心からご冥福をお祈りいたします。少し前の記事ですがご紹介します。
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なすべきことはすべてした(産経新聞・産経抄)
兄弟は毎朝、障子の穴から通学する子供たちをうらやましそうに眺めていた。2人はともに、脳性小児まひだった。兄の有道さんは、学校でひどいいじめに遭い、中学2年で退学を余儀なくされる。弟の照彦さんは、小学校に入学すらできなかった。
当時、福岡学芸大学(現・福岡教育大)で心理学を教えていた父親の昇地三郎さんは、2人の姿を見ていて決意する。「自分で学校を作るしかない」。昭和29年、私財を投じて福岡市内に設立したのが、福祉施設「しいのみ学園」だ。
照彦さんを含めた12人が、最初の入園者となった。有道さんは、職員を志願する。小学校に通っていたとき、有道さんを抱いて鐘をたたかせてくれた、「小使さん」が念頭にあった。開園式で有道さんは、「小使」の肩書の入った名刺を、来賓の県知事らに堂々と差し出していた。妻の露子さんは、わが子の成長ぶりを涙を拭きながら見守っていたという。
「父ちゃんありがとう」という言葉を残して、有道さんは39歳で亡くなった。平成9年には露子さん、14年には照彦さん、翌年には兄や弟の面倒を見てくれ、いずれ園長を任せるつもりだった長女の邦子さんにも先立たれる。昇地さんは、96歳で家族のすべてを失った。
「『なすべきことはすべてした』という気持ちで、彼ら、彼女らを見送ってきた」と著書に書いている。昇地さんは悲しみに浸る間もなく、障害児教育について、講演に力を注ぎ、世界中を飛び回った。
100歳を超えてからは、長寿がテーマになることも多くなった。昇地さんの訃報が先週届いた。107歳の大往生である。3年後に横浜で開かれる「国際心理学会」で、「黒田節」を披露するのを楽しみにしていたそうだ。