2015年3月11日水曜日

人の行く裏に道あり花の山

ブログ「人の心に灯をともす」から長く続くこと」(2015年3月2日)をご紹介します。


私が講演会で紹介する資料の一つに、韓国の中央銀行が2008年にまとめた報告書『日本企業の長寿要因および示唆点』に掲載されている「200年以上の老舗世界ランキング」の表があります。

これによれば、世界で200年以上の老舗は5586社(合計41か国)ある中で、その3146社(全体の56パーセント)は日本にあり、日本は断トツの世界ナンバーワンの老舗大国であることが示されています。

第2位ドイツ837社、第3位オランダ222社、第4位フランス196社、第5位アメリカ14社、第6位中国9社、第7位台湾7社、第8位インド3社、その他1152社で、韓国は0社となっています。

同報告書はさらに、日本には創業千年以上の企業は7社、500年以上は32社、100年以上は5万余社あり、これら長寿企業の89.4パーセントは従業員数300人未満の中小企業にあると伝えています。

韓国は近年、政治面ではますます反日政策を強めていますが、本音では一日も早く日本のような老舗が多く存在する国家になりたいという願いを持っているのです。

そのことが、この報告書の文面からも伝わってきます。

この願望は韓国だけではありません。

実は中国でも、東南アジア諸国でも、いや欧米の国々でさえもそうなのです。

老舗をはじめファミリービジネス群は、従業員・顧客を大切にし、長期的に業績を上げていく態度を保持していることから、社会の秩序保持に貢献し、安定した社会を維持していく上で大きな役割を果たしていることが改めて見直されたのです。

日本にはファミリービジネスは586万社あり、全事業所数の99.1パーセントを占め、全従業員数の86.2パーセント強の5059万人を雇用していることになります。

つまり、働く国民の86パーセントがファミリービジネスに所属しているということになります。

この数字は、日本の大企業はファミリービジネスの支えがあってこそ成り立っていることをよく表しています。

ところが日本のマスコミは企業情報を伝える場合、あまりにも大企業中心に偏っています。

大企業からの広告収入で経営が成り立っているマスコミとしては、そうせざるを得ないのかもしれません。

私の経験から言えることは、ファミリー企業の経営者も社員も、その多くは仕事熱心で謙虚な人たちです。

一方、大企業のサラリーマンの中には、実力以上にプライドが高く、組織の力(名刺の力)に頼って生きている人がかなりいます。

その点、規模が小さくなればなるほど、自分の実力で生きていかなければならないことを知っていますから、特に繁盛している事業主は仕事熱心で、自己啓発への自己投資も積極的で、しかも謙虚です。

100年から200年以上も続く老舗が、どうして日本に多く存在するのでしょうか。

その要因は、次の二つを日本の老舗は頑なに守っているからです。

第一は、我が国ではどんな時代にも「継続していることが信用を形成するための第一条件」という考え方が重んじられており、老舗はそのことを骨の髄まで自覚していることです。

「継続は力なり」は、目標に向かってこつこつと地道に努力を続けることの大切さを訴える言葉です。

多くの日本人は継続することの難しさを知り、だから継続している人や会社に敬意を抱くのです。

我が国には自分が決めた一つの道を黙々と生き抜くことを讃える価値観が昔からあります。

そして自分の念い(願い)の実現に向かって真剣に努力を重ねていく人を評価し、受け入れる寛容さが社会に存在しています。

第二は、「人の行く裏に道あり花の山」の言葉どおり、人のやらないこと、やりたがらないことをやり通すという気持ちを老舗ほど持っていることです。

世の中の8割の人は楽な道を選びます。

苦労する道を選ぶ人は2割足らずです。

あえて人の逆を行く道を選び、少数派としての孤独感を抱きながらも独自の専門を確立し、他人がやりたがらない面倒なことを一つひとつ丁寧にやっている人は、事業主として成功していくタイプです。

老舗の経営者も従業員もそういう人が多いのです。


東洋のペスタロッチと言われた教育者、東井義雄先生の言葉がある。

「本物は続く、続けると本物になる」

100年、200年と続く老舗も本物だからこそ生き残るし、長く続くからこそ信用がある。

その場限りの儲けや、自分だけの損得で動いていたら100年続くわけがない。

そこには、常に周囲の喜ぶことをする姿勢、お客様も従業員も大事にする姿勢、誠実さや正直や勤勉さ、徳を積むといった姿勢がある。

「継続は力」であり、「信用」だ。

逆に言えば、何事も長く続かない人には信用がない。

そして、継続することは、頭の良し悪しや学歴、エリートや非エリートとは無関係で、誰にでもチャンスはある。

何か一つ決めたことは、倦(う)まずたゆまず、黙々と長く続ける人でありたい。