久々に、山本眞一さん(桜美林大学大学院・大学アドミニストレーション研究科教授)が書かれた論考を抜粋してご紹介します。
職員論の視点に必要なもの(文部科学教育通信 No.309 2013.2.11)
SDに必要な広い視点
大学の事務職員のあり方・育て方が本格的に論じられ始めて十数年が経過した。この間、高等教育をめぐる諸状況はさらに変化し、職員に期待される役割もまた大きくかつ高度になってきた。今や職員を抜きに大学経営を語ることはできないまでに変化し、かつて私自身が大学事務局において体験した「教官の、教官による、教官のための大学自治」は、はるか記憶の彼方に遠ざかろうとしているかに見える。SD(職員の能力開発)は、FD(教員の能力開発)のように義務化されているわけではないが、多くの大学では必要に応じてさまざまな形でこれを実践している。私が2000年に筑波大学で始めた公開研究会は、今も形を変えつつ発展しているようであり、また同じような講演会・研修会は全国各地に広がりを見せている。職員論はきわめて隆盛であるという印象を多くの人々が持っていることであろう。
ただ、職員論の「創始者」の一人として思うには、われわれはここで一段と広い視野で職員論を語らなければならない時期に来ているのではないかということである。職員論は、大学経営における職員の立場を重視し、これによって意欲の高い職員の活動意欲を刺激し、また能力開発も大いに進んだことは喜ばしい。しかし大学は職員のみで動かせるものではない。大学の本来の役割は、知識・技術を研究によって開発し、これを教育によって伝え、またこれを社会の諸活動に応用することによってさまざまな貢献をすることにある。このためには、教員の活動をより活発にすることは欠かせない。大学経営は、大学の目的を達成するための手段であり、このことを忘れた職員論はありえないことをまず認識しておかなければならない。
能力と立場はパラレルに
さて、以上のようなことを述べる理由には、図表1(略)に示したように、職員の能力と学内の立場とはパラレルの関係で向上させなければならないということがある。職員の役割が不当に低く評価されていた1980年代項までは、確かにまず行うべきは職員の学内的立場を向上させることであった。その頃でも、自らが出すぎることなく、黙々と業務に勤しむ職員は少なからずいた。このように勤勉でかつ有能な職員に支えられた管理職や教員は多かったことであろう。しかしそのような職員は、図表1(略)の第四象限にあたる「便利な職員」とも言うべきものであった。もちろん職員本人がこれに満足するというのであれば、これ以上言うべきことはない。しかしせっかくの能力をさらに発揮するには、その能力にふさわしい立場というものが与えられれば、彼・彼女の能力はもっともっと向上するはずである。
他方、第二象限のように、立場の向上のみが先行すれば、それは他の職員の活動やさらには教員の仕事にもいちいち口をはさむ「邪魔な職員」(もし言いすぎであれば「うるさい職員」と修正すべきか?)とでも言うべき存在になってしまう。能力の裏づけがない職員の存在は、大学経営のパワーを減殺する。たとえば国立大学の管理職職員を考えるとよい。かつては管理職という地位自体にある種の能力があった。それは官僚制のなせるわざであり、当時の経営本部とでも言うべき文部省の動向に従い、かつ前例踏襲に心がけることによって、国立大学は結構うまく運営ができたものであった。しかし、法人化後の国立大学はそれでは済まなくなってきている。管理職には経営マインドが必要であり、かつそれれは教育・研究の社会貢献という大学の使命に沿うものでなければならない。管理職にも複合的・総合的な能力が求められるようになってきているのである。
役員・教員も視野に入れつつ
第二に、大学の経営の実態は、役員・教員・職員の協働によって行われているということを認識しなければならない。職員の役割は、もちろん大きなものであると思うが、しかし前述したように職員だけで大学が動くわけではない。職員だけで大学が動くと思うのは、企業で言えば、営業部員の努力だけで自社製品の開発の生産から販売まですべてがうまく回るはずだと思うのと同じくらい空疎な考えである。大学には、重要な経営判断を行い、かつ教職員を取りまとめていく立場にある「役員」、大学業務の中心である教育・研究を担う「教員」の役割も極めて重要であり、それぞれに「職員」が上手に関わる工夫が必要なのである。また、教員集団を取りまとめていく仕掛けにも配慮が必要で、従来からの「教授会自治」の負の側面は是正しなければならないとしても、学部長など「教員出身の管理職」の役割を正当に評価しなければならないであろう。
これを図示したのが、図表2(略)である。大学経営に関わる人材は役員層をトップに、教育の研究を担う教員と大学のさまざまな管理業務や専門的業務を担う管理職・専門職員がおり、さらにこれらを支える「支援職員」の存在もきわめて重要である。職員論にはしばしばこの支援職員の役割を見落とすものがあり、またかつて私自身がそう考えたように、職員はすべてこの支援職員の立場を脱却して、管理職・専門職を目指すべきだという論調が目立っているように思うが、これは実態を踏まえない議論である。たとえば米国の大学には、ファカルティーと呼ばれる教員とこれに対等の立場で関わる各種のプロフェッショナルがいるが、同時に彼らに数倍する支援職員によって成り立っていることを忘れてはならない。
また、わが国の大学では財政基盤の弱いこともあって、正規職員を多く抱えられない事情があるので、単純業務や高度専門業務を外部委託すなわちアウトソーシングする傾向が強まっている。職員論はこれらに関わる人材にも焦点が当てられなければならない。さらに、職員と役員との区分けも大事である。職員の一部が役員を目指すのは悪くないが、役員が行うべき任務と職員のそれとは本来別物であり、人材養成もそれぞれの特性に合わせたやり方があるべきである。ただし、多くの職員が役員を最終ゴールに据えることは、職員のやる気を向上させることに役立つと思うので、念のため。いずれにしても、これからの職員論には、図表2(略)に楕円で示したさまざまな人材を視野に置くことが必要なのである。