前回に続き、名城大学の難波輝吉さんが書かれた論考「大学の活動を可視化するためのIR機能」(大学・学校づくり研究 第2号 2010年3月19日発行)をご紹介します。
3 IRに必要な環境・人材確保と育成の方途
(1)IRに必要な環境
大学の組織を支える基盤は多種多様である。多様化・複雑化する環境下において、大学の組織力強化は重要課題である。しかし、IR組織を設置すれば、あらゆる課題が解決するというものではなく、データ環境、人的資源の有効活用が重要である。IRの環境づくりについて、森(2008)は、IR部局(組織)は、アカデミックとアドミニストレーションのマージナルな場に存在していると述べ、IRに必要なのは部局(組織)ではなく、機能ではないかと指摘している。その根拠として森が挙げているのは、各大学には既に大学資料を収集・管理する部署、入学試験の企画・入試広報を行う部署、将来構想に関わる企画・立案を行う部署などがあり、日常業務の遂行過程で多種多様なデータを集積する機能を有しているという点である。ただし、これらのデータは、体系的に整備されていないことが多く、総合性と継続性が保証されていない。これらのことから、IR組織を設置することに腐心するのではなく、様々なデータ・情報を体系的に集積し、継承していくことに力を入れることを重視すべきであると森は述べている。この指摘は、大規模なデータ集積システムや高度な専門性を有するスタッフに多額の投資をしなくても、IR機能が実現し得ることを示すものであると考えられ、名城大学での筆者による実践から得られた知見とも一致する。これが大学に望まれる「敷居の高くないIRシステムづくり」の重要な要素であると考える。
(2)IRを担う人材に必要な力・育成方法
IRに必要な知識・技術について理論的に検討した Terenzini(1999)は、IRに必要な知(組織的知性)は次の3つの層からなるとしている。
①技術を活かし分析する知:機関の基本的構造、基本的用語・標準カテゴリ、集計手順・方式などを理解した上で、研究デザイン、資料検索、サンプリング、統計分析、質的分析などができる能力。コミュニケーション能力やコンピュータスキルを含む。
②課題に対処する知:機関の意志決定者・経営者が直面している課題あるいは機関の機能や意思決定方式を理解した上で、意思決定は本質的に政治的になされることを踏まえて、目標を達成する能力。
③文脈を掴む知:高等教育全般と自機関の文化、とりわけ、自機関の歴史、政治的構造意思決定プロセスの理解。自機関の環境(地方レベル、国レベル、国際的レベル)の理解。総じて、組織についての実務的知識や知恵。
これらは相互に関連しているものであるが、①と②は、設計された学習プログラム(コースワーク)とOJT(On the Job Training)の組み合わせで修得可能である。これに対して、③は2つの例外(優れた歴史書と直近の自己点検報告書を読むこと)を除いて、OJTによって修得する以外にない(Terenzini 1999,pp.26-28)。
そこで、コースワークによっても修得し得ると考えられる「技術を活かし分析する知」と「課題に対処する知」ついて考えてみると、前者は、データを収集し分析する能力であると言えるし、後者は分析結果を意思決定者に的確に報告する能力であるといえる。IRの出発点はデータ収集であるので、以下、データ収集力、データ分析力、レポーティング力について述べる。
1)データ収集力
IRの出発点は自校のデータ収集である。データ収集力は、これまでにも確認してきたとおり、IRで活動する人材に必要な基本的能力の一つである。これは単にデータを集めるということではなく、データを教育・研究・経営の改善に資する価値創造の源泉とみなすことを意味する。例えば、計算書類(決算書)上に表れるデータは、教育・研究諸活動のコスト情報として有益である。教職員が有する能力や情熱に関する価値を表現することは難しいという限界を認識しつつ、財務データをはじめとするデータを収集する能力が必要である。
データの種類としては、教育研究を支えるインプットデータとしての財務情報、学生の履修状況や課外活動の状況などを示すスループットデータ、教員の研究成果、学生の単位修得状況、卒業者数などのアウトプットデータ、検定試験や資格取得、卒業生の活動など実際の学習成果を示すアウトカムデータなどが挙げられる。
教育・研究・経営活動の分析に必要なデータを定義し、データの一元管理と共有化を行い、共有化したデータを容易に取り出して加工・分析できる環境を整え、有益な情報を流通させることが必要である。正確かつ質の高い情報収集が迅速な意思決定支援に繋げていくことがIRに求められるからである。
2)データ分析力
データは分析されてこそ意味をもつものであるから、データ分析力もIRにとって重要な能力である。データ分析力に関して重要なことは、分析スキルと分析マインドの養成である。分析スキルとしては、統計学が有用であるが、HagedornとCooganの調査からも、名城大学での筆者による試行的実践の経験からも、高度な技法よりも基本的な記述統計の活用が有益であるといえる。教育・研究・経営に関わる指標は、基本的な記述統計を活用することにより開発可能である。
分析マインドは、IRを担う者だけに必要なことではなく、全教職員が日常業務で作成しているデータが保管方法(他のデータとの結合を含む)によっては貴重なデータとなることを認識するところから始まる。日常業務として扱っている教育情報を経営情報に、経営情報は教育情報に変換するという考え方を持ち、経営は教育研究を支え、教育研究の成果が経営に寄与していくことが、大学の使命や目的の達成に結び付いているという認識を共有することが必要である。分析マインドの重要性が認識されなければ、IR組織を設置しても、様々な組織からデータ収集を行うIR組織の円滑な機能は困難となる。
3)レポーティング力
レポーティング力は、データ分析から得られた知見を適切な形で表現し、意思決定支援に資する能力である。データの分析結果を意思決定者やステークホルダーに平易に理解できるよう要約し、教育研究あるいは経営の改善のための代替案(代替案を実施するために必要な資源と得られる効果を含む)を示して伝達しなければならない。このことは、大学における動きを可視化するということであり、大学が掲げるミッション・ビジョンに基づく計画の実現状況を示すものである。自校データだけの把握に留まることなく、外部環境の動向把握や他大学とのベンチマーク分析も含めると、Terenzini(1999)のいう「文脈を掴む知」も含まれることになる。
そして、筆者の経験を踏まえれば、①常に日常業務の中で感ずる疑問や課題に対する強い改善意識を持つこと、②大学の内部環境・外部環境の動向に関心を持って、次の第一歩を考えること、③経験を積み重ね、教員と職員が共通言語で対話できるよう学び続けることの3点が必要である。Terenzini が示す3つの知を統合した「組織を動かす力」も身につけるべき重要な力であると考える。
遠田(2005)は、よき組織コミュニケーションとは、①よき組織メンバーが、②開かれた人間関係の下で、③豊富な語彙を駆使して行うコミュニケーションであるとしている。この観点からも、整理精選された質の高い情報やデータを活用し、意思決定支援を担うIRコーディネーター(仮称)の存在が重要な意味を持つと考えられる。
IRコーディネーターとは、大学を取り巻く外部環境・内部環境の動向や情報に精通し、その行動においてはIRで蓄えた様々な有益なデータや情報を持って執行部等の関係部署及び意思決定をなす立場にある者の所へ出向き、データや情報のエンドユーザーと意思決定者の架橋的役割を果たす者のことである。単にコンピューターの中に存在する情報を流通させるのではなく、データや情報の根幹に関わる内容を説明し、戦略をつくりあげることがコーディネーターに求められる役割と考えられる。つまり、IRは情報を届ける先の名宛人とそのニーズを先に考えてから、必要なデータを入手し、それを活きた情報に変換する「ヒューマンシステム」であるといえよう。最後は人間の活きた行動が極めて重要であると考えられる。(続く)