議論の限界を知ってこそ(「宋文洲のメルマガの読者広場」から転載)
皆様がこのメールを目にした日の夜に、私は「朝まで生テレビ」に出ます。まだ起きておられたらぜひご覧ください。メイン・テーマは「日米同盟」、「普天間問題」です。あの沖縄県民を「ゆすりたかりの名人」と呼んだケビンさんがスタジオに来られます。
正直言って世界平和の観点からみても日本防衛の観点からみても、私は日米安保はとても大切だと思うのです。総領事と日本部長だったケビンさんがその日米安保を支持するのは当然でしょう。
しかし、同じ日米安保支持であっても立場が違うと支持の理由も違えば支持の仕方も違うのです。大量の民間人が米軍に殺された沖縄県民は日米安保を支持しても、いまだに故郷に響く戦闘機の轟音に耐えられない心情は理解し難いものではありません。
その県民の心情を理解せず、これまでの懐柔策を「施し」として捉え、未だに反対する住民の気持ちを「もっと施しがほしい」というたかり根性として理解する。これこそ占領者と植民者の発想だと思うのは私の考えすぎでしょうか。
かりに一部の県民が補償金の要求で少し苦しい心情を和らげたとしても、それはまた理解しにくい話ではありません。不倫された奥さんが慰謝料の増額を求めるのはゆすりたかりではなく、気持のバランスをとるためです。
一万歩引いて、かりにそれは確かにゆすりたかりだとしてもそれは占領者が言うことではありませんし、言うならばその場所を返してから言うものです。
本日のメルマガは何も日米安保の話ではなく、この立場を乗り越えて相手を理解することの限界について話してみたいと思います。「限界を乗り越える」という精神論よりも、限界を知って補足方法を見出すほうが効率的だと思うからです。
私よりも若く、中国の若者に人気の電機メーカー社長がいます。出井さんと私を顧問に招き入れ、世界進出を夢見るAigo社のFengさんです。
彼は消費者の若者に大いに支持されていますが、社内では「5元のFeng」と社員達にあだ名を付けられています。5元以上の物を買いたくないという皮肉のあだ名です。Fengさんとは家族ぐるみのお付き合いですが、彼は少しもケチではありません。彼が社員も気にしない5元を大切にするのは「ケチ」だからではなく、社員と立場も志も違うからです。
企業の中の議論は本来、共通の結論に到達しにくいものが多いはずです。その理由は立場と志の違いに由来するものです。人間に同じ立場と同じ志を求めることは無理なので自然に議論の限界も生じます。「話せば分かる」というのですが、「話しても分からない」こともあると理解しないといつまでも話だけで終わってしまうのです。
与党と野党の話し合いは噛み合う訳がありません。菅さんに向かって「あなたがいるから与野党連合ができない」と叫んだ「政治記者」がいましたが、政治音痴を晒したようなものです。与党と野党が合わないから選挙があります。リーダーシップとルールの多くは無駄な議論を避けるためにあるのです。
「誰も米軍にきてほしくないから、いままでのところに居てくれたほうが一番いい」。本州に住む私の親戚が私に言いました。みなさんの本音はどうでしょうか。
議論は重要ですが、議論に頼る組織は前進しません。冒頭に批判したケビンさんが「決断できない日本」といつも言っています。悔しいのですが、賛成せざるを得ません。
http://www.soubunshu.com/article/228092412.html