2022年4月21日木曜日

記事紹介|未来に向けた直視を

2022年3月末で、常勤職としては大学を離れたので、このブログも、一区切りとしたい。長く、大学教育や科学技術について論じてきたが、2000年代から、世界的な競争の中で、我が国は地位を落としてきたという残念な思いが強い。その間、国による財政支出が抑制され、大学の教育研究は、より短期的な成果を追い求め、産業との連携に時間を費やし、時間の面でも未来への投資余力を失ってきた。その結果、我が国の大学は相対的な地位の低下を招き、欧米を中心とする世界の潮流から取り残されつつある。その程度がいかほどなのかについては、立場によって見方が違うかもしれないが、全体的な構図としては、国公私立大学を問わず、危機感を抱かざるを得ないだろう。

4月18日の日本経済新聞の朝刊のトップ記事は、「私大、4分の1が慢性赤字」というものだった。経営赤字への危機意識が希薄で、教育研究への投資が行えず、いずれ遠くない将来に、機関として質の維持ができず、最終的には存続が難しくなると見ている。既存の大学が国の規制に守られる一方、規制の壁で抜本的な変革が行えず、ミネルバ大学のような新しいタイプの機関が生まれないことも、我が国の根本的な問題だとしている。指摘されていることは、従来から、論じてきた内容と重なるので、全く賛成だが、黒字の大学も、一皮むけば、単に後任不補充で人件費を抑制し、コロナ禍で予算執行ができなかった、古い設備の更新を先送りしたことで、黒字を計上しているというケースも多い。また、執行部による投資の判断が、未来への合理的な投資であるという保証もない。スモール日大は、全国に幾らでもあるからである。

大学改革の必要が叫ばれてから、20年は経っている。確かに成果もあったが、予算の裏付けが長期には得られないために、成果も短期的なものにならざるを得ない。資金が切れて、プログラムが終了すれば、新しい学生はゼロ地点に戻った状態の大学に入ることにしかならない。改革が続かない原因の多くは、金が確保できないという単純な事実にある。それと同時に、常々、経営者や教職員の業務遂行能力の問題が根底にあると感じてきた。特に、私大については、経営能力の格差が大きいのではないか?真の適材適所が実現するには、国による財政支援と連動した評価システムを整備するしかなかろう。この点も、従来から指摘してきたことである。要は、何ら成果を上げていない理事長や学長には、国の補助金を交付しないことにするしかないということである。期限付きの予算で大学改革を形ばかり推進してきた結果、思うような成果は維持できなかったし、経営人材の本質的な業績評価をきちんとしていないために、運営費交付金や経常費助成の巨額な予算が、大学改革に直接響いてこなかったのである。財政的な事情から、大学全体に投じる資源総額を絞らざるを得なかったために、投資額を増やし続けた中国などとは、成果においても大きな差がついてしまった。一方で、産業界が資金ギャップを埋めることを期待するのは、過大な期待であった。もちろん、研究開発に関しては好事例が山ほどあるが、基本的に、企業は教育には金を出してくれない。企業からの米国等への派遣留学も大きく減ってしまい、その後の我が国の科学技術の相対的な地位の低下と、相似形をなしている。国際的な人の流れが細れば、必ず時差をおいて国際交流・協力への影響が出てくる。文科省は、国立大学の法人化以降、戦略的に国際交流へのテコ入れを行ってこなかったために、図らずも我が国の大学の多くは極端な内向きの世界に没入してしまっている。コロナ禍が収束した後には、従来の枠組みに捉われず、機敏に動く必要があろう。

以上、まとめれば、予算、経営人材、経営評価システム、研究力、国際化という課題を解決しない限り、社会が期待する大学改革は成就しないと考えている。小手先の施策でどうなるものでもないので、一度立ち止まって、20年間の大学改革の総括的な評価と課題の整理を行うべき時期であろう。

そのほか、個別的な政策課題としては、大学院博士課程の再生、社会における博士人材の拡大、奨学金制度の再整理(学費の親負担から自己負担へ)、高大接続の在り方(大学入試改革問題の決着)、国立大学法人制度の見直し、私大の整理・統廃合(いわゆる退場システム)、外国人移民の子供への教育機会拡大など、数え上げれば相当数になると思うが、文科省の職員各位には難しい問題から目を背けずに立ち向かってもらいたい。その前提として、既存のシステムが形骸化して、実質的に機能していないことを直視することが不可欠であろう。従来の文科省は、建前に縛られて、現実を見ようとしない傾向があった。未来に向けて健闘を期待したい。

出典:我が国の大学にはどんな課題が残っているのか?|NUPSパンダのブログ