人生を見る目を養うことは、すごく、大事なことだ。
若いときだけではなく、老後に至るまで、その長く偉大なる人生の流れを、ずーッと見極めることが大切だ。
人は、とかく、人生の始め、人生の前半だけに、関心を持っている。
高校や専門学校や、大学や、就職に、ひどく神経をとがらせている。
少しでも待遇のよい就職、名門の会社に勤務できれば、
それが、いちばん幸福だと思っている人が、九十パーセント。
人生は、前半がよければ、よい。
困ったことに、これは、まったく、逆だ。
人生は、前半がよくても、後半が悪ければ、なんにもならない。
いかに、新鮮な中トロの寿司をたくさん食べても、最後に、腐った大トロを食べさせられたら、どうか。
人生は、前半ではない。
後半に勝負をかけると、よい。
「人を看るには、ただ後の半截を看よ」
その人の値うちを見るには、「後の半を看よ」。
その人の後半生だけを見ればよい・・・と。
世の中には、ごくまれに、一見、前半も後半もいいという人もいる。
が、よ く見ると、その人は、陰や裏側で、他人に知られたくない苦悩を抱えているものだ。
「終わりよければすべてよし」という格言がある。
これは、シェークスピアの戯曲の「All’s well that ends well」の和訳だと言われている。
物事の結末が大事であり、途中経過は関係ないということ。
まさに、人生も同じで、前半でどんなにいい学校を卒業し、有名な会社に入ったとしても、後半、特に定年後に、何もやることがなく、行くところもなく、朝からテレビばかり見ているような人生だ。
人から必要とされない寂しい人生。
「人生は、後半生が大事」という言葉を胸に刻みたい。