「母さん用意してくれた舞台…」負けないで、東京で吹く(2011年5月15日 朝日新聞)
震災から1カ月後の4月11日、津波に流された岩手県陸前高田市の自宅跡に立ち、トランペットを奏でる少女がいた。その少女が東京都内で今月20日に催される被災地支援のチャリティーコンサート「故郷(ふるさと)」に招かれた。鎮魂の曲は、あの日、がれきに囲まれながら天国の母らに捧げたZARD(ザード)の「負けないで」。
岩手県立大船渡高3年の佐々木瑠璃さん(17)は、母宜子さん(43)と祖母隆子(りゅうこ)さん(75)、叔母、いとこを亡くした。祖父廣道(こうどう)さん(76)は今も不明。「私は元気。心配しないで」。自宅跡で海に向かい、泣きながら旋律に託した。
写真:朝日新聞
翌日の朝日新聞(東京本社発行)に載った涙を拭きながら楽器を抱きしめる写真を、東京フィルハーモニー交響楽団のトランペット奏者安藤友樹さんらが見た。宮城県石巻市出身でコンサートの呼びかけ人。「写真から悲しい音色が聞こえるようだった。何かのきっかけにしてほしくて」と出演を依頼した。
コンサートに参加するのは、被災地出身者を中心としたプロばかり。最初、瑠璃さんは戸惑った。「私で大丈夫かな」。でも、数日考えて心を決めた。「津波の怖さ、被災者の悲しみが一人でも多くの方に伝わるのなら」と。
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3月11日午後2時46分。
瑠璃さんは学校で吹奏楽部の練習中だった。教室の天井が落ち、校庭へ逃げた。3時21分、宜子さんから携帯電話にメールが届いた。「落ち着いて。あなたはそこにいなさい」
家族が迎えに来た生徒から下校が始まった。瑠璃さんの自宅は海岸から2キロ近く離れていたから、津波は届かないと信じ切っていた。「お母さん、早く来ないかな」
体育館で一夜を明かし、翌日の昼過ぎ、親戚が迎えに来た。「家族は」と尋ねると、言葉を濁された。
親戚宅で待っていたのは、父の隆道さん(48)。自宅2階にいて家ごと流され、窓から投げ出された。流れる畳にしがみつき、がれき伝いに高台へ逃れた。頭と左目は包帯でぐるぐる巻き。ぽつりと言った。「母さんが見つからないんだ」
市嘱託職員の宜子さんは、避難所となっていた市民会館で被災者の世話をしようとした時、濁流にのまれた。
「現実を受け入れられなくて」と瑠璃さん。空っぽの心で天井を見つめる夜が続いた。3月16日に宜子さんの財布、翌17日に遺体が見つかった。布団に潜ると涙が止まらなくなった。
29日に火葬が終わった。気持ちに区切りをつけるため、宜子さんが好きな「負けないで」を遺骨に聴かせようと思い立った。
「私はホルンを吹いていたのよ」。瑠璃さんが9歳で小学校のバンドに入ってトランペットを始めると、宜子さんはうれしそうだった。今も使う楽器はその時、祖母の隆子さんが「ずっと続けてね」と買ってくれたものだった。
2人は演奏会に熱心に来てくれた。「すごくよかった」「次も頑張ってね」。演奏が終わると、宜子さんは必ず声をかけてくれた。
身を寄せる親戚宅から自転車で往復3時間かけ、学校へトランペットを取りに行った。久しぶりに吹いた音色は「初心者みたいにフラフラ」。これでは聴かせられないと、練習して迎えた4月11日だった。
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最近、やっと寝つけるようになった。徐々に、こう思えるようになった。
「亡くなった幼なじみがいる。両親を失い、転校した友人がいる。それに比べれば、私なんて……。この体験を語り継ぐ責任があるような気がするんです」
参加を決めたコンサートも「お母さんたちが用意してくれた舞台なのかも」。
将来は医師になりたいという。「最初は獣医師に憧れたけど、今の目標は救命救急医。人の命を助ける仕事をめざします」
コンサートは新宿区の東京オペラシティで、午後7時開演。入場料5千円。収益は被災地の学校への楽器提供などに充てられる。問い合わせは実行委員会(03・5449・1331)へ。(中川文如)