しかし、そのような中でも、前々回ご紹介した記事の中で取り上げられていたいくつかの大学のように、経営改革を担う職員の能力開発を進めるための先進的な取り組みが行われています。
これらの取り組みは、全国の志の高い大学職員にとって、彼らの将来に光を見出すことのできる大変価値のある取り組みではないかと思います。
今回は、記事の中でも取り上げられていた山形大学の取り組みについてご紹介したいと思います。
既にこのブログでも「地方国立大学の役割と存在意義」としてご紹介しているところですが、山形大学は、これまで地方の国立大学にいろんな意味で元気を与えてくれる素晴らしい改革を進めてきました。その中に、大学職員の能力開発を進める取り組みの一つとして、特色あるSD活動があります。
まず、このSDへの取り組みについて、山形大学地域教育文化学部教授の小田隆治氏がある雑誌(文部科学教育通信 No.183 2007.11.12)に寄せられたレポート(抜粋)をご紹介したいと思います。
地方大学にとってなぜSDが必要なのか
■SDの成果と課題
(冒頭略)
企画力などという創造的能力は誰しもが均等に持っているわけではない。そもそも、それを持っている人を発掘することも難しい作業である。
SDでは、事務職員個々の企画力を開発し、伸ばすことを第一義の目的としているが、それと同時に誰が企画する能力を有しているかを発掘する作業でもあった。そうした事務職員をこのSDを通して発掘することができた。
しかしながら、彼らをその能力にふさわしい部署に就けるところまではいっていない。そもそも本学ではまだ事務職員が主体となってプランを練る組織体制ができていない。ボトムアップからトップダウンと言った時、機会均等に広く意見を聴取し、それを具体化していく創造的な(これが重要である)組織を設置し、それを活用できるシステムを構築することが必須である。それはこれからの課題である。
(途中略)
法人化になったからといって、学長が自由にできるお金は少ない。また使ったら使ったで、各学部には自分たちの研究費がそちらに回ったという不満が増幅する。学長にはそのお金が有効に使われていることの説明責任が求められている。
しかし、このことを怖がっていては、大学は何も新しいことをできない。時間が止まり硬直したままになる。学長は大きなビジョンを持ち、新しい事業を遂行する勇気と決断力、そしてそれを自分の口で説明する責任がある。
山形大学でこれほどのSDができたのは学長の力を背景にしたことは偽らざるところである。しかし、学長のバックがあったからといって、ことはそれほど順調に進んだわけではなかった。
第1回のSDを構想し参加者を募る段になって、ある幹部職員が「事務職員は教員ほど優秀ではないので、FDのようなことはできません」と言い、SDは学長との一晩の懇談会になることになった。
しかし、現場の担当者が私の本来の計画を聞いて私の案に戻してくれた。
私は一緒に計画を練ってきた2人の事務職員に「りっぱなプロジェクトを出してね。もし出さなかったら『やっぱり事務職員は』と言われて、二度とSDはできなくなるよ」と発破をかけた。かれらはりっぱにそれに応えてくれた。彼らなしに2回目以降のSDはなかった。
SDを実施して分かったことは、教員である私はもとより教員上がりの学長ですら事務組織に入り込むことはタブー視されていたことである。
このことが先の幹部職員の琴線に触れたのかもしれない。かれは、SDは事務職員の領分であって、教員にリードされることではないと思っていたのかもしれない。それが法人化の前年の平成15年であった。
事務組織は教員組織と同じように一個の組織体として尊重されるべきである。それは大学の中で代替不可能な独自の任務を担っているからだ。
しかし、あくまで大学という名の車の両輪であって、勝手に走ることがあってはならないし、硬直化した既得権を行使してはならない。自由を尊び、そこから創造的な活動をしていかなければならない。それが大学にふさわしい行為である。
山形大学のSDは稀有壮大で斬新な試みであった。新しいことを行うのは誰しもが楽しいが、同時に大きな負担も伴う。既得権のみに汲々とする人たちは、参加者の負担感に付け入って、甘言を弄して新しいことを阻止しようとする。どこにも新しいことをすることが嫌いな人はいるものだ。そうした人たちまでも巻き込んで新しいことをするにはエネルギーがかかりすぎる。法人化にあって、そうした余力は残されていない。
大学はこのままでいいのか、このままで生き残ることができるのか? それを自問自答する作業そのものがSDであった。そうした時、旧態依然とした体制を守ろうと考えている人たちには今回のSDは過激な運動に映ったのかもしれない。
■さいごに
ある地方大学がなくなったとき、それが過疎地域であればあるほど地域に与える打撃は甚大であろう。しかし、全国規模で見たときはどうであろうか。残念ながