幸せになるための生き方、つまり孤高の生き方は、人生とは何かを考え、自分の本当の心、本当の気持ちと向き合い分析すれば、誰もが必ず実践することができます。
中でも「自分という素材を活かして生きていくためにはどうすればよいのだろ」という視点を持つことが大切。
パラリンピックの父であるルードウィッヒ・グッドマン卿は「失ったものに未練を残すな。残されたものを最大限に活かして生きろ」という言葉を残しています。
健常者として生きる人の人生においても同じことが言えるのです。
重要なのは、加算法で生きるという人生哲学を備えること。
人に期待するのは依存心のあらわれですが、さらに元を正せば「あの人には幻滅した」という発想は他者に対して減点法で接することから生じるもの。
人に依存し、何かをしてくれるはずだ、理解してくれるはずだと期待をしていると、してくれなかったときにショックを受けます。
けれど孤高に生き、他者に依存していなければ「家族なのに」「夫婦なのに」「友だちなのに」などと裏切られた気持ちになることなどありません。
自律して期待せず、良い部分だけを見つめて生きれば、すべてのことに感謝して生きることができるのです。
たとえば人に親切にしてあげたいと思った。
このときの心がゼロ地点であるとして、「ありがとう」と言ってもらえるものと思い込んでいるのに言ってもらえなかったとしたらマイナスになってしまいます。
片や「ありがとう」という言葉を端から期待していなければ、「ありがとう」と言われた途端にプラスに感じられる。
同じ事象であっても心の立ち位置によって、見える景色はまったく違うのです。
加算法で生きることは幸せに生きることと直結しています。
そしてまた、加算法で生きることこそが孤高に生きることなのです。
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「他人と過去は、変えられないが、自分と未来は、変えられる」
これは、交流分析を提唱したエリック・バーンの有名な言葉だ。
交流分析のゴールは、自律した人間になること。
こんなに一所懸命頑張ったのに、感謝して“くれない”。
私のことを誰も評価して“くれない”。
誰も私のことを誘って“くれない”。
という、「くれない族」がいる。
くれない族は、相手にこうあって欲しいと期待し、相手の変化を要求する。
つまり、相手を変えようとし、変わらなかったときにがっがりする、減点法の人だ。
加算法の人は、自分を変えることはできるが、他人と過去は変えることができないと知っている。
他人へ過度な期待はしない自律した人。
減点法ではなく、加算法で生きたい。