすべき「分水嶺(ぶんすいれい)」に立っているのではないか。日本の科学技術研究を牽引する山中伸弥さんに聞いた。

――元号を決める懇談会のメンバーを務め、新元号を「伝統を大切にしつつ、新しい時代をつくることに通じる」と表現しました。

「昭和を含め何度か使われている『和』に、初めてで響きも今までにない『令』という組み合わせから、そう思いました。これは研究にも通じます。伝統というか、知識の成果、蓄積がないと研究は始まりません。加えて、常識、通説、通念に疑問を持ち、違うのではないかという試みを続けることが大切です」

――平成の30年間、生命科学は大きく進歩しました。

「平成の少し前から、米国を中心に遺伝子工学が発達したことが非常に大きかったと思います。平成に入ってゲノム(全遺伝情報)解析技術が予想をはるかに上回る速度で進み、後押ししました。一方で、昭和の終わりぐらいは、がんが10年、20年で完全に克服できるとも予想されていましたが、まだ日本の死因の1位です。科学の進展は予想しにくいものです」

――何が技術発達の原動力になったのでしょうか。

「米国を中心にバイオ関連のベンチャー企業が次々に生まれ、バイオや医療が投資対象になりました。その影響で製薬、創薬を中心に、それまでの何倍、何十倍も速く、研究開発が進むようになったのです。昭和のころの医学研究は職人的な技術や、アイデアを持つ研究室が成果を上げていました。技術が進み、お金も集まるようになり、やり方が変わりました。ひとつの遺伝子を時間をかけて探すのではなく、かたっぱしから解読する手法です。お金と人をつぎ込み、ブルドーザーのように一気に進む研究が広がりました」

――研究室のトップが企業経営者のようになってきましたね。

「平成初期の日本の有力研究室は、自前ですべてできました。いまは、すべてを理解し自分たちだけでやるのは不可能です。チーム力というか、個々の技術を持つ人をバーチャルにつなげ、巨大な組織にして、一日も早く進める能力が求められています。日本の苦戦は、大学の研究者がそういう研究のやり方が苦手で、一国一城の主(あるじ)という研究室の枠を超えられないこともあると思います」

――科学の進歩で寿命が延び、社会的な弊害も指摘されます。

「私たちは平均寿命と健康寿命の差を1年でも短くすることを目指しており、ただ寿命を延ばす研究はしていません。30代の初めのころ、留学先の米国の指導者がこう言いました。『シンヤ、一生懸命研究すると、心筋梗塞(こうそく)で亡くなる人は減るだろう。個人にはいいことだが、社会として本当に幸せなのか』。当時、そんなことは政治家とかに考えてもらえばいいと思い、一生懸命研究することしか考えませんでした。それから25年。医療技術の発達もあり平均寿命は延びました。教授の定年も65歳になり、将来は70歳になるかもしれない。若者の職を奪うことになりかねません。どこの組織でも同じです」

――iPS細胞研究所も9割以上が有期雇用だそうですね。

「有期雇用が多いのは、研究所の財源のほとんどが期限付きだからです。でも研究成果を実用化して患者さんに貢献するには、長い期間がかかります。そこで、長期支援をしてくださる応援団が必要になるのです。寄付を募って、長期雇用するための財源や、若手研究者の育成、知財の確保や維持に使っています」

――若手とシニアの研究者の役割分担をどう考えますか。

「これまで日本は人生が1サイクルという考え方が中心でした。教育を受けて会社に入り、終身雇用で、定年後に20年ぐらい生きる。単に定年を延ばすと、若い人にしわ寄せがいき、ゆがみが生じます。シニアは2サイクル目の人生を考えるべきでしょう。同じことを続けて若い人と競争するのは、マイナス面の方が大きいです。日本はアイデアや発想より、人脈とかが重視されるから、研究費の獲得でも年長者が有利になります。若い人と競争するのではなくサポートにまわり、メンター(助言者)的な役割を果たしていきたいと思います。同じ業界でなくてもよいのです。人生経験は生きますから」

