どんな職場でも社会人というのは、自分のことを見てもらえるように努力をするものだよ。
努力しなければ、見てはもらえない。
こっちが指導したいなと思うような選手になりなさい。
鐘だってそうだ。
打って響かなければ、もう鳴らしたくなってしまう。
打ったら響く、そういう人にならなくてはいけないよ。
そうでなかったら、俺だってえこひいきするよ。
社会人なんだから。
小出 義男
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高橋尚子選手を始めとして多くのアスリートを育てた小出監督の言葉です。
そんな高橋選手がこの言葉を聞いたときの思いが次の言葉です。
「小出監督のその言葉は、私にとって本当に革命的な言葉でした。」
打った鐘のごとく、響き返す行動が指導される側にも必要なのです。
黙って頑張っていればみんなと同じように目をかけてもらえるというものではない。
挨拶も返事もメールなどの返信も感謝の言葉も、きちんと相手に届くように行わなければ届かない。
「分かってもらえるだろう」は通用しないのです。
先日作家の五木寛之さんのお話を伺った際にこんな話をして下さいました。
『仏教では「人生は苦である」という教えがあります。
それは肉体的な苦行というわけではなく、
「人生は不条理である」「思うに任せない。思うようにならない。」
ということを理解しておくことの大切さを説いた言葉であると。』
平等ではないからこそ、キチンと見てもらえる努力が必要なのですね。