2015年7月5日日曜日

国立大学長会議における高等教育局長説明ー国立大学法人等の組織及び業務全般の見直し

(続き)

「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」について

6月8日付で通知した「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」は国立大学法人法に基づき、平成28年度からの第3期中期目標・中期計画の策定に資するため、国立大学法人評価委員会の意見を聴いた上で、現在の第2期における国立大学法人の組織及び業務の全般にわたる検討を行いとりまとめたもの。

その内容は、組織の見直し、教育研究等の質の向上、業務運営、財務内容など多岐にわたるが、いずれも第2期、特にその後半の改革加速期間における取組の進捗や、国立大学に対する社会の期待・要請の高まり、今後の高等教育政策、科学技術・学術政策の方向性などを踏まえたものとなっている。

すなわち、大臣から説明があったように、国立大学を取り巻く様々な改革は、教育面、研究面、経営面など各面にわたって相互に有機的なつながりを持って進められているので、本日のこの会議を通じて、政策全体の大きな方向性を十分認識していただいた上で、各大学における第3期中期目標・中期計画の検討をお願いする。

特に、組織見直しについては、「「ミッションの再定義」を踏まえた速やかな組織改革に努めることとする」とした上で、教員養成系及び人文社会科学系の学部・大学院について、「18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよ う努めることとする」としている。

ミッションの再定義」を踏まえ、教員養成分野については、今後の人口動態・教員採用需要等を踏まえ、量的縮小を図りつつ、教員の質的充実のための機能強化を推進することとされ、具体的にはいわゆる「新課程」の廃止等、組織編成の抜本的見直し・強化を推進することが必要と考えている。

また、人文社会科学系については、養成する人材像のより一層の明確化、身につける能力の可視化に取り組み、既存の組織における入学並びに進学・就職状況や減少傾向にある18歳人口動態も踏まえつつ、全学的な機能強化の観点から、定員規模・組織の在り方の見直しを積極的に推進し、強み・特色を基にした教育・研究の質的充実、競争力強化を図ることが必要と考えている。

文部科学省としては、教員養成系・人文社会系の学問が重要でないと考えているわけではない。また、すぐに役立つ実学のみを重視しているのではない。

今日のように、変化が激しい時代においては、すぐに役立つ知識・技術はむしろ、陳腐化のスピードも早いと言える。予測困難な社会において、答えのない問題に対して主体的に取り組み、解を見出していく上では、リベラルアーツにより培われる汎用的な力の育成が重要であると考えられる。

文部科学省は、教員養成系や人文社会系の学問が重要か重要でないかを問うているのではなく、大学において実践されている教育研究の質を問うているということ。

先程、ご説明した高大接続改革は、高等学校教育・大学教育・大学入学者選抜を一体として見直す改革である。変化が一層激しくなる社会、先を見通すことが一層難しくなる時代には、従来の教育の在り方では通用しなくなる。教育の質の転換が必要。
  1. 大学教育を通じて学生にどのような力を身に付けさせて卒業させるか
  2. そのためにどのような教育を実施するか
  3. 教育を実施するに当たってどのような学生を受け入れるのか
という点について、一貫した観点を持って教育を行うことが必要であることは、先ほど申し上げた通り。

このような教育の質的転換が求められる中で、そのための組織は、今のままでよいのか、特に教員養成系や人文社会系は今のままでよいのか、というのが今回の通知の趣旨。

教員養成系や人文社会系は、他と比べて、相対的に学修時間が少ない、また、卒業時に身につけるべき資質・能力が明確にするようなカリキュラムや学位授与の方針が必ずしも明確になっていない、などの課題がある。こうした課題を克服し、教育の質的転換を図るために、養成する人材像、身につけるべき能力などを明確にし、入学・進学・就職状況・社会のニーズを踏まえた特色ある教育研究を展開できる組織になっているかという観点から、課題を真摯に受け止め、大学教育改革を踏まえ、徹底的な見直しを行っていただきたい。

教育の質の向上に向け、具体的には、以下の4点について特に取り組んでいただきたい。

1つ目は、教育方法の改善。
アクティブ・ラーニングの充実、特に、少人数のグループワーク、集団討論、反転授業などの教育方法を実践することが求められる。

2つ目は、教育課程の体系化。
ディプロマ・ポリシーに基づき、学生が修得すべき力を身に付けられるようにするためには、個々の授業科目の関連を明らかにした体系的な教育課程を編成することが必要。また、科目間の関連や科目内容の難易度を表現する番号をつけるナンバリングなど、教育課程の構造を分かりやすく明示する工夫が必要。併せて、授業科目の整理・統合を通して、教育課程の体系化を図ることも重要。

3つ目は、教員の教育力の向上。
大学教育の質的転換のためには、授業内容やその実施に関わる教員の組織的な取組が必要であり、FD(ファカルティ・ディベロップメント)の充実等が求められる。

また、研究面だけではなく、教員の教育面での優れた業績を適切に評価することも重要。実質的な教員評価を実施するためには、教員の教育業績の記録を整理・活用するティーチング・ポートフォリオの導入、教員評価の処遇への反映、優れた教員の顕彰の実施等の取組も有効。

さらに、教員の教育活動の支援、大学院生の指導方法の修得や意識の涵養を図る観点から、TA(ティーチング・アシスタント)等の教育サポートスタッフを充実することも求められる。

4つ目は、学修成果の把握・評価。
大学教育の質的転換の断行のためには、学生の学修成果の把握を行い、その分析結果を教育課程等の見直し・改善に結び付けていくことが重要。その際、ルーブリックや学修ポートフォリオ等の方策を活用することも考えられる。

また、大学における学修の質を保証する観点から、成績評価や卒業認定の厳格化も求められる。各大学において、社会から信頼される成績評価・卒業認定の在り方について検討・実施していただきたい。

さらに、各大学において、学生の学修時間、学修行動についての調査を実施し、教育課程の改善につなげることも重要。学生の学修時間の実質的な増加・確保に努めるとともに、大学の教育活動全体の改善に向けた取組を進めていただきますようお願いする。

これら4つの取組を中心とする取組を学長のリーダーシップの下で一体的に進め、組織の見直しも含めた全学的な教学マネジメントを確立することが、大学教育の質的転換には不可欠。その上で、学生同士が切磋琢磨し、相互に刺激を与えながら成長する学修環境を創ることで、学修時間の増加・確保や学生の学びの質の転換が実現されると考えている。

また、大学においては、「学生が何を身に付けたか」を重視することが必要であり、その実現のためには、厳格な成績評価や卒業認定等による出口管理の徹底も必要。

文部科学省としては、これまでも、
  1. 私立大学等経常費補助金の制度の見直し
  2. 国立大学法人運営費交付金の運用の改善
  3. 厳格な成績評価を推進する大学への支援
を進め、大学による適切な出口管理に資する取組を推進してきたところ。

以上、申し上げたような教育の質の向上を図るための積極的な組織見直しを含め、各大学においては、強みや特色となるような明確な人材育成目標を持ち、地域の社会的ニーズを踏まえた人材育成を行うよう各大学の機能強化に向けた改革構想について適切に検討いただきたい。もとより、各大学の強み・特色を踏まえた機能強化の構想については、こうした分野も積極的に支援する考え。

その他、業務全般の見直しについてもこの見直し内容等に沿って検討いただき、その結果を中期目標・中期計画の素案や年度計画に具体的に盛り込み、各法人が一層の質的向上を目指し、高い到達目標を掲げるとともに、その目標を実現する手段や検証指標を併せて明記するなど、より戦略性が高く意欲的な目標・計画を積極的に設定していただきたい。

なお、今後のスケジュールとしては、6月末までに各大学から中期目標・中期計画の素案を提出いただき、必要な修正等を行った上で来年1月には原案を提出いただこうと考えている。その後、財務省協議等の手続きを経て、3月には中期目標の提示及び中期計画の認可を行う予定で考えている。(続く)


(関連報道)

教員養成系など学部廃止を要請 文科相、国立大に(2015年6月8日日本経済新聞)

下村博文文部科学相は8日、全国の国立大学法人に対し、第3期中期目標・中期計画(2016~21年度)の策定にあたって教員養成系や人文社会科学系の学部・大学院の廃止や転換に取り組むことなどを求める通知を出した。

通知では、各法人の強みや特色を明確に打ち出すよう求め、組織改革に積極的に取り組む大学には予算を重点配分する枠組みも盛り込んだ。

教員養成系と人文社会科学系については、18歳人口の減少などを理由に、組織の廃止、社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう要請。司法試験合格率が低迷する法科大学院についても、廃止や他の大学院との連合など「抜本的な見直し」を求めた。

(1)地域貢献(2)世界・全国的な教育研究(3)世界的な卓越教育研究-のいずれかの枠組みを選んで機能強化を進める大学には、運営費交付金を重点配分するとした。

国立大学法人は6年ごとに中期目標・中期計画を掲げており、16年春からが3期目。各法人は通知を踏まえて目標・計画を策定し、15年度中に文科相が認可する。



通知は「特に教員養成系や人文社会科学系学部・大学院は、組織の廃止や社会的要請の高い分野に転換する」ことを求めた。

文科省によると、自然科学系の研究は国益に直接つながる技術革新や産業振興に寄与しているが、人文社会系は成果が見えにくいという。国立大への国の補助金は計1・1兆円以上。子どもが減り、財政事情が悪化する中、大学には、「見返り」の大きい分野に力を入れさせるという考えだ。

《小林雅之・東大大学総合教育研究センター教授(教育社会学)の話》
これまで大学は無駄が許容されてきた側面がある。今後は社会の需要に応えるのも大事だ。通知は企業や政治の厳しい意見を反映している。ただ、すぐ成果が出ない、就職率が悪いとの理由で切り捨ててよいか。大学は広い意味の教養を身につける場なのに、工学や経営学など実学が増え、学問の幅が狭まる懸念もある。個々に状況が異なる大学が自主的に判断するべきだ。

産業競争力会議が大学改革を議論していることが象徴的です。大学はカネになる、日本が稼ぐためのタネがある、と考えているのでしょう。でも聞こえてくるのは、いま成功している主に理系の特定の分野に資源を集中させるような話ばかり。

イノベーションとは、予想もつかないところに芽が出るから革新的なわけでしょう。この辺で芽が出るだろうと、誰もが思いつくところばかりに水をやって、革新的な成果につながるでしょうか。理系の中にも、危機感を抱いている人はいるはずです。すぐには成果が上がらない研究もあるわけですから。

ガバナンスのあり方も気になります。学長を選ぶ権限は学外者が多く入る学長選考会議に移り、教職員の投票ではトップになった人が学長に選ばれない事態が起きています。その学長に権限を集中させている。トップダウンで改革を加速させたいのでしょう。

「グローバル化」や「地域貢献」を掲げた新しい学部が、今後各地に次々とできるでしょう。そこに運営費交付金の一部を政策的に配分するためには、何とか違いを見つけて評価し、序列化しなければなりません。機能別に分化を推し進めると、評価は必然的に大変な作業になる。膨大な雑務が生じるだけで、得をする人は誰もいないと思うんですが。

国立大学のあり方を考える争論「文系学部で何を教える」(3月4日付)では、経営コンサルタントの冨山和彦さんが「実践力」を重視、日比嘉高さんが「考える力」に力点を置く論を展開しました。73件の反響があり、うち「実践力」派が8件、「考える力」派が40件でした。「国立ならもっと学費を下げて」というご意見も。格差が広がる中、経済的な理由で進学をあきらめる若者を出さないような「改革」も必要ではないでしょうか。


国立大学 すぐ役立つためだけか(2015年6月10日朝日新聞)

大学は社会にすぐ役立つためだけにあるのか。

文部科学省が全国86の国立大学に対し、今ある学部や大学院を見直すよう通知を出した。特に教員養成系と人文社会科学系の学部や大学院について、見直し計画をつくり、廃止や社会的な要請の高い分野への転換に取り組むよう求めた。

なぜ文系か。文科省は言う。教員養成系は少子化で教員採用が減る。人文社会科学系は社会のニーズに応じた人材が育てられていない。即廃止ではないが、意識を変えてほしい-。

安倍政権は大学を成長戦略に位置づけ、理工系を伸ばし、国際的な競争力を高めようとしてきた。職業教育をする高等教育機関もつくる。求めるのは、大学が社会の変化に応じて、すぐ役立つ人を生み出すことである。

たしかに技術革新や産業振興の要請に応えることは大学の役割の一つだ。文系学生の多くは勤め人になる。社会人としての力を伸ばすことも必要だろう。

国立大の努力はまだまだ足りない。通知は、企業や政府のそんな見方の反映でもある。だが、だからといって効率を求めて、国が組織の廃止や転換を求めるのは乱暴過ぎる。

いまの社会を批判的にとらえ多様な価値をつくりだす研究は、激しい変化の時代にこそ欠かせない。そこから新しい発見が生まれる可能性もある。

国立大は法人化で、国の縛りが緩むはずだった。なのに実態として介入が強まっている。卒業式、入学式での国旗国歌の要請の動きもその一つだ。なんのための法人化だったのか。

国立大の使命の一つは、教育の機会均等の確保のはずだ。学びたい学部がなくなれば、学生は地元を離れなければならない。地方創生の流れにも反するのではないか。社会人の学び直しもしにくくなるだろう。

組織のあり方を決めるのは、あくまで大学自身だ。学問のあり方を考え、多様な立場の意見を広く聞いて決めてほしい。

文科省は各大学の改革への取り組みを評価し、基盤的な予算である「運営費交付金」を重点配分している。

その交付金の規模は法人化以来10年で1割以上減っている。地方の国立大からは「早晩、壊死(えし)する」との声が相次いでいる。このままだと授業料にも跳ね返りかねない。

国立大はどうあるべきか。財政難の下、どこまで国費をあてるか。住民や自治体、学生ら多角的な視点で議論を広げたい。大学は社会全体のものだ。


国立大文系改組 経済優先だけでいいか(2015年6月12日秋田魁新報)(抄)

大学の役割は多様だ。新たな技術を開発し、産業を振興させるのも確かに大事である。しかし、社会や人間を考察・分析する文系の教養や学問も欠かせない。時代が混迷すればするほど、歴史的なものの見方や哲学的な洞察力が求められる。

長いデフレの下、日本は目標を見失っているのかもしれない。安倍政権が主張しているように、再び経済成長を目指せばいいのか。それとも別の道を模索した方がいいのか。これ一つを考察するにしても文系学問の蓄積が必要だ。

文科省は文系学部・大学院の重要性を再認識してほしい。

背景にあるのは、安倍政権が強力に推し進めている大学改革だ。「大学力は国力そのものだ。大学の強化なくしてわが国の発展はない」。安倍晋三首相は第2次内閣発足後の13年2月、衆参両院で行った施政方針演説でこう明言。以後、大学改革を成長戦略の一つと位置付け、各種施策を展開している。

この改革が求めているのは結局、社会や産業界の要請に応じて、大学が即戦力となる人材を養成することだ。

理工系学部・大学院の拡充は科学技術の発展や国際競争力の向上に役立つ。19年度に開学が見込まれる特定研究大学は、まさにすぐに役立つ人材の育成が目的だ。それに比べ文系は、教養は身に付くにしろ、即戦力にはなりにくい—そんな見方が透けて見える。

しかし、大学を単に国や社会が求める「労働力」の養成機関にしていいはずがない。通知が組織改革に積極的に取り組む大学に予算を重点配分するとしている点も心配だ。

予算がつきにくいとなれば、大学独自というより、文科省の意向に沿う教員養成系や人文社会科学系の廃止・転換になる恐れが出てくるからだ。

かつて「物の豊かさから心の豊かさへ」といわれ、最近は、お金より「幸福度」を重視する考え方が注目されている。歴史、文学、哲学といった「文系の知」を大切にしないようでは、社会に不可欠な多様な価値観まで失われてしまうのではないか。


国立大学改革 人文系を安易に切り捨てるな(2015年6月17日読売新聞)(抄)

確かに人文社会系は、研究結果が新産業の創出や医療技術の進歩などに結びつく理工系や医学系に比べて、短期では成果が見えにくい側面がある。卒業生が専攻分野と直接かかわりのない会社に就職するケースも少なくない。

社内教育のゆとりが持てない企業が増える中、産業界には、仕事で役立つ実践力を大学で磨くべきだとの声が強まっている。英文学を教えるより、英語検定試験で高得点をとらせる指導をした方が有益だという極論すら聞こえる。

だが、古典や哲学、歴史などの探究を通じて、物事を多面的に見る眼や、様々な価値観を尊重する姿勢が養われる。大学は、幅広い教養や深い洞察力を学生に身に付けさせる場でもあるはずだ。必要なのは、人文社会系と理工系のバランスが取れた教育と研究を行うことだろう。

文科省は来年度以降、積極的に組織改革を進める大学に、運営費交付金を重点的に配分する方針だ。学生の就職実績や、大学発ベンチャーの活動、知的財産の実用化の状況といった指標を基に、評価するという。

厳しい財政事情を踏まえれば、メリハリをつけた予算配分も大切だろう。ただ、「社会的要請」を読み誤って、人文社会系の学問を切り捨てれば、大学教育が底の浅いものになりかねない。


国立大文系が消滅? 文科省、組織改編促す(2015年6月19日毎日新聞)(抄)

「政府は大学を工場みたいにしたいんですかね。工場やったら設計図通りに製品ができるけど、教育機関ってそんなビジネスモデルみたいにいきません」

京都大名誉教授で、関西大東京センター長も務める竹内洋さん(教育社会学)は文科省が進める国立大学改革への疑問を隠さない。

ここで問題を整理しよう。文科省は今月8日、全国にある86校の国立大に対し、文系学部の廃止などの組織改革を進めるよう通知した。同省の言い分はこうだ。「少子化で子どもの数が減少していることへの対応が必要。日本を取り巻く社会経済状況が急激に変化する中、大学は社会が必要とする人材を育てる必要がある」。財政が厳しいので、国立大に投入する税金を社会的なニーズがある分野に集中的に使いたいという狙いもある。下村博文・文科相は16日、東京都内で開かれた国立大学の学長を集めた会議で「これら(文系学部)の学問が重要ではないと考えているわけではない。だが、現状のままでいいのかという観点から徹底的な見直しを断行してほしい」と組織改編を促した。

ただ、国立大側の反発は強い。国立大学協会会長の里見進・東北大学長は15日の記者会見で、文科省の方針に対し、「非常に短期の成果を上げる方向に性急になりすぎていないか危惧している。大学は今すぐ役に立たなくても、将来大きく展開できる人材をつくることも必要です」と文系学部の必要性を強調した。

文系の学問は、理系と違って技術革新など「国益」には直結しにくい。しかし、竹内さんは「文系の学問から学べる批判する力、洞察する力は、想像力やさまざまな開発につながる」と意義を語る。

竹内さんは厳しい表情を崩さずにこう続けた。「大学が職業専門店みたいになって、学生が就職のことばっかり考えてたら、将来、どないなるやろ? 決して良い結果にはならないと思います。医者が『手術は成功しました』と言っても、その患者は死ぬことがある。手術が成功したっていうのは科学的に成功したことに過ぎないんです。それと同じように『改革は成功したが、大学は死ぬ』なんてことはあってはなりません」

「尾木ママ」の愛称で知られる教育評論家で法政大教授(臨床教育学)の尾木直樹さんに意見をうかがうと、冒頭からかなりお怒りだ。「そもそも、文部官僚の発想自体がおかしいんですよ!」と勢い込んで話し始めた。

「政府の基本的な考え方は、これからの激しい国際競争に勝つには、成果を上げられるところを効率的に伸ばし、それによって日本の苦境を打開しようとするのが狙いでしょう」。官僚らの考えを押さえた上で続ける。「混迷した時代だからこそ、これまでの延長線上にはない新しい価値観を見いだしたり、洞察力を働かせたりして解決の方法を模索する。要は第三の道を探り出すことが重要なのです。そのために役立つものが哲学であり、倫理学、文学、社会学。つまり文系の学問なんです」。スピーディーに結論や成果を求めるだけが学問ではない、と尾木ママは熱弁を振るう。

そもそも文科省はなぜ文系を見直そうとしているのか。「産業界が即戦力を持つ人材を育ててほしい、と求めている」(文科省関係者)ことが理由の一つとされる。安倍晋三政権は大学改革を成長戦略の一環と捉えて理工系の強化を掲げており、経団連も政権の方針を歓迎している。

産業界の本音はどこにあるのか。日本を代表する大手メーカーの首脳に聞いてみると、文系軽視には意外にも批判的なのだ。「国立大から文系をなくそうなんて愚の骨頂です。我々が学生に求めているのは論理的に問題を解決する力、人の話を理解する能力、つまり文系でこそ学べる教養です。英語は話せた方がいいに決まっていますが、人とコミュニケーションがとれなければ、何にもならないじゃないですか。スキルだけ持った学生なんて企業はいらない。必要なスキルなら、入社後に企業側が教えればいい」

産業界全般が賛成しているわけではなさそうだ。むしろ「文科省が大学改革を進めるために都合のいいように、産業界の一部の声をうまく使っている」(大学関係者)との見方さえ浮上している。

「政策を作る官僚たちの意識こそ問題の根源」と尾木さんは指摘する。「官僚たちは、幼い頃からの競争主義から離れられない。競争さえすれば誰でも伸びると信じていて、人間の多様性のおもしろさや、教育の可能性については、『感覚』として分かっていない。その弊害が今、国家を覆い尽くそうとしています」

国家に弊害が及ぶとはただ事ではない。どういうことなのか。「例えば、もし国立大から文系が消えれば、哲学を勉強したいと思う地方の子供は都心の私立大で学ばないといけない。下宿代など教育費がかさみ、地方に住む人たちの経済的な負担が重くなり、地域間格差は必ず広がります。憲法で保障された『学問の自由』なんて奪われてしまう!」

ただ、国立大側にも問題があるという指摘も根強い。国際医療福祉大大学院教授(臨床心理学)で精神科医の和田秀樹さんもそう主張する一人。「僕は国立大文系を廃止しろとは言わないし、受験で数学も課さない私大の文系しか残らないなら、それはマズイと思う。ただ、文科省の言い分が一つの理もないかというと、正直、そうも言い切れない」

「多くの日本の大学の文系がやっていることって、イノベーティブ(革新的)ではない。教授らは古いものにくらいついている傾向が強い。例えば精神分析でいえば、米国の教授は患者を治すため、常に研究してイノベーションしているが、日本ではいまだにフロイトがどう言ったとか教えてるだけのような人が多い」

和田さんが、日本の教授たちの対極に挙げたのが、「21世紀の資本」が世界的なベストセラーになったフランスの経済学者、トマ・ピケティ氏。「主張の新しさはもちろん、インターネットを使って膨大な量の資料を調査したことがすごい。日本の学者はそこまでの調査をやっていますか? 文科省に反対する前に文系は根本から変革すべきです」

竹内さんも大学内部の改革が必要と分かっている。「今回を契機に文系が現代の中でどういう具合にしたらリアリティーを持てるのか、考え直さなきゃいかんね」。けれども、ここだけは譲れないと強調するのだ。「発明や発見っていうのは効率主義の中で出てくるのではなく、遊びみたいなところから出てくることが非常に多い。無駄や隙間を許容しないとダメです。若者の自己成長の芽を摘んでしまったらいかん。教育っていうのは、前の世代が次の世代に渡す『贈り物』みたいなもんや」

効率だけでつくった“贈り物”は、未来を豊かにするのだろうか。



新しい考え方や発想が芽生えるためには、それを可能にする豊かな苗床が欠かせない。その苗床は、ふたつのものから成り立っている。第一は、さまざまな経験や幅広い知識、そして多様な価値観にたいする深い理解である。そうした知見や理解の習得は、みずからの「引き出し」を豊富にしてゆくことを意味している。第二は、知識を組織してゆくことを可能にする、その仕方である。さまざまな観点からものごとを立体的に把握する視座、論理的かつ柔軟な思考といったものがこれに相当するだろう。

とはいえ、その大半は、特定の目的に直結してただちに役に立つようなものではない。もしそのような観点から見たのなら、無駄にしか見えないものであるかもしれない。けれどそれは、秋の落葉を見たときに、それをゴミとしかおもわないような見方である。よい作物にはよい苗が不可欠であり、よい苗を得るためには豊かな苗床が必須であり、そして豊かな苗床はけっして速成できるような性質のものでないことを、あらためて知るべきである。

そうした苗床を養うことが、今日の大学教育が担う重要な役割のひとつであると、ぼくは信じている。多様で豊かなさまざまな苗床を養うこととは、つまり、ひとびとが、それぞれ多様で豊かなかたちに、みずからを育んでゆくことにほかならない。それを支援することが教育機関の役割というものだろう。それは、大学にかんして近年よく語られる二分法──文系と理系、実学と教養、グローバルとローカル、上位校と下位校などといったような──とはまったく関係ない。どんな分野・領域でも、表面的な表れ方はどうあれ、まともな教育であるかぎり、そのような視座を射程に入れていないはずがない。

その役割は、必ずしも大学だけが特権的に担うものではないだろう。しかし同時に、大学というセクターが、もし仮にその役割を担わなくなったのだとしたら、どうだろう? ほかにいったいどんな存在理由があるというのか。

要不要という基準から国が大学教育を弁別しようというのは、本来もちえたはずの多様な可能性をみずから破棄しようとしているに等しい。


国立大 文科省通知の波紋(下) 改革、自らの責任で 石弘光・一橋大元学長(2015年6月29日日本経済新聞)(抄)

 (略)この文書(国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて)は国立大学法人評価委員会の検討結果を踏まえたもので、大学の自主性を重んじるというより政府主導の大学改革の色彩が濃厚となっている。この通知の中には改革を方向付けるのに評価されるべき点もいくつもあるが、看過できない一文が挿入されている。

「組織の見直し」に関連して、「特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする」と厳しい指摘がなされている。

当然のこと、この指摘に関し大学関係者をはじめマスコミも人文社会科学の軽視、衰退につながると反発を強めている。法人化の第3期にこのままの形で突入するのは、国立大学の基盤を揺るがしかねない危険を伴う。

人文社会科学の軽視につながる最近の動きの背景には、2つの要因があると思う。第一に、現在国から2つのルートによって国立大学法人に資金が流れているが、このデュアル・サポートの仕組みに綻びが目立ってきたことである。

経常的な基盤経費に充当される国の運営費交付金は法人化以降年々1%削減の対象とされ、一方その不足分は外部からの競争的資金で補填する仕組みとなっている。しかしながら法人化が進捗するにつれ競争的資金の獲得にあたり、自然科学と人文社会科学の分野で獲得状況に格差が生じ、その結果として自然科学系の学部を持ち競争力のある大学とそうでない大学に二分化されてきた。

元来両分野の研究費の規模はその性格上大きく異ならざるを得ないが、問題は法人化以降その格差が一段と鮮明になったことである。

(略)第二の要因として、アベノミクスを受け科学技術振興やイノベーションなどが重視され産業競争力会議などでも大学改革が議論され、大学に競争力をつけ成長戦略の一環として活用しようとする最近の動きがある。

このことは当然のことながら、成長戦略と結び付き成果が明確になる自然科学の分野に研究費を優先的、重点的に配分しようという政策になる。先の文科省通知にもあるように、最近ではこのような流れの中で、経済界も要望する「社会に役に立つ」という視点のみから大学改革が行われようとしている。

「社会に役立つ」ことは、職業訓練学校に求めるべきで大学に求めるものではない。大学ももちろん、実学や職業教育といった視点からその専門性を生かし社会のニーズと向き合う必要がある。と同時に大学は学問を通じ、その時代ごとの社会的要請とは別に、普遍的に人類の存立・発展、社会経済システムの基盤のために知の創造・伝承を行う場である。人文社会科学こそが、まさにその基礎を築くことになる。

物事に対する洞察力を深め、多様な価値観を尊重し、そして自ら人格形成に努めるために、主に人文社会科学に立脚する幅広い教養こそが不可欠なのだ。相変わらず多発する研究者の様々な不祥事は、まさにこのような教育を若い時期に十分に受けてこなかったことに起因していると思う。

法人化後、大学の自主性がもっと増えると期待していた。しかしこれまでの経過を見るとそれとは逆に、政府の介入の度合いが一段と強まってきたといえよう。

文科省が提起しているような「大学の組織見直し」など、外からの圧力でなく本来大学が自らの責任で遂行すべきものである。このために学長のリーダーシップを強化する仕組みが法人化後次第に整備されてきているのだ。今般の人文社会科学の組織見直しについて、まず大学が自主的に問題点を整理し、必要に応じて改革に乗り出すべき責任があろう。


国立大に文系不要? 「すぐ役立つ」は息苦しい(2015年7月5日福井新聞)(抄)

(略)限られた予算を有効活用するため、国立大は国や地域に有用な即戦力の育成に特化すべきで、費用対効果が分かりにくい人文系は私立大に任せる―。本当にそれでいいのだろうか。

文科省の通知の基になっているのは、昨年8月に国立大学法人評価委員会が示した「視点」案である。盛り込まれた文言を見ると「持続的な競争力」「高い付加価値」「我が国の経済社会の発展に資する教育研究」「イノベーションの創出」など経済的な用語、概念がちりばめられている。

そのうえで教員養成系学部などは「廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むべきではないか」と続く。

こうした方針に対する大学関係者の危機感は強い。その1人で名古屋大大学院文学科の日比嘉高准教授は、近著「いま、大学で何が起こっているのか」(ひつじ書房)で「目先の基準でいらないものを切り捨てていった組織は、起こりうる変化に対応できない」と憂える。

そんな大学に変われば学生も同様の価値観に染まり、国や社会そのものが目先の利益や有用性だけに価値を置く息苦しい場になりかねない。「一見役に立たないけれども実は大切なことが、世の中にはごまんと」あり実際、大学が学問以外にも「実は大切なこと」を学ぶ場になっているとの主張は一般的にも理解しやすい。

それでも国の財政事情からすれば、教員養成系や人文系を残しておく余裕がないと文科省は言いたいのかもしれない。

しかし日本の場合、教育に対する公的支出がそもそも低い。経済協力開発機構(OECD)の2013年版調査によると、加盟国で比較可能な30カ国のうち国内総生産(GDP)に占める割合は3・6%で最下位。子ども1人当たりだと平均を上回り29カ国中12位だが、高等教育の授業料が5番目に高額で家庭の負担がかなり大きい。

これが家庭の経済的な格差が学歴格差を招き、さらに貧困家庭を生むという負の連鎖の一因ともなっている。社会不安につながりかねない問題である。

国立大の改革以前に「国家百年の大計」として、この教育への公的支出のあり方をまず見直すべきだろう。

(略)他大学の関係者の中からは、すでに「文科省の意向に沿わなければ予算を削られる。特に教員養成系や人文系の人件費は削減せざるを得なくなる」と悲観する声も。法人化して国の縛りから自由になるはずが、財布を握られてむしろ文科省の言いなり。それが実態なら真の教育には程遠い。