2008年11月7日金曜日

社会から見た国立大学(2)

前回に続き「国立大学法人における外部人材の活用方策に関する調査研究報告書」のポイントをご紹介します。

大学経営における責任者の不在、論功行賞ではない役員人事を
  • 学長の選考もさることながら、現行法の中では、どのような人に役員になってもらうかという役員会の人選がかなり重要。文科省からの出向でない職員の法人役員への登用を積極的に進めなければだめである。地方採用で国立大学に勤めて長年やってきた人は、その大学のことについては一応のキャリアを持っており、自分のキャリアを高めた人に、法人の役員になってもらう。今の学長選挙というのはどうしても学内意向投票的。だからどうしても選挙対策に貢献した人を役員として周りに置くのではないか。本当にマネジメントなりガバナンスの能力の裏付けがあって、教育研究も一生懸命やった教員が役員として参画しているのかどうか。学内理事としてどういう人を選ぶのか、学外の理事もどういう形で登用するか、これが重要なポイントである。

  • 理事の権限が明確になっていない。事務組織は相変わらず昔のままで、そこに理事という職種が入り込んできただけで、理事のそれぞれの権限が明確になっていない。ある仕事が進んでいるのか、進んでいないのか、役員会で聞いても誰も答えない。誰が責任を持つのかと聞くと、学長が「私です」と手を挙げる。法人の長は学長だが、学長は多忙だから全ての仕事を全部やれるわけはない。そこを執行部である理事がきちんと自分の責任で、自分の仕事がどこまで進んでいるかをきちんと常に役員会なりに報告をして理解を求める必要がある。

  • 国の時代は、財務内容の詳細というのは事務方が握っていた。事務方はできれば、教員側には詳しい情報は教えないというのが本当のところ。それが法人化によりガラリと変わって、役員会の中で財務関係の議論をすることになると、学長も副学長も教員であり、財務というのははっきり言って詳しい話はわからない。そのため依然として、事務方が上げてきた案なりでそのまま通っていく。役員会でも経営協議会でも実質的な議論はやられていない。形骸化している。大学の運営という面では管理機能はあるけれども、大学の経営という視点からの議論が役員会では少ない。むしろ規定の改正ばかりが多く上がってきて終わってしまう。財務内容の勉強とか議論はない。

  • 役員の中に、「大学を経営するとは何か」ということを意識してやっている人達がいない。経営と運営とが一緒になっていて、自分の任期の間、大学が無事に動いていたらそれでいいと思っている。経営というのは違う。きちっとした目的や目標があって、それに向かって船を進めていく、それを意図してやっていくことが経営なのであって、そこにはっきりとした指針と一つの哲学がなければいけない。中期計画はやらなければいけないということはかなり思っているけれども、それをどうやっていいかということが、お金の面も施設の面も、うまく全体をきちんと計画立ててやるということが経営であるということはほとんど知らない。全て文科省に交渉してなんとか予算を取ってきて、それをやるのが仕事だと考えている。もし文科省から予算が出なかったら自分達はどうするかという対案がほとんど何もない。孤軍奮闘を本気でやるのであるならば、学長と密接な関係があって、学長が本気でその人をバックアップしない限りはまず動かない。民間人だとかそんなのは関係ない。要は、学内の意見を聞きながら、バランスを取りながらうまくやっていこうと考えると、本当に歩みは遅々たるものしかない。

  • 理事にも、もう少し高等教育論みたいな基礎的な大学運営の勉強をする機会を作ってほしい。学長はいつも「そうですね。わかりました」と言って終わり。ところが、理事の発言を聞いていると、非常に幼稚な議論を平気でやる。本当にこれが大学の教員かというぐらい幼稚。ここのところに経営権や運営権を与えたって無理。ここのギャップを早く埋めないと。イギリスの場合は、事務官を執行部に取り込む。その執行部の方にはプロフェッサーの称号を与える。皆さんはプロフェッサーと対等であるという仕組みでやる。ところが、日本ではなかなかそうはならない。教員で昨日まで物理をやっていた人が、理事になって、物理はわかるかもしれないけれども、理事は何をやるべきかをわからないまま、ずっと経験則だけでいこうとする。

事務組織改革、業務改革はこれからが本番
  • 役員会が機能を分担し合って、ポイントポイントで能力のある人を配置するということがなければダメだ。そういう点では、職員の役割というのは重要だ。第三者評価、国立大学法人評価委員会、認証評価もそうだが、大事なのはFDと並んでSD。Staff Development、要するに職員の資質開発ということにどれだけ組織的に取り組まれているかという実績が問われる。認証評価においても、教員の資質だけではなくて、職員の資質がかなり重要になってくる。

  • 外部の人の建設的な意見・批判が、全然大学内部の人に伝わっていない。研修して企業の人が「ここをこう変えたらいいのでは」と問題提起しても、みんな下を向いている。彼らの腹の中には「そんなことを言ったって、規則があるからできないし、そもそも学長や理事や部課長にやる気がないではないか」という気持ちや理屈がある。制度を変えるとか、本当に外部でやっているようなことをしたいと若い人は思っている。だけど係長や課長、そういう人達が全然聞いてくれない。なぜかと煎じ詰めていくと、部課長は、文科省人事で回っていて、改革なんてやってもやらなくても同じじゃないかと思っている。もっと煎じ詰めていくと、実は学長が、経営のビジョン、事務改革、人事制度改革についてのビジョンを持っていない。外部の人の建設的な意見を取り入れて、脇に落ちてみんなに行き渡るようにするには、相当な努力をしない限り伝わらない。

  • 組織が非常に細かく分かれている。もうちょっとグルーピングできないのか。また、理事との直結をきちっと図って、責任体制を明確にすることも必要。さらに、従来どおり職員の目は文科省、会計検査院、人事院に目が向いている。依然として国の制度をそのまま踏襲している。これでは法人化した意味がない。まだまだ職員にそういう仕組みを作るノウハウがないから依然として国の規則なり、そういったものを踏襲している。

  • 国立大学法人というのは、ある種の階級社会。ファカルティはそれなりに評価される可能性があるが、事務(アドミニストレーション)は非常に頭を抑えられている。このアドミニストレーションからいかに人材を育てあげるか、彼らのキャリアメイキングをどうするかというのを誰も何も考えていない。

  • ファカルティは漸増している。事務は10年ぐらいの間に3割から下手すると4割減っている。減っているにもかかわらず、仕事の量は倍ぐらい増えている。誰もその実態がどうしてそうなのだということに本格的にメスを入れようとしない。嫌でもそういう過程を通り過ぎないと本当の法人にならない。それをどうやって具体化するか、どうやってインプレメンテーションするかとなると制約が多すぎて誰もやろうとしない。勿論アウトソーシングは行われているが本質的な解決にはなっていない。

  • 日本の企業が国際競争力を付ける段階で非常に頑張ったのは「改善」ということ。民間企業の改善を支えているのは、事務系、技術系を問わずあらゆる組織の末端において小集団のサークルを作って、そのサークルが自発的に自分達のやっている仕事の問題点を探り、もっとうまくやれないか、もっと安くやれないか、もっと簡単にできないか、あるいはこの仕事をなくしてはいけないのかという辺りを、ずっと継続的に頑張るわけ。しかもそこでのポイントは、そうした成果を全社の中で発表する機会があるし、会社の中だけではなく産業レベルでの発表の機会もある。成果によっては、きちんと報償も出される。こういうモチベーションが与えられる中で改善が繰り返されていく。そういう目で見ていくと、大学の中で効率化とか合理化とか言って、多少のことはアウトソーシングしたりIT化されたりしているけれども、全然そんなものでは生ぬるいですよと言いたい。もっともっとやることはあるし、民間企業にいろいろ勉強するところはある。

  • 国立大学法人の給与体系。一般職の場合だと横に9級まであり、縦に130ぐらいある。これを1つ1つ、せいぜいスキップしても2つか、すこしずつ階段を登って行くわけ。総務部人事課(人事部に相当する)は何をやっているかというと、それのメンテに大忙し。「早くこれをもっと簡素化しなさい」、「5、6年のうちに年俸制にできないんですか、130もあるのをせいぜい10ぐらいにして、余計なくだらないことに忙殺されるのではなくて、もっと人材をどうやって育てるのかどういうキャリアパスをやってやるのか、そういうのを考える部署をつくらないといけません」と言っているが、誰もそこまでやる気はない。

  • 旅費精算に関わる手数と事務の手間の多さというのは目を覆うばかりである。いろんな事項も旅費にからんでいっぱいある。国の旅費支給基準を忠実に履行しなければいけないという縛りがものすごく多すぎる。民間でいくと、もっと簡素化をして、実費計算をして清算すればそれで終了。それをやると会計検査院が通りませんという議論ばかり。対外的にいろんなチェックをするところと交渉することを嫌がって避けようとして結論ありきで臨むという体質が一番問題。交渉し相手も理解してくれたら、いくらでも規則というのは変わるはず。その努力を徹底的に嫌がる職員群で成り立っている。

  • いわゆる企画、分析、調査、立案、教員とのインターフェース、外部とのインターフェースという仕事と、定型業務を切り分けていくと、財務部の仕事では、8~9割がお金の出納とかいった定型業務を一生懸命やっている。これを、派遣社員とか契約職員にやらせることは物理的には可能。財務部が徹底的に反対する理由は、一つは心理的な抵抗。外部から来た素人の人間に簡単にできるということによって、自分達のやってきた仕事が否定されたように思うということ。財務部というのは、大学の中で一番権限があって、出世コースで、できる職員が所属する部であるというふうに考えられてきた。それだけに、仕事の大部分が定型的業務であろうと、文科省から予算を取ってくるという機能が消えてしまおうと、関係なく、高いプライドを持っている。その中で財務部の職員が1人でも2人でも、専任職員が減っていって、外部に置き換えられていくというのが、財務部の権力の縮小だというふうに思っている。当事者にとっては大真面目な話でも、大学全体から見ればばかな組織肥大シンドロームというやつで、たくさんの部下に囲まれて、予算配分権を握っていることで他の部課や教員に対して威張っているのが財務部だと思っている。その実、財務部の仕事をよく見てみると、頭脳を使わないといけないところは監査法人とか、外部にアウトノーシングしている。財務諸表の作成や財務分析、それに基づく財務戦略の立案、財務関係の業務の簡素化、新たな資金獲得戦略の企画など早くノウハウを自家薬籠中のものにして、外部に頼むのではなく、自分達の力でできるようにしなければならないのに、こういう状態を法人化して何年たっても放置し、自らの力量形成を図らず、相も変らず監査法人に指示を乞い、その下働きのような仕事を何の疑問も持たずに動いている。職員でも教員でも反対の大合唱が起きたところが一番の改革ポイント。そこを変えないと多分大学は変わらない。