人生がすべて楽しい時間だけになったら、それは退屈な人生となるはずだ。
雨が降らない世界では、雨が止んでビーチに飛び出していく喜びを味わうことはできない。
「流れに身を任せることができるのは死んだ魚だけだ」・・・この言葉を覚えておこう。
死んだ魚ではない私たちは、流れに逆らって泳ぎ続けなければならない。
滝やダムに行く手をはばまれたり、急流に翻弄されたりすることもある。
それでも、逃げるわけにはいかない。泳ぎ続けなければ、流れに飲まれてしまうだけだからだ。
努力は無駄にはならない。
尾びれや胸びれや背びれを必死で動かすたびに、私たちは強くなる。
身体が引き締まり、健康になり、幸せになる。
ある統計によると、仕事を辞めるのは、男性にとって健康上の大きなリスクとなるのだそうだ(この統計は男性のみで女性のデータはなかった)。
実際、多くの男性が、仕事を引退してわずか数年以内で死亡してしまうのだという。
流れに逆らって泳ぐのをやめると、流れに飲みこまれてしまうというのは、こういうことではないだろうか。
だから小さき魚である私たちは、ただひたすらに泳ぎ続けるべきなのだ。
泳ぎ続けていれば、必ずいつか障害にぶつかる・・・それこそが人生の喜びだ。
“成長のチャンス”だと喜ぶべきなのだ。
障害にぶつかって、あなたは強くなる。
弱くなることは 絶対にない。
人生の戦いに終わりはないが、戦いの合間には、しばしの休息の時間がある。
その間だけほっと一息つき、また次の戦いが始まるまでの時間を楽しむ。
それが人生というものだ。
あなたは今どちらの状況だろう。
戦いか、それとも休息か?
うんざりする雨降りか、それとも晴れたのでこれからビーチに向かうところだろうか?
死んだ魚か、それとも元気な鮭か?
人生は、「終りよければすべてよし」だと言われる。
老年になって若い頃より、ますます充実した人生がおくれるという、末広がりに広がる人生が最高だ、ということだ。
しかし、逆に、老年になって、厳しい状況に立たされる人もいる。
仕事を手放し、肩書きを失い、収入が減り、「もう自分の役割は終わったのではないか」そんな思いにとらわれてしまう人も少なくない。
「なんでこの年になって」、と暗澹(あんたん)たる気持ちになるが、それは、「もうひと花咲かせなさい」という神様からのメッセージかもしれない。
組織や会社や、肩書に守られるのではなく、自分の足で立ち、自分で方向を決め、勇気を振り絞る。
老年になっても、「まだ健康で動ける」「この年で働ける」「まだ、やることがある」、と、思える人は、感謝多き人。
豊かで余韻のある人生を送ることができる。
人生は、完結することが目的ではない。
途中の人生を面白がって楽しむこと。
たとえ、目的地にたどり着かない「未完の人生」でいいのだ。
「泳ぎ続けていれば、必ずいつか障害にぶつかる」
それを「成長のチャンス」と思えるかどうか。
いくつになっても、またそこから泳ぎ出すことができる人でありたい。
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