――日本の研究開発力の低下が深刻な問題になっていますが、その解決にもつながりますか。

「研究力の低下は、非常に大きな問題です。研究はアイデアや想像力が非常に大切です。この能力は若い方が非常に高く、年を重ねると減ります。特に基礎研究で新しい概念を打ち出すなら、若くて優秀な人に早く独立した研究室を持たせ、自分で自由に差配できる研究をしてもらう必要があります。しかし、独立したもののサポートが受けられないと、研究以外の雑事に忙殺され、才能がつぶれる危険性が高くなります。経験やマネジメント能力は年齢を重ねることで得られますから、シニアがサポートして若い人が研究に集中できる組織や体制を作ればいいと思います」

――学者が研究に使える時間の少なさも問題ですね。

「日本は研究者に高い事務能力が求められますが、研究能力とは必ずしも比例しません。米国ではそこまでは求めない。事務仕事をサポートする人がおり、その分、創造性が求められます。米国の研究者は一見、暇そうに見えます。夕方5時、6時になると帰り、夏に2、3週間休みます。成功したら、いい家に住み、ポルシェとかに乗っている。学生が研究者に憧れる雰囲気にあふれています」

――研究者を魅力ある職業にすれば、優秀な若者が増えますね。

「ただ目利きが難しいのです。大きな可能性がある研究者かどうかは、短い申請書ではわからない。過去の業績は評価できても、新しいアイデアや人となりは評価できません。しっかりした人は5年間成果がなくても支援する価値があります。研究には作法があります。失敗や予想外の結果もしっかり記録に残して解析している研究者であれば、その繰り返しにより驚く成果がでることがあります。そういった努力は書類だけではわからないので、組織が日常的に客観的な評価をしないと、埋もれている才能を発掘できません」

「例えば大学院生の時に有力科学誌に論文が載った人は、書類上は素晴らしい評価となります。でも運良く研究室が蓄積した成果が出る時期だっただけかも知れない。地味な雑誌にしか論文がなくても、きちんとしたビジョンを持ち、自らアイデアを考え、実験した成果がある人の方が、将来活躍する可能性が高いのです」

――働き方改革の時代、研究者の意識改革も必要でしょうか。

「先日、大学院時代の恩師にお会いして『あんまり無理するなよ、体に気をつけなあかんで、適当に手抜きや』と言われ、すぐに『あっ、心配せんでも、あんた昔から手抜くの上手やったな』と続けられました。ばれてた。研究においても、ワーク・ライフ・バランスは非常に大切です。大学院のころ言われたのは、普段はいいけれど、ここっていう時があるんや、そこでがんばれるかどうかで人間の価値が決まる、と。研究者はプロです。スポーツでも、将棋や囲碁、芸術でもプロの世界は、ここという時に頑張れなかったら負けます。遅くまで職場にいても、見せかけの頑張りでは、健康にも家族にもよくないと思います」

――「プロ」から見て、近年の科学の進歩をどうとらえますか。

「生命科学は、研究が飛躍的に進み、遺伝子の書き換えもできるようになりました。全人類の知能を上回るAIも登場するでしょう。原子力はすでにできてしまっています。私たちは、地球の40億年あまりの歴史において、クリティカルな時代にいるのではないでしょうか。人間はわずか数十年で深海にも宇宙にも行けるようになりました。地球が始まって以来のモンスターです。科学技術に携わる者として、今を生きる人々の幸せも大切ですが、長い目でみて、地球の運命を左右する大変な時代にいると自覚しています」

――令和はどんな時代になるでしょう。

「いまは山頂で、どちらかに転がってもおかしくない状況だと思っています。科学技術は両刃(もろは)の剣です。iPS細胞の発見もパンドラの箱と言われることがあります。これからが幸せになるのか、とんでもないことになるのか。令和は、どっちに行くかが決まる時代になると思います。いったん決まると逆戻りはとても難しいでしょう。1万年後、今を振り返る知的生命体が地球に残っていれば、『2030年、2040年くらいがターニングポイントだったね』と思うかも知れません」

(インタビュー 新時代・令和)分水嶺の科学技術 京都大学iPS細胞研究所長・山中伸弥さん|朝日新聞デジタル から