経営において本質的に大事なことは、たったひとつ。
それは、会社が「生きている」ことである。
「生きている」とは、ただたんに存在することではない。
会社全体が大きな熱を帯び、理詰めで考え、行動し、新たな創造に向かって社員たちの心が奮い立っている。
「生きている会社」とは、そういう会社だ。
生きていさえすれば、目の前にどんな困難が待ち受けていても、きっと未来を切り拓いていくことができる。
生命体としての力強さが、会社という「生き物」の価値を決める。
「GAFA(ガーファ)」と呼ばれるアルファベット(グーグル)、アップル、フェイスブック、アマゾン・ドット・コムなど、米国西海岸のIT企業が世界を席巻し、躍進しつづけるのは、たんに彼らの先見性や高い技術力だけが理由ではない。
彼らは世界のどの会社よりも挑戦をしつづけ、新たな価値を創造している。
「デーワン(1日目)」の初々しくもフレッシュな気持ちと行動を忘れずに、「生きている会社」でありつづけようと、懸命に努力をしている。
一方、日本にいま、どれほど「生きている会社」があるだろうか。
挑戦しつづけ、実践にこだわり、創造に燃えている会社がどれだけあるだろうか。
現実を見れば、挑戦よりも守りに終始し、実践よりも管理に走り、創造ではなく停滞に沈んでいる会社がじつに多い。
会社としては存在していても、実体は「死んでいる」。
大志や理想を脇に置き、目先の利益やROE(株主資本利益率)といった経営数字に振り回され、いつの間にか数字だけを追いかける日本企業が増えていることに、私は大きな危さを感じている。
会社を、数字だけで「いい」「悪い」と安易に判断してはいけない。
最も大事なのは、その会社が「生きている」か「死んでいるか」かである。
「生きている会社」とはどういう会社を指すのか。
それは次の言葉に集約される。
《絶え間なく挑戦し、絶え間なく創造し、絶え間なく代謝する会社》
「生きている会社」とは、未来を切り拓こうとする明確な意思をもち、常に自己否定し、挑戦しつづけ、実践しつづけ、創造しつづける会社だ。
しかし、それだけでは足りない。
じつは、「生きている会社」でありつづけるための鍵は「新陳代謝」にある。
会社は、よく見れば、いらないものだらけである。
新たなものを創造しようと思えば、「捨てる」「やめる」「入れ替える」をタイムリーかつ大胆に行わなければならない。
私たちは、ともすると「つくる」ことばかりに目が行きがちだ。
だが、つくったものは、やがて陳腐化し、価値を失っていく。
古くて価値を失い、凡庸になったものをどう処理するのかは、あまり前向きな仕事のようには思えない。
しかし、じつは本当に大事なのは、創造ではなく代謝なのだ。
創造に長けている会社は、新陳代謝にも長けている。
「創造戦略」と同時に、「代謝戦略」を明確にし、「捨てる」「やめる」「入れ替える」を適切かつ大胆に実行している。
儲からなくなった事業を捨てる、価値のない仕事をやめる、意味のなくなった組織を撤廃する、人を思い切って入れ替えるなど、新陳代謝することに躊躇がない。
代謝を戦略的かつ前向きなものと捉えている。
一方、「死んでいる会社」は著しく代謝が悪い。
老廃物を捨てることができず、新たな栄養分を取り込むことができない。
流動性が低く、会社全体が沈滞し、澱んでいる。
代謝なくして創造なし…。
「生きている会社」になろうと思えば、思い切った代謝が不可欠なのである。
城野宏氏の提唱した「脳力開発」で言うなら、
「生きている会社」とは、現状打破の姿勢の会社。
「死んでいる会社」とは、現状維持の姿勢の会社。
現状打破とは、常に進歩発展を願い、よりよい未来を目指して、たとえ少しでも一歩前に具体的に行動する。
現状維持とは、現状に甘んじ、いつもグチや泣き言、不平不満や文句を言い、まわりのせいにして、結局は動かない。そして、「困った」「出来ない」「難しい」が口癖。
現状打破の姿勢の人は、明るく、朗(ほが)らかで、のびのびとしていて、「愉(たの)しみの人生」をおくる。
現状維持の姿勢の人は、暗く、湿っぽく、いじけて、「嘆(なげ)きの人生」をおくる。
愉しみの人生をおくる人には、他人の利益もはかる姿勢がある。
嘆きの人生をおくる人には、自分だけよければいいという姿勢がある。
他人の利益をはかる姿勢の人には、人が集まり、協力する人が次々現れる。
自分だけよければいい姿勢の人には、憎しみ、バカにする、尊敬しないといったタイプの人々が集まる。
つまり、現状打破の人は、常に「主体的にやる姿勢」があり、現状維持の人は「他人(ひと)頼りの姿勢」がある。
これらのことはすべて、会社の姿勢としても同じ。
生きている会社を目指したい。
生きている会社|人の心に灯をともす から