金口木舌(2011年9月9日付 琉球新報)
学生時代のゼミで質問が出た。「戦前、沖縄に高等教育機関はなかったが、戦後は米軍が主導して大学ができた。基地は職場にもなった。米軍施政権下も悪いことばかりじゃないのではないか。」
その時、琉球大の宮城悦二郎助教授(当時)は一言で表現した。「米軍は琉大をつくるために沖縄に来たのではないよ」。学生は皆、はっとした。為政者は民政安定のためにさまざまな策を施す。一端をありがたがって恩恵が大きいと見るのは、木を見て森を見ずの類いだと感じた。
17年前の今日、当時の宝珠山昇防衛施設庁長官が「沖縄県民は基地と共生、共存を」と発言し、県民の反発を買った。翌95年には少女乱暴事件が起き、基地と共存させられる故の現実を見せつけられた。
時は流れて野田政権。「基地との共生、共存」の圧力は弱まるどころか勢いを増しそう。国は米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設について、政権交代後停止していた環境アセスの手続きを再開し来年、埋め立てを申請する見通しだ。
最近、テレビ番組で沖縄出身という若者が「米国文化があったから沖縄の歌手や文化も発展した」という趣旨の発言をしているのを見た。次の瞬間「為政者の目的を考えなさい」と言われた24年前のゼミの光景を思い出した。
米軍基地を押し付け、“沖縄への配慮”をことさら喧伝(けんでん)する施政。歴史は繰り返されるのか。