2011年5月15日日曜日

風化させるな米軍による沖縄支配

今日5月15日は、「沖縄(本土)復帰記念日」です。
第二次大戦後アメリカの統治下にあった沖縄が、「沖縄返還協定」(1971年6月17日締結)に基づき、1972年5月15日午前0時をもって日本に返還されました。


写真:沖縄復帰記念式典(沖縄県ホームページ


沖縄返還についての詳細は、こちら(ウイキペディア)をご覧ください。

きょう復帰39年/今も続く基地の集中 差別の解消は国の責務だ(抜粋)(2011年5月15日 琉球新報)

1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから満39年を迎えた。米国統治の矛盾と不合理の根本的な解決を望んだ県民の期待に反し、現在も全国の米軍専用施設面積の74%が存在する。安保の負担を沖縄だけに押し付ける「差別の構図」は全く変わっていない。
沖縄は太平洋戦争で本土防衛の捨て石にされ、全国で唯一、おびただしい数の住民を巻き込んだ地上戦が繰り広げられた。日米の死者20万余のうち一般県民は約9万4千人に達する。戦後は米軍施政下に置かれ、広大な土地が米軍基地建設のため強制的に接収された。憲法の恩恵を受けた本土と異なり、自治権などさまざまな権利を制限され、戦後も苦難の道を余儀なくされたのが沖縄だ。・・・
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-177096-storytopic-11.html

弱者に押し付ける傲慢 沖縄米軍基地と原発(抜粋)(2011年5月16日 東京新聞)

多くの人が好まない施設を、経済基盤が脆弱(ぜいじゃく)な地域に交付金や雇用、ハコモノなどの「アメ」とともに押し付ける。この構図は沖縄の米軍基地だけでなく、原子力発電所の立地にも共通する。
安全保障も電力も、国民の生命と財産を守り、暮らしを豊かにするために欠かせない社会インフラであることは、誰しもが認める。
本来なら、それに伴う負担は、その恩恵に浴する人々が、可能な限り公平に負担すべきだ。しかし、実際はそうなっていないところに問題の本質がある。
沖縄の過剰な基地負担の上に成り立つ日本全体の安全保障。原発の電力は地元で使われることはなく、多くは人口密集地向けだ。
民主党政権の公約破りは沖縄県民の、原発事故は福島県民や原発立地他県住民の、なぜ自分たちだけが負担を強いられているのかという不公平感を呼び覚ました。
こうした地域の労苦は、負担を直接負ってこなかった多くの国民にとって他人事(ひとごと)であり、負担を押し付けることに、あまりにも無神経で傲慢(ごうまん)だったのではないか。
政府ばかりを批判できない。それを許してきたのは、われわれ国民自身であるからだ。
弱い立場に立つ人に押し付けて豊かさを享受する生き方を、そろそろ改めた方がいいのだろう。基地問題や原発事故の教訓は、そこにこそ見いだしたい。
沖縄の米軍基地も原子力発電所も、今すぐに撤去することは現実的でないことは理解する。それにより雇用が生まれ、地域経済に組み込まれているのも事実だ。
まずは、基地も原発も過渡的な施設と位置付けることから始めたい。その上で、新しい安全保障政策やエネルギー政策を議論し直し、実現のための工程表をしっかりと描かねばならない。
アジア・太平洋地域の安定に実力組織はどこまで必要で、自衛隊と米軍は役割をどう分担するのか。その維持にはどのような施設が必要で、日本国内にどう配置するのか。その際、一地域に過重な負担を押し付けてはならない。
また、原発をいつまで維持し続けるのか。新しいエネルギー源開発はどこまで可能か。電力供給に限りがあるのなら、電力に頼る生活の見直しも避けられない。
国会議員や官僚、専門家だけでなく国民全体が当事者意識を持って議論に積極的に参加すべきだ。さもなくば、基地や原発の問題はいつまでたっても解決しない。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011051602000035.html


日本には未だにアメリカ軍の基地が置かれ、その約70%が沖縄にあります。復帰記念日を通してさらに平和を考える日としたいものです。

(参考)沖縄関連過去記事(大学サラリーマン日記)