2008年11月14日金曜日

教職協働に何が必要か

近時、多くの大学人が重視している課題として、大学における教育組織と事務組織が良きパートナーシップを確立すること、あるいは教員と事務職員が相互に連携しあう体制を整えて学生に対応することが挙げられると思います。

今回は、国立大学マネジメント研究会(会長:本間政雄 学校法人立命館副総長、元京都大学理事・副学長)が発行する会誌「大学マネジメント」(2008年6月号)から、愛媛大学経営情報分析室秦 敬治氏が「これからの教職協働-GP活用による実践例-」と題して行った講演の概要(抜粋)をご紹介したいと思います。

秦氏は、西南学院大学で20年間職員として財務の仕事をしながらサッカー部の監督、九州大学修士・博士課程での修学を経て、2006年度より愛媛大学経営情報分析室准教授として活躍されており、今回の講演では、1)教員や職員個人の能力やスキル、2)組織や制度、業務分担、3)組織文化、個々の教職員が持つ意識の問題といった視点から「教職協働」を分析されています。

教職協働のコツ-職員には何が必要か

教職協働実現のために職員には何が必要かということですね。相手を変えるのはなかなか難しいです。私はいつも学生に言っています。性格は変えられないけど行動は変えられる、他人は変えられないけど自分は変えられる。組織や制度を大きく変えるとか、職員が教員に働きかけてあるいは教員が職員に働きかけて相手を大きく変えることはなかなかできないので、自分が変わらなければなりません。

1)「専門性の向上」と「論理的思考力」

今日お見えの多くの方が大学の職員でいらっしゃいますので、職員に焦点を当てた場合、どういったお話ができるかなと思い、「専門性の向上」と「論理的思考力」に着目してみました。初めに、大学行政管理学会の大学職員研究グループで、全国の国公立大学の学長と私立大学の理事長に対してアンケートを行ったと申しましたが、その結果を見ますと、教職協働推進の課題として「職員の専門性と能力の向上が必要だ」と答えた学長もしくは理事長は140名、56.9%です。「教職協働が必要だと言うけれども、職員が専門性を身につけたり能力を上げなければうまくいかないんだ」ということを経営陣は感じているんですね。それを皆さんがどう受け取るかということです。

「複数の素養を効果的に機能させる重要な要素の一つとして、専門性から培われた論理的思考力が必要だ」という提起もありました。これは、これまで教員に求められていた要素なんですね。

先ほど、本間会長と事前にご挨拶申し上げた折、「ぜひ職員にも修士、いや博士課程まで行って欲しいね」と会長はおっしゃっていて、私は嬉しかったのですが、なぜそれが必要なのか、という問題です。行けば良いというわけではなく、どうしてそれが必要なのか。専門性をつけて欲しいとか能力を向上して欲しいと答えた経営陣の80数%は、修士課程には行って欲しいと言っています。その辺の理由をまだ深く追求していないので、これから分析していかなければいけないと思うのですが、多分、本間会長と同じ心情なのではないかなと思っています。ソクラテスは「大工と話すときは大工の言葉を遣わなければならない」と説いたと言います。ですから、教員と話をするには教員の言葉を遣わなければダメ、もしくは教員の遣っている言葉を理解しなければダメ、ということも一要素としてあります。

では、論理的思考力やそれに基づく企画力、説明力等はどうやったら身につくのでしょうか。自分の意志で自らの業務上の専門性を極めることもありますね。大学院に行くことも一つかもしれません。そのときに、では目指すレベルはどこなのか。ドラッカーが言っている言葉の中に、敢えて私は「組織の中に」を付け加えたいのですが・・・、「その専門について自分より詳しく知る者が組織の中に存在するようでは、価値のない存在である」ということです。

2)少し出しゃばってみよう

国立大学の職員の方からよく耳にする言葉は、「出しゃばると責任を負わなくてはいけない」です。「そこまでやると責任を取らなくてはいけない」と。ですから私はいつも言います、「責任を取った人が今までにいるなら挙げてみてください」と。そうすると皆、「そういう責任じゃなくて・・・」と言うのです。実際に責任をとって辞めたとか、何か提案をしたり、「その業務はこっちでやりましょうか」と言って辞めたとか、降格になったとか、減俸になったとかいう人はほとんどいません。たぶん、「責任を取る」というのは「仕事が増える」という意味で言われているのではないかなと思うのです。もちろん好き勝手に言いたいことを言うのではなくて、理念や目標に基づいた自らの領域や専門から、ぜひ出しゃばっていただきたい。

「いや、そうすると上司が・・・」とか「教員が・・・」とかいろいろ思うかもしれませんが、「理念や目標に基づいた自らの領域や専門から」を押さえていれば私は大丈夫かなと思っています。つまり国立大学でも大学の理念などが必ずありますので、そこにスポットを当てるとか、学部の会議に出たときは学部の理念について話すということで、そこに立ち返って「自分は正しいことを言っているかな」と考えていけば、出しゃばりも許されるんじゃないかなと思っています。

3)教員も自らの研究領域以外は専門家ではない

それから、教員だって自らの研究領域以外は専門家ではないということを理解していただきたい。これはたぶん多くの方が理解されていると思います。なぜ選挙で選ばれた人がいきなり経営者になっているのか、と思われたことも多々あると思います。しかし、ある程度そのことも理解した上で、自分たちがどうずれば良いのかをぜひ考えていただきたい。

職員のほうが教育面、経営面でよく理解していることが意外と多いのではないか、ということですね。これも本間会長が言われてきたことで、私自身もずっと言ってきたことなので共鳴したのですが、例えばカリキュラムに関する企画立案等は職員がやっていくべきではないかと思っています。多くの情報を収集した上で長期的に広い視野で利害関係なく作れるからです。私自身は今、職員ではなく教員という立場ですが、自分の中で、「今は教員として生きている」とか「今は職員として生きている」と無意識に使い分けていると思うのです。そこで、今自分の専門を捨てて教員としてきちんと全体を見て議論できているかということが、非常に大事だと思うのです。そういった教員ばかりだったら良いと思うのですが、やはり自分の専門を守りたいとか、自分の分野もしくはそこにある予算や人の枠を守りたいという観点から話し出すと、どうしても理念や目標とのズレが出てくると思いますので、その点では職員のほうが勝っているかな、と思います。そのためには、職員には、教員に意見できるだけの専門性と論理的思考力をぜひ身につけていただきたいと思っています。

この間、元内閣官房副長官の方がリーダーシップに関する授業を九州大学の院生にされていたので聴講させてもらったのですが、そこで「行政において政治家は改革者。国家公務員は自分の領域の中で専門性を発揮して国家や議員を支える者」と言われていました。このことは大学行政にも当てはまるのではないかと思っています。一般に言われる国家公務員とは違うかもしれませんけれども、ここで言う国家公務員型の仕事を大学において職員にしてもらいたいというふうに、経営陣は思っているのではないでしょうか。

教職協働のための大学の対応

ドラッカーの言葉ですが、「組織の目的は専門知識を共通の課題に向けて結合することである」。職員だろうが教員だろうが関係ないんですよね。それぞれの武器をきちんと効果的にまとめあげることが組織の目的だと言っています。

「一つの分野で強みを持つ人が、その強みをもとに仕事を行えるよう、組織を作ることを学ばなければならない」。先ほど私が例を挙げましたが、自分はこの分野について自信があって、専門性を身につけたと思っているのに、晩年になって、あと数年で定年というところで全然関係のない仕事をやらされる、そうした慣行が組織を作るときにプラスになるのですか、ということですね。
「現代の組織は上司と部下の関係ではない。それはチームである」とも言っています。

以上を大学の組織作りに当てはめると、教職員の強みを引き出せるような組織や制度を作ること。教職員を同じ立場で仕事させる機会を作り出すこと。重要ポストにおける教職員の割合を検討すること。職員が「極めるため」のサポートを惜しまないこと。全国の大学職員を対象に行ったアンケートでは、意外とこの点が低いです。「サポートをしてもらっていない。むしろ足を引っ張られている」と言う人が非常に多かったですね。それから採用と異動の制度を見直すこと。

「新たなジェネラリスト」と「プロフェッショナル」

またドラッカーの言葉なのですが、「ジェネラリストはこれからの知識経済ではあまり活躍の場がない」。「ジェネラリストといえども、知識労働と知識労働者をマネジメントする専門家にならない限り役に立たない」。それから人事戦略コンサルタントの栗田さんという方の言葉、「ジェネラリストとは、複数の専門分野において一定以上の知識を持ち、業務遂行が可能な人を言う。一般的にこのような人は企業内部で組織横断的に仕事を経験しながらキャリアを形成し、管理職として組織運営のコア人材となっていく場合が多い。しかし、広く浅く総合的な知識は持っているものの、プロフェッショナルとして突出したものを持っていないというウィークポイントもある。今後求められるのは、幅広い分野においてプロフェッショナルとして必要最低限の能力を持った上で、少なくとも一つ以上突出したスキルを持つという新たなジェネラリストである」。

ではプロフェッショナルとはどういう人でしょうか。「専門能力を成果に結びつけることが期待されると同時に、専門分野以外の知識と情報をも有し、さらにリーダーシップカのある人」と言えるでしょう。スペシャリストとの違いは、評価の対象が特定分野の専門性に限定されるか否かにあります。つまり、プロフェッショナルは特定分野の専門性があるだけではダメだ、と言っているんですね。先ほどの「新たなジェネラリスト」とこの「プロフェッショナル」はかなり似ているところがありますよね。

例えば教員と一緒に財務の方、教務の方、学生担当の方が会議をしたとしましょう。「ちょっと伺いますけど、うちの財務のこの部分は今どうなっているんですかね?」「すみません、まだ来たばかりでわからないんです」「そうですか。では教務の改革、カリキュラムの改革は教務の職員がやったほうが良いと思うんですけど、いかがですか?」「いや、私たちは教務事務しかやっていませんので、そういうことはできないんですよね」・・・そういった話になると、教職協働しようがないんです。

ですから、会議に出てくる時に協働できるものが何かあって欲しいんです。そうしたときに、「私は財務にいますけれどもこれまでキャリア支援のほうをずっと担当していたので、先生が今おっしゃっていることはそういった立場からお話できますよ」と言われたら、私はそれを聞くことができます。しかし、そういうのが何もないとなると、なかなか厳しいですよね。

私たちは年に2~3回海外に調査に行くのですが、必ず職員の方を連れて行くようにしています。向こうの職員さんは必ず「あなたの専門は何ですか?」と聞いてくるのです。そこで同行した職員さんが「私は最初の3年は総務にいて、その後に会計にいて・・・」と答えると、「そんなことを聞いているんじゃなくて、あなたの専門は何ですか?何をもっと深く知ろうと思ってここに来たのかを言っていただかないと、私たちも対応できません」と言われるんですね。ですから私たちは、一緒に行くことが決まった時には、専門性を意識しながら、必ずどこを見たいか、知りたいか、きちんと見極めてから行こうという話をしているのです。