自身に起きた小さな不運にいつまでもとらわれていても、痛みが和らぐわけではない。
忌々しさがこみあげ、かえって痛みが増すのが落ちである。
それよりも、その程度で事が済んだ幸運をかみしめるほうがよほど生産的だろう。
こんなユダヤ人ジョークがある。
「ユダヤ人は足を折っても、片足で良かったと思い、 両足を折っても、首でなくて良かったと思う。首を折れば、もう何も心配することはない」
失ったものを数えるな。
残っているものを数えよ。
そして、残っているものがあることに感謝し、それを最大限に活かそう。
これは真実である。
生きているからこそ心配できるのであって、もしも首を折って死んでしまえば心配することさえできない。
だから、首が折れなかったことに感謝しよう。