大学設置・学校法人審議会の下に置かれた「学校法人制度改革特別委員会」に有識者委員として参加した。2022年の1月発足で3月まで合計6回、同審議会、筆者のような有識者、日本私立大学協会をはじめとする私学団体の代表者が一堂に会して議論がなされた。
この会議は、「学校法人のガバナンスに関する有識者会議」、「学校法人ガバナンス改革会議」に続く第3の会議である。直前の改革会議の報告書に示された方針については、私学関係者のみならず行政、与党関係者からも内容について見直すべきだとの意見があった。
本委員会に託されたことは、以上の経緯を踏まえつつも閣議決定である「骨太方針2021」に盛り込まれた公益法人改革の一環としての学校法人改革と、その法制化に向けた具体的な論点整理であり、その上での落とし所を探っていったということになる。同時進行で、日本大学の理事長が脱税で起訴され、有罪判決を受けるという状況の中で、私学関係者自身が自浄の意味で決着を図ろうとした一面もあったと思われる。
また、閣議決定以外にも、令和元年の私立学校法改正に関わる附帯決議において、学校法人制度の在り方について不断の見直しが求められていた。なお、本委員会の席上では、令和元年改正の附則において施行5年後に状況の検討と必要な場合の措置を行うことが定められているなかで、なぜそれを待てないのか、という意見も出された。
有識者会議の報告もまた、公益法人の一環としての学校法人への改革要請を受けたものであるが、その一方で、理事会と学長・校長との関係など、大学を中心としたガバナンスのあり方について幅広い検討がなされている。他方で、公益法人改革の方向性には沿いながらも、学校法人への一般原則のストレートな適用になっていない部分も随所に見られ、その分主張としてはやや曖昧さの残ったものとなっている。
これに対して、改革会議の報告は、歯切れがよいとも言えるが、主張としては先鋭的で、後に与党である自民党が自らの「学校法人のガバナンス改革の方針に関する提言」(2022年3月25日)を行い、「私立学校の多様性や実態を考慮せず、改革案として是認するのは不適切と言わざるを得ない」と批判に回ることになった。
新自由主義を脱却する新しい資本主義を提唱する岸田内閣の誕生が10月4日、行政改革を主導してきた塩崎恭久議員がその直後の衆院選挙に予定通り不出馬となった後の12月3日に出された改革会議の報告は、いわば政治的な潮目が変わった中で、私学を中心とした関係者との丁寧な対話、他方で刑事罰に関わる規定の明示という両面での要請を受けて仕切り直しとなった形である。
本委員会の報告では、理事会と評議員会とのガバナンスにおける相互の協力・牽制の関係を前提とした上で、執行を担う理事会に対してより中心的な役割を担わせる、1949年の私立学校法成立以来の構造を維持する形で決着が図られた。「丁寧な対話」の多くは、誰がどのような権限を持ち、誰が誰を選び、監視・牽制をするのかという、チェック・アンド・バランスの見直しに当てられた。実際に私学経営を行っていく上では、制度設計がフィージブルでなければ話にならない。また、議論の過程では、プロとしてガバナンスに参加する会計士や監事の役割や権益のあり方をめぐる駆け引きも見られた。これらは一見技術的な問題に思われるが、実際にはその背景にある「学校法人とは何か」「学校法人に行政はどう関わるべきか」という理念や思想のあり方によって大きく規定される面もある。
今回筆者が指名を受けたのは、有識者会議及び改革会議の双方に関わってない第3者性を持っていたからだと自認している。ただ、筆者は行政改革絡みで言えば「国立大学法人の戦略的経営実現に向けた検討会議」に関連して、職場である国立大学法人東北大学を通じてある程度土地勘を持っていた。
行政改革、そしてその延長線上に私立、そして国公立の双方の大学や学校のガバナンスの改革を迫るロジックには、公的な支援に対してのアカウンタビリティ強化と、卓越として示されるべきパフォーマンスの向上という、小泉政権以来の新自由主義の流れを組む共通の枠組みが用いられてきた。ここにおいて、しばしば外圧として参照されてきたのが民間企業であり、この論理は、半分以上は、守旧派的な既得権力にあたる教学という専門職集団に向けられてきた。ここにおいて、経営や執行を担う理事長や学長は、しばしば教学を牽制する観点からも、むしろ改革によって権限が強化される対象でもあった。
このロジックには、落とし穴がある。過去20年、参照モデルとされてきた民間企業自体が、単純な利益追求やそのための効率化やクオリティ・コントロールという発想から、CSRを基軸とするステークホルダー・エンゲージメントを重視する経営へと大きく変貌を遂げているからである。近年物議を醸しながらも国公私立大学(の法人)にも導入されたガバナンスコードや統合報告書もまた、「真の経営体」というよりは、その先を行く多様なステークホルダーとのエンゲージメントを目指すものであり、もともと非営利が原則で多様なステークホルダーをもつ大学や学校にはむしろ親和的な姿として映ることになったのである。すなわち、ステークホルダー・エンゲージメントの考え方は、大学や学校等の教育関係者にとっては、いわば公教育という公共事業の下請け業者扱いをされるニューパブリックマネジメントよりも、自らの活動への動機付けを自発的に高める上でも、そして、自らの公共性を高揚させる上でもより望ましく感じられる。
現状、本音を言えば、今回の特別委員会でやや唐突に前面に出てきたステークホルダー・エンゲージメント論と、それを通じた評議員会をめぐる議論の再構築は、周到に準備されて理論的な整理がなされたものではなく、付け焼き刃の域をでていない。これは、国立大学の戦略検討会議での「エンゲージメント型大学」の議論でも同様である。「国際卓越研究大学」の合議体の構成員のあり方を巡っての議論においても、学内教職員と学外者のバランスが論点になっており、普遍的な議論の確立にはまだ時間を要する。
もともと植民地コミュニティや大立て者のフィランソロピーと密接に関わって公共性を育んできた米国の私立大学と、私塾など社団としての起源をもつものを含め、理事会がその経営手腕を通じて発展させてきた歴史をもつ日本の私立大学とは、大学自体も、そしてその経営の執行を担う理事会自体も性格が大きく異なる。日本の私立大学は、一学校法人による複数の大学や学校の経営、そして、学生・生徒の進学を巡って指定校推薦による取引関係を有する系列化など、他国にはみられない特質を持つ。
他方で、制度的には第2次世界大戦直後に発足した厳格な非営利組織としての性格が維持されつつ、1975年の私学振興助成法成立によって、経常費補助を制度化する上での公共的性格の再定義がなされている。つまり、日本の学校法人と私立大学は、世界的に見ればユニークな存在であり、簡単に他国に参照すべきモデルを見つけることができない。
現政権の掲げる「新しい資本主義」が、経済界を含め日本社会で幅広い支持を集めて定着するかどうかは、今のところ定かではない。企業経営のあり方として現在は活発に行われているステークホルダー・エンゲージメントが、単なる流行を越えて定着するかもまだわからない。このような限定をした上での話ではあるが、今回の特別委員会の議論とその後を、関係者の間の内輪の利害調整に終わらせることがないようにする上でも、私立大学関係者が、自発的、かつ中長期的な視野に立って、自らの公共性をどのようなステークホルダーとともに高めていくのか、考えるきっかけにしていただければと、切に願う。
出典:ステークホルダー・エンゲージメントと私学の公共性|研究員 米澤彰純(東北大学国際戦略室副室長・教授、総長特別補佐)|日本私立大学協会
*下線は拙者