刺し言葉とは、私が勝手にそう呼んでいるのですが、人をチクチク刺す言葉のこと。
「嫌味」や「皮肉」のことです。
あるとき、こんな言葉が浮かびました。
「嫌味や皮肉でチクチク刺せば、ひと刺しごとに相手は離れる」
もしその相手に無関心だったら、嫌味も皮肉も言わないでしょう。
嫌味や皮肉は、もっと自分に関心をもってほしいから言ってしまうようです。
例えば、いつも仕事で遅くなる恋人に待たされている人がいるとします。
我慢し続けていたけれど、あるとき自分の感情をコントロールできなくなって、爆発してしまった。
「そんなに仕事が好きなら、仕事と結婚したら」とつい言ってしまった。
恋人を少しでも自分に向かせるために言ったひとことだったけれども、結果は逆に出るのです。
このようにチクチクと人を刺せば、相手は痛いから離れます。
離れた相手を取り戻そうと、嫌味や皮肉を言えば言うほど、相手はどんどん離れて行ってしまうわけです。
よく考えてみると、最初はその人を追いやりたかったのではないはずです。
「もっと近くにいてほしい。もっと一緒にいたい」と願っていたはずです。
その目的を考えると、嫌味や皮肉は目的に近づくどころか、逆の作用でしかありません。
このように、恋人や結婚相手など特定の個人に向けられる刺し言葉のほかに、「相手が誰でもいい」という刺し言葉が存在します。
例えば、会議や何かの集まりなどで意見交換をするときなど、自分から何かを提案することはないけれど、他人の提案には“ひとこと”を言う人がいます。
はじめは笑っていた参加者も、それがからかいや嫌味、皮肉でしかないとわかると、しだいに笑わなくなり、重苦しい雰囲気になっていきます。
そういう人に限って「自分のユーモアやウィットが受けた」「みんなを楽しませた」と勘違いするようです。
重苦しい雰囲気には気づかず、いつまでも同じことを繰り返すのです。
こういう人の特徴は、人の発言をいつもじっと待っていることです。
そして、考え方がいつも否定的であること。
建設的ではないことが大きな特徴です。
さらに、そういう人の言葉は、他の発言者を傷つけるものでもあります。
このようなことを繰り返す人は、うつ病の初期であることが少なくないのだとか。
社会に対する敵意や憎しみ、あるいは失望や絶望を感じ続けているのかもしれません。
逆に言えば、自分がそういう発言をしないように気をつけ、心をコントロールすることで、うつ病的な傾向から回避することができるのではないでしょうか。
会話を「でも」「だって」のような言葉からはじめてしまう人は要注意です。
「なるほど」「そうね」ではじまる会話、「でも」や「だって」でとぎれる言葉。
と覚えておくといいでしょう。
人と話すときには、「なるほど」「そうね」を意識すると、自然と会話が肯定的になります。
「伊豆はもう桜が満開で、すごくきれいだった」と明るく話してくれた人に対し、「でも、うちのほうはまだ全然、咲いてないよ」と、私たちは何気なく答えてしまっているかもしれません。
それを「そうね、こっちもきれいな花が咲くのが楽しみだわ」と言ってみてはどうでしょう。
自分の発言からなるべく「でも」「だって」を取り去って、「なるほど」「そうね」と 会話したり、嫌味や皮肉を言わないようにすると、周りの世界が変わってくるような気がします。
《「なるほど」 「そうね」で始まる会話、「でも」や「だって」でとぎれる言葉》
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たとえ会話の内容がどんなであろうと、相手の話を、「なるほど」と言って、まず受け止める人は、人から好かれる人だ。
逆に、相手の話を、「でも、そうは言っても」と、否定から入る人は、人からあまり好かれない。
肯定的に受け止めてから話をすれば、会話が肯定的で明るく進行する。
否定的な言葉から入れば、会話は否定的で暗くなる。
どんな話題でも、相手が誰であっても、まず、第一声は、「なるほど」「そうだね」と明るく受け止める習慣は大事だ。
第一印象も、最初の言葉で決まる。
会話が肯定的であれば、話は途切れることなく、どんどん進み、ポジティブなアイデアが湧いてくる。
「なるほど」「そうね」から始まる会話を始めたい。