2019年6月16日日曜日

記事紹介|大学ランキングの順位を上げること自体に何の意味があるのか

日本は逆に、トップ100位以内に10校という目標を立てたにもかかわらず、お金、つまり大学への運営費交付金を削ってきた。政府は大学や研究者を激しく競わせさえすれば自然と力がついて、国際的に評価され、ランキングの順位も上がると考えている。これはまったくの誤解です。

そもそもランキングはその成り立ちからして、お金と深く絡みあっています。この本質を日本政府は分かっていない。主要なランキングは英国企業が発表していますが、これは英国の国家政策を背景にスタートしたものです。ブレア政権(1997~2007年)は行財政改革の中で、教育研究にはお金がかかるから「このままでは大学が財政のお荷物になる」と考えた。そこで授業料を上げて、それを払える世界の裕福な学生をターゲットに、そして寄付もたくさん獲得しようと考えた。

日本政府がやったのは法人化です。しかし目的は「大学に入るお金を増やすこと」ではなく、「大学を財政負担から切り離すこと」そのもの。議論の経緯こそ似ていても、英国とはまったく違うのです。だから法案成立時に衆議院の附帯決議で、「法人化以前の状態を財政的な支援を守ること」と書いてあるにもかかわらず、すぐに運営費交付金の削減が始まりました。

お金を増やす仕組みを作ることなく、ランキング上の目標を立てるというのは、方法としてまったく間違っている。運営費交付金が減った影響で、研究者の数と研究時間は明らかに減っています。そんな中で順位を落としたとはいえ、京大と東京大学が世界トップ100にとどまっているのは奇跡に近い。

(「トップ100に10校」という目標を達成できない)原因は大学のマネジメントがうまくいっていないことだと考えているから。今年の財政制度審議会に出された資料を見れば、財務省は「国立大学はお金、お金というばかりで何もしない」という主張です。だからもっとマネジメントを強化して、競争に駆り立てて、効率的に運営すれば、ランキングもおのずと上がると思っている。

だが、実際にそうしてきた結果はどうですか? 現状を見てください。むしろ順位は下がっているじゃないですか。このやり方はね、どう考えても失敗なんですよ。

そもそも、ランキングの順位を上げること自体に何の意味があるのか。毎年の結果をみると結局、非英語圏の大学は10位以内に入れません。こういうランキングで上位を目指すということは、英語圏の二流大学を目指すということに等しい。それを達成して評価を受けたところで、その国にとって、一体どういう価値がありますか?