天声人語(2009年1月3日 朝日新聞)
届いた年賀状には、丑(うし)年のせいか、「ゆったり」「マイペース」などを誓うひと言が目についた。せかせか、いらいら。現代人の性急さから牛は遠い。悠々と動ぜぬたたずまいが、とりわけ今は共感を呼ぶのかもしれない。
暮れの紙面に、本紙との記者交流で来日したニュージーランド紙のレベッカ・パーマーさんが書いていた。東京で暮らした3カ月の間に、待つことがずいぶん苦手になったそうだ。「便利さや快適さ、効率などへの期待がずっと増した。要するに、私はベストなものを今すぐほしがるようになった」。日本社会の魔法だろう。
〈吾々(われわれ)はとかく馬になりたがるが、牛には中々なり切れない〉。あの夏目漱石の言葉を反芻(はんすう)しながら、元日の朝、牛歩の価値に思いをはせてみた。
青鉛筆(2009年1月3日 朝日新聞)
佐賀市の県立佐賀城本丸歴史館で2日、新春恒例の「大筆書き」が披露された。6畳ほどの大きさの色紙に向かうこと約30分。牛と富士山を描き、「猛一寸(もうちょっと) モー一歩の 富士廼(の)山」と寄せると、筆づかいに見入っていた人たちから拍手が送られた。
「猛スピードとは無縁の牛のようなしっかりした足取りで、富士山のような高い目標へと歩んで」と富永さん。不況に苦しむ日本経済も好景気への高みへと登れるか。」
天声人語に引用されていた「吾々はとかく馬になりたがるが、牛には中々なり切れない」という夏目漱石の言葉。有名な言葉のようですが、これは、50歳の漱石が20歳半ばの芥川龍之介・久米正雄に宛てた手紙の中で、「無暗にあせつてはいけない。ただ牛のように図々しく進んで行くことが大切である」ことを牛に例え諭した言葉だそうです。
大正5年(1916年)8月24日
この手紙をもう一本君らに上げます。君らの手紙があまりに溌溂としているので、無精の僕ももう一度君らに向かって何かいいたくなったのです。いわば君らの若々しい青春の気が、老人の僕を若返らせたのです。(中略)
牛になる事はどうしても必要です、吾々(われわれ)はとかく馬になりたがるが、牛には中々なりきれないです。
僕のような老猾なものでも、只今(ただいま)牛と馬とつがって孕め(はら)める事ある相(あい)の子位な程度です。
あせっては不可(いけ)ません。頭を悪くしては不可せん。根気づくでお出でなさい。
世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、火花の前にには一瞬の記憶しか与えて呉れません。
うんうん死ぬ迄押すのです。それ丈(だけ)です。
決して相手を拵(こし)らへてそれを押しちゃ不可せん。
相手はいくらでも後から後からと出て来ます。そうして我々を悩ませます。
牛は超然として押して行くのです。
何を押すかと聞くなら申します。
人間を押すのです。文士を押すのではありません。
私がいただいた年賀状の中に同様のことを書かれた方がいらっしゃいました。2年前退職された私の上司でおられた方の言葉です。
職を辞して早2年、生まれ故郷の田舎の生活にも慣れ、煙草もやめ、ゴルフ・麻雀・スナックなどは死語となりつつあります。(健康にはグ~ですが刺激もない)
今日の厳しい政治経済の環境と現職の人のことを思うと複雑な心境にもなります。
「牛の歩みも千里」の例え*1に倣い一歩いっぽ前に進むのみです。
現役を退かれても、ポジティブに、謙虚に自分の人生を捉え一歩づつ進んでいこうという真摯な姿勢は見習わなければなりません。今は老いてしまった小学校時代の恩師の年賀状にも考えさせられました。
シルバーマークの歳を迎えます。
その重みを宝に背伸びすることなく、「日々是好日」*2をモットーに生きていきます。
暮らし、仕事、あらゆる分野でスピードや効率が求められ、時間に追われ自分を見失ってしまいがちな時代には大変難しいことではありますが、そういう時代だからこそ、何事もポジティブに、愚直に、ひたむきにこつこつと自分の目標に向かって一歩一歩進むことが最も大切であることを心に刻んでおくことが必要なのだろうと思います。私の新年もそういう生き方を目指していきたいと思います。
*1:牛の歩みも千里:たとえ牛のように歩みが遅くても、こつこつ努力を続けていればやがては大きな成果を得られるものだ、というたとえ。