スティービー・クレオ・ダービック氏の心に響く言葉より…
わたしにもチャンスがあればとは、よく聞くセリフだが、そう言ってこぼす人に限って、自らチャンスを拒んでしまっている場合が少なくない。
たいていの場合、チャンスというのは、思いもかけない形でやってくる。
それも、自分には荷が重いのではないかと思う大きさで。
しかし、自分の想像を超え、いまの自分のレベルを超えるものだからこそ、チャンスなのだ。
それを、「やったことがない」「できるかどうかわからない」といった理由で辞退する人がいるとは信じられないことだ。
もし、新しい挑戦を提案されたら、すぐさま「イエス」と言おう。
どうやってやるかは、あとから考えよう。
自分に向いているかどうか、できるかどうかなんて、やってみなければわからない。
やり始めてから考えても遅くはない。
えてして、人の才能は、そのようにして開かれていく。
人は、挑戦して初めて、そこにも自分の才能があったことに気づくのだ。
もちろん、理不尽な要求にまで、「イエス」と言う必要はない。
しかし、それが自らの尊厳を損なうものでない限り、イエスと言おう。
新しい挑戦の機会を喜んで頂戴しょう。
そして、いったんイエスと言ったら、まずは、とことんやってみよう。
あなたには、あなたが思っていた以上の、そしておそらくは、あなたに新しい挑戦を提案した人が想像していた以上の才能があったことに気づくだろう。
「そもそもピンチはチャンスでしかないのであって、その乗り切るべき壁も、乗り越えることのできる人にしかやってこない」
元大リーガーのイチロー氏の言葉だ。
「チャンスはピンチの顔をしてやってくる」という。
「大失敗してしまった、もう終わりだ」、と思うような時に、そこにチャンスの芽が隠れている。
「あの失敗があったら今がある」とか「倒産寸前の体験をしたことが今の私をつくっている」というように、ひどい出来事も、後から考えるとそれがあったお陰だったというようなことだ。
《成功は“ランダム”にやってくる! 》(阪急コミュニケーションズ)の中にこんな言葉がある。
『成功者は、偶然の出会い、突然のひらめき、予期せぬ結果などを経験している。
彼らは運命を変えた瞬間のことを振り返り、「あの瞬間がすべての始まりだった」と言う』 何か予期せぬことがあったとき、そこに何か意味があるのかもしれない。
そんなときは、たとえそれが面倒で、損なことであったとしても、その流れにとりあえず乗ってみることも必要だ。
理屈で考えず、野生の勘や、ひらめきを大事に、とにかく行動してみるのだ。 』
チャンスや運のほとんどは人がもってきてくれる。
なぜなら、自分の考えていることは、今までの延長だからだ。
しかし、人からの頼まれごとや、オファーは、自分の想定外のことが多い。
想定外のことは、自分のコンフォートゾーンからアウェイに出ていかなければならない。
人からのオファーは、それがたとえ苦手なことや面倒なこと、損するようなことであったとしても…
とりあえず、その流れに乗ってみることが大事だ。