2011年5月11日水曜日
大学運営への職員参加を進めるためには
菜の花に囲まれた列車の車窓から見える風景はきっとすばらしいでしょうね。
大学運営への職員参加が期待されているほど進んでいない現状を踏まえ、日本福祉大学常任理事の篠田道夫さんは、文部科学教育通信(No266 2011.4.25)において、職員の経営や管理運営、教学参加の必要性について次のように主張されています。
職員の大学運営参加の意義
教員統治の伝統からの脱却
まずは職員参画について明確な課題設定と方向性を示した孫福弘氏の2002年の論文から始めたい。教員統治からの脱却なくして職員の力の発揮はあり得ないことを明確に示すとともに、それは職員の権利獲得のためなどではなく、大学の生存と進化に必須の条件であることを端的に述べている。
「『教員ギルドによる統治』の伝統から抜け出ていない大学組織運営の通念をそのままにして、まともなSDの理念は構築し得ない。大学における職員のあり方を、教員統治下での単なる事務処理官僚(=事務屋)から、政策形成に係わる経営のプロフェッショナルや、教育・学習・研究の現場を支援し実り豊かなものに育て上げる高度専門スタッフなどの新たな定義に向かって、パラダイムシフトできるか否かが鍵となる。それはまた、職員の、権利獲得運動などという矮小なレベルの話ではなくて、21世紀における大学の生存と進化にとって必須条件なのである。・・・そのような認識が『大学行政管理学会』の設立へと私を駆り立てていった」(孫副弘「経験的SD論」IDE、2002年)
職員の教学役職への抜擢
次に山本眞一氏の提起を見ていきたい。
「激変する情勢の下、大学を維持発展させていくためには、もはや古典的な教授会中心の運営では持ちこたえられない・・・」「事務組織は、これまでのような行政処理や教員の教育研究活動の支援事務を中心とする機能から、教員組織と連携しつつ大学運営の企画立案に積極的に参画し、学長以下の役員を直接支える大学運営の専門職能集団としての機能を発揮するよう、組織編成を見直す」「現在の事務局長職は、財務や管理担当の副学長に昇格させることが適当であろう」(山本眞一「改革を支えるアドミニストレーター養成の方策」『カレッジマネジメント』110号、2001年)「教員と職員の間は、明らかに身分格差とも思えるような状況にあり『教授会決定』という錦の御旗のもとに、大学の重要事項は全て教員が決め、職員はそれに従うだけでよいとされていた・・・」しかし「もはや大学は、教員あるいは教員集団の『素人経営』で済ませるわけにはいかない」(山本眞一『大学力』ミネルバ書房、2006年)
教授会による管理の限界を指摘し、職員の位置付けの向上、とりわけ教学上のポストへの就任による教員との対等な協働関係の構築を提起した。
職員からの経営トップへの登用
清成忠男氏の提起は、教員と職員は対等であることを前提に、職員は経営トップを目指すべきだし、経営のプロとして職務の連続性が認められるというものである。
「教員と職員は車の両輪であり、対等の関係にある」「職員は・・・どのような職種においても、企画力が求められる。動機付けと達成経験を繰り返し、自己形成的に企画力を蓄積させることが必要で・・・大学運営のプロを育成することが望ましい」「長期的に見れば大学法人の内部から専門的経営者を登用することが望ましい。その際、CEOには、教員よりも職員のほうからの登用が期待できる。それというのも、職員としての大学経営のプロと専門的経営者の間には連続性が認められるからである。登用への道が明確になれば、目標ができ職員の励みになる」(清成忠男「変化の時代には、変化対応の人事が求められる」『カレッジマネジメント』140号、2006年)
教員・職員同数の役員構成
筑波大学の吉武博通氏も、同様に対等関係を強調した上で、役員は教・職が同数程度で構成するのが理想とし、強固な協力関係で教育や経営にあたる職務構造の構築が不可欠だとしている。
「まず、大学が職員に何を期待すべきかについて考えて見たい。1)経営スタッフとしての役割、2)教員と協力して教育・研究を企画・推進する役割、3)将来の経営予備軍(役員候補)としての役割、の3点ではないだろうか。・・・筆者は、役員ポストを教員出身者と職員出身者が同数程度シェアし合い、それに若干名の学外者を加えるのが理想的なトップマネジメントの構造ではないかと考えている。職員のゴールとなる役職到達点が部長までとか課長までとかあらかじめ決められていては、志の高い人材は集まらない・・・。教員が主役、職員は脇役と言う図式を払拭し、・・・協力して教育・研究や経営に当たるという職務構造を作り上げていかなければならない」(吉武博通「プロフェッショナル人材にどうやって育成するか」『カレッジマネジメント』133号、2005年)
職員は分野が違うだけで対等
川本八郎氏(前立命館理事長)は、職員出身のトップの立場からさらにストレートに提起する。
「大学職員のあり様というものを、我々は根本的に考え直して、職員の力量向上、言い換えますと職員が学園の全ての分野において主要な主人公として登場する大学を作らなければだめであると考えます。大学の職員は先生の下僕ではありません。立場が違うけれど、自分の仕事に堂々と確信を持って提起しなければだめです」「学部長は選挙によって2年か3年で交代します。では総体としての大学の社会的・歴史的な視野から学生実態を、誰が整理・分析し、問題を提起するかといえば、私は事務局であると思います。事務局ということは職員です」(川本八郎『21世紀の大学職員像』かもがわ出版、2005年)
「車の車輪」論の実態化
最後に私自身のこの問題に対する主張を載せさせていただく。
重要なのは「職員は学園・大学の意思決定過程に参加し、ふさわしい権限を持って責任ある業務を遂行するという点だ。これなしには、いかに素晴らしい業務提案も実際の大学運営、戦略遂行に生かせないばかりか、事務局の主体性も、自覚も成長しない。教員のみを中心とする運営から教職のコラボレーションによる改革推進へ、明確な転換が求められる。
職員参加には、経営組織参加、数学組織参加、政策審議組織参加の大きく3分野があるが、最もハードルが高いのが数学参加だ。その背景には、『教授会自治』の理念や、職員の人事権が理事会にあり、形式的には学長ライン系列にない点などがあげられる。しかし、大学教育も教員の教授労働と職員の教学業務の結合によって成り立つ以上、職員組織がきちんと意思表明でき、率直な提案が出来る運営が望ましい。こうした職員の位置づけによって、大学改革のテーマを共に担う、真の教・職協働の前進、改革の前進へと繋がる。・・・現場業務に従事する職員が把握する問題点やニーズを踏まえる事なしに、真の改革的な、現実問題に立脚した戦略形成は不可能である。そしてそのためにも、事務局の問題分析力量や政策形成力量が厳しく問われる」「職員の位置づけや役割の重要性の提起から、経営組織や大学機構への職員参加のあるべき姿、そこでのポストや権限など具体策が不可欠だ。これを語らない職員論には限界がある。『車の両輪』論を学内機構に実体化する取り組み、方法論なしに、職員の主体性の確立、急速な力量形成、真の教職協働は難しい。・・・教学との関係では、現在副学長など重要ポストへの職員配置は徐々にではあるが広まり、大学各機関への職員参加も前進しつっある」(篠田道夫『大学アドミニストレーター論』学法新書、2007年)