2010年9月6日月曜日

老いるとはどういうことか

多くの認知症患者や患者を介護する方々の苦しみは並大抵のものではありません。

私にも認知症の母がいます。多くの方々に迷惑をかけています。でも最もつらいのは母本人だろうと思います。

幻覚・妄想にかられ、暴言・暴力により家族を傷つけてしまう母、自分がわからなくなり何度も自殺しようとする母。

親子の関係が希薄になってしまったと騒がれる今日、母に愛情をもって接することができなくなった冷淡な自分がいやになる日々です。


老いの孤独 死を願った母 (2010年8月30日 朝日新聞)

今、母はひたすら「死」を願っている-1年前の8月、本紙「声」欄にそんな書き出しの投稿が載った。在宅で介護する息子(62)からだった。その後、どうしただろう。自宅を訪ねると、その母親は、投稿から1カ月後に、老衰で99年の命を終えたと聞かされた。「長生きしすぎた」。残されたメモに、年を重ねることの孤独が透けて見えた。

木製の大きな天板の机には多くのノートやメモが残されていた。西日が差し込む8畳間。福岡県宗像市の滝口フミ子さんは、最後の日々をここで過ごした。

「死にたい」。在宅で介護を受け始めた数年前から、ことあるごとに口にしていたという。

20代前半で結婚し、農作業を手伝いながら3人の子を育てた。自立心が強く、人の世話になることを潔しとしなかった。車いすが必要になっても、食事も入浴も排泄も一人でやろうとした。口にはしなかったが、思うようにならない体のことをメモに記していた。 

「素直に死ねる幸せ」

友人や親類が次々と亡くなった2004年ごろ、ノートにそんな言葉が続いた。気丈に見えたが、ふと「寂しい」と漏らす。

そして4年前。70年以上連れ添った夫が101歳で逝った。「はがいい(悔しい)っちゃあらせん」。フミ子さんは気が抜けたように言った。

笑みが消え、自殺を試みるようになる。風呂に顔をつけておぼれようとした。部屋の衣服掛けに腰ひもをかけ、首もくくった。死にきれず、「なんで、こんなに命がしまえん(終えられない)とやろか」と悔しがった。

介護施設のデイケアや、家族が連れ出す外食、知人を家に招くなどしても、気分転換にならないようだった。

「バイバイ」。夜寝るときに家族に言うようになった。朝起きると、「今日こそ朝が来んと思っていたのに」と落ち込んだ。

「畑で立派に実ったナス。摘み取ることもできず、ただ眺めるしかない自分がいる」。そんな内容の短歌を詠んだ。

同居する次男の彪さんが、本紙の「声」の欄に投稿したのはそのころだ。死へと向かう母の気持ちを少しでもそらしたかった。新聞を読んだフミ子さんは「あんたは、ごまかすのがうまいな」と笑った。彪さんは「晩年をこんな思いで生きる人もいると世間に知ってもらうこともまた、生きている意味ではないか」と問いかけた。フミ子さんは「まだ生きとっていいんかね」とつぶやいた。

やがて9月末、容体が悪化した。呼吸が浅くなり、医師から家族には「もう長くない」と告げられた。そんな時にまた、家族が目を離したすきに酸素吸入のチューブをハサミで切って死のうとした。死の淵にありながら、死に急ぐ母。最期かもしれない・・・。

彪さんはフミ子さんを車いすに乗せ、畑へ向かった。秋風にピンクのコスモスが揺れていた。花びらでフミ子さんのほおをなでると、「ああ」と声にならない声を漏らした。家に戻ると、すぐ床に伏せた。もう目は見えていないようだった。訪れる知人、親類の手を握り、「ありがとう」と繰り返し、翌日、息を引き取った。


死後、布団の近くから、ノートや紙の切れ端に記したメモがいくつも出てきた。「私は一体いつまで生きるつもりだろうか」「もう体が動けんのに生きられん。人生長い。神様お願い」。生きることの孤独感、絶望感、自責の念。

「死にたい」というフミ子さんに、多くの人が「そんなことを考えないで、楽しく生きようよ」と声をかけた。「歌を歌おう」と言ってくれた人もいた。ただ、メモを見る限り、その言葉は救いになっていなかったようだ。

老いる悲しみに、正面から向き合えていただろうか。母の思いに、まともに取り合わず、ごまかしていただけかもしれない-。彪さんはそんな風にも思う。

初盆の今月13日、仏壇には、夫の隣で穏やかにほほ笑むフミ子さんの写真があった。間もなく1年。畑のコスモスは、もうすぐ花を咲かす。人が老いるとはどういうことか。彪さんは問い続ける。


「声」(2009年8月29日 要旨)

今、母はひたすら「死」を願っている。自分では死ねないから、朝から晩まで周りに訴える。次男である私は、これも在宅介護の大変さの一つだと聞き流している。それでも、ためらい自殺を繰り返し、「一度も本物にならん」と自嘲しながら話す母を見ていると、つい願いをかなえてやるかという気持ちになる。

がんなどの肉体的な苦しみには緩和ケアの思想があるが、精神的な苦しみは放置されているように思える。この思いを医者や介護関係者に訴えると、彼らは「その苦しみに耐えないと人は死ねないのよ」と、ためらいながら話を終わらせる。これでは介護現場が抱える深刻な課題は何も解決せず、介護者の孤立は深まるばかりだ。