2012年2月28日火曜日

「体験」と「承認」の実践

社会につなげる人材育成」(日本私立大学協会私学高等教育研究所研究員 岩田雅明)(文部科学教育通信 No.285 2012年2月13日号)をご紹介します。


社会が求める人材

聞き飽きている言葉とは思うが、社会が大学生に求める能力・資質といったものについて改めて考えてみたい。2011年12月に就職情報関連の企業が「学生に求めるもの」というテーマで調査を行っている。それによると文系・理系ともトップは相変わらず「コミュニケーション能力」となっている。2位、3位は文系・理系とも共通で「熱意」、「基礎学力」と続いている。大学教育の中心といえる専門知識はどうかといえば、理系では4位となっているものの、文系では20位と重視される度合いは非常に低いものとなっている。

基礎学力や専門知識といったものは、これまでの大学教育でも養成してきたものであるが、コミュニケーション能力や熱意といった社会力、人間力といったものは、養成の対象とは考えられていなかった。それが最近の低い就職率や、就業後、比較的短期間での高い離職率といった状況が社会的な課題として注目されるようになり、社会の要請と大学教育との間に不整合があるのではないかということがいわれるようになってきてから、大学教育の対象として見直され出したものである。


キャリア教育

大学と社会とのつながりを円滑にするためのものとして出てきたのが、キャリア教育である。働くということを中心にして、自分に合った将来を設計させることをねらいとした教育プログラムである。キャリア教育が注目された直接の契機は、終身雇用の崩壊やフリーターの増加といったことであろうが、大学で教えてくれない人生にとって大事な二つのことは将来を考える方法とお金の儲け方だといわれるように、一般的な感覚としても、将来を考える機会というのは、教育の各段階に応じて設けられるべきであるという意識がベースにあったものと思われる。そして今年度からは、大学でのキャリア教育を義務付ける設置基準の改正も行われている。

現状、全国の大学で様々なキャリア教育が実施されているが、その内容を整理すると3つに分けられるのではないかと思う。

一つは自分を把握するということである。いろいろなアセスメントツールも開発され、それらを使って過去から現在までの自分を見つめ、自分の興味や関心の在り方、適性、強みや弱みといったことを把握するプログラムである。最近はポートフォリオといわれる、行動履歴を集積させて自分の歩みを確認したり、振り返ったりすることのできるシステムを取り入れる大学も増えてきているが、これも自分を把握する手法の一つといえる。

二つ目は、社会や職業を知るというプログラムである。これからの社会の動向について考えたり、OBやOGを含めいろいろな業界の人に仕事についての話をしてもらったりといった内容である。職業興味検査や適性検査などを使って、興味のある職業や適性に合った職業を見つけるといったものも、この範疇に入る。

そして三つ目は、一つ目の自己理解と二つ目の社会・職業理解を重ね合わさせ、自分の将来をデザインさせ、そこに向けて大学生活を送らせるというプログラムである。ここが一番重要であり、一番難しいところである。キャリアデザインシートのようなものを使って自分の将来計画を作成させ、それで終了といったプログラムも以前は見られたが、これではほとんどの学生がキャリアデザインの授業終了とともに、自己のキャリア形成も終了ということになりかねない。重要なのは計画を行動につなげていくことである。このために各大学がいろいろな工夫を実践しているというのが、キャリア教育の現状であると思う。

どのようにしたら計画・理解という段階から、行動に進ませられるのであろうか。一番手っ取り早い方法は強制することであろうが、それは無理であるので、大学の環境、雰囲気を将来に向けて行動しなければならないようにしていくということが考えられる。全学挙げて就職志向、就職支援といったことである。これも確かに必要な要素である。キャリア形成の支援は、継続的・統一的であることが有効だからである。そして実際にこのような方向で進んでいる大学も、次第に増えてきているように感じている。

行動するために必要な力を養成するといった取り組みをしている大学もある。東京女学館大学はコミュニケーション能力や調査能力、外国語運用能力、課題解決力といった有用な能力を「10の底力」と名付け、授業で養成を図っている。前述したポートフォリオといった取り組みも、自分がつけたい力を把握し、その伸び具合を確認できるという点では、同じ方向性を持つものといえる。


梅干し名人と行動力

計画や理解を行動につなげるために、一番必要なものは何であろうか。長年、大学生の就職支援に携わった中で、就職活動に踏み出せない、あるいは踏み出しても一度採用選考に漏れると活動を休止してしまう大学生を数多く見てきた。動く学生と動かない学生の違いは何なのか、ということを考えてきた。表面的な理由はいろいろあろうが、行動の有無を分けているものは自己肯定感ではないかと思う。自己肯定感があれば、困難な事態に陥っても自分なら何とかできるのではないかということで行動が継続できるからである。社会が求めるコミュニケーション能力や熱意・バイタリティといったものも、自己肯定感があれば自ずと身につくものである。では自己肯定感を高めるためにはどうしたらいいのかといえば、「体験」と「承認」という二つのことの実践であると思う。

私事であるが、わが家では毎年、庭の梅の実を使って母親が梅干しを作っていた。ある年、母親が病気で入院をしたため、代わりに私が梅干しを作ることになった。もともと私は手先が不器用で料理は苦手であったので、気乗りがしない面もあった。途中、失敗かと思う場面もあったが何とか干し上げ、出来上がった梅干しを入院中の母親のところに持って行ったところ、母親が、こんな出来のいい梅干しは初めてだと言ってくれた。梅干しを苦労しながらではあったが完成させられたという体験と、母親からの高い評価により、私の自己イメージはこう変わった。「私は梅干し名人だ」と。

学生の自己肯定感を高めるために、大学はできるだけ多くチャレンジの機会を与え、成功したらそれを承認し、失敗したら学びの体験、成長の体験となったという認識を持たせる指導をすることである。また、平素から学生を承認する環境をつくることも大切である。承認には行動を認めることだけでなく、存在を認めることも含まれる。学生の誕生会をしている短期大学があるが、学生は大変喜んでいるという。このような平素の風土が自己肯定感を高める大切な要素である。
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