2013年8月31日土曜日

日本の大学の根本的な弱点

山崎元(経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員)さんが書かれた東京大学をはじめとする日本の大学は「品質管理」に集中せよ」(2013年8月28日ダイヤモンドオンライン)のうち、気になった部分を抜粋してご紹介します。



センセイたちにお任せの大学教育 授業の「品質管理」が最大の問題

全ての大学を知るわけではもちろんないが、筆者の知る大学ではどこでも、個々の授業の内容は基本的に授業を担当する教授や准教授に任せられていて、センセイたちはお互いの授業内容に細かく干渉することはない。個々にバラバラの自由が確保された上での、時には過剰なまでに民主的な自治の環境であり、センセイたちにとってはなかなか快適な環境だ。

その結果、授業の内容や質がバラバラになっていることが、日本の大学における最大の弱点ではないだろうか。

学生が自分の将来の目的や知的好奇心に合わせたカリキュラムを選択することができる点が、大学で学ぶことの醍醐味の1つではあるが、たとえば、同じ大学の学部学科の卒業生でも、受けた授業の内容にも学生の学力にも大差がある。

また、複数の授業が連携し合って、必要な知識を修得させないと、「不定型な内容について多様な知的経験を試行錯誤的に繰り返しながら血肉化していく」(浜田東大学長。前出記事より)といった、理想のはるか以前のレベルでさまようだけの役立たずの若者を量産することになるだろう。

近年の東大生ならできるのかもしれないが、「血肉化」以前に、何も身に付かないで卒業する学生が、東大でもかなりの数いるのではないか。

(1)授業と授業の連携が取れていないこと
(2)授業内容が教師に任されていて、専門的な能力を持った第三者のチェックを受けていないこと
(3)教師自体の質の維持と競争環境に厳しさがないこと

この3点がほとんどの日本の大学の根本的な弱点ではないか。つまり、「授業」という大学の根幹をなすサービスの品質管理が、まるでできていない(多くの場合、やろうともしていない!)ことが問題だ。

グローバルかぶれしたカルチャーセンターをつくっても、魅力的な人材は育たない

断っておくが、学生に授業評価のアンケートなどをするだけでは、全く不十分だ。専門家の相互チェックによる授業内容の向上と、複数の授業の連携が重要だ。

また、多くの場合定年まで職が保証されていて、大学教員に競争とチェックが働きにくいことにも問題があるように思う。

質の担保されていない、しかも相互の関係がバラバラの授業を提供する結果、卒業生の履歴書に「○○学部××学科卒業」とあっても、その学生が大学卒業生に期待されている知識を得て能力を養ったかについては、保証はおろか把握さえできていないように見える場合がほとんどだ。

授業の品質管理と相互連携の調整といった当たり前のマネジメントの他にも、日本の大学生は圧倒的に勉強の量が不足しているように見える。「日本版ギャップイヤー」などをつくって遊ばせるよりも、もっと厳しい知的基礎トレーニングを施すべきではないだろうか(その分の授業料は取ってもよろしい)。

留学がしやすく、外国人学生にも便利な「グローバルかぶれしたカルチャーセンター」のようなものをつくっても、真に力のある魅力的な人材は育たない。

もちろんガバナンスも問題だ 大学にも経営学部があるではないか

東大は浜田学長が「秋入学」を掲げたが、学内の論議の結果、当面4学期制を目指すことなどで決着を見たようだ。筆者は「秋入学」がベストの解だったとも思わないので、結果的にはこの方がまだいいかもしれないと思わないでもないのだが、教授会が力を持っていることが、学長のリーダーシップの発揮を妨げている面があると感じる。

私立大の場合、経営を司る理事会と自治的組織である教授会の力関係は様々のようだが、少子化で学生が減る中で大学のブランド価値を高めて生き残っていくためには、トップダウンでスピーディな動きが可能な経営的ガバナンスの確立が不可欠ではないだろうか。

多くの大学に経営学部、ないしは経営学科があって、組織の意思決定やガバナンスの問題を研究し、教えもしているはずなのだが、大学自身の経営にこうした知見が生かされたという事例を、筆者は聞いたことがない。

いずれにしても、どの大学も、卒業生の質に対してどのようなシグナリングを果たすかが、企業を中心とする「外部」から見た場合の大学のブランド価値を規定することに、もっと自覚的であるべきだろう。

付け加えるなら、東大が世界ナンバーワンの評価を得る大学になることは難しくあるまい。突出した学力の学生以外入学させず、その上で徹底的に学生を鍛えて、基準に達しない者は卒業させなければいい。

もっともそのためには、まずはセンセイを鍛えるなり、入れ替えるなりしなければならなくなるだろうし、それを可能とするガバナンスの仕組みとリーダーが必要だ。確か、東大の経済学部にも経営学科はあるはずだ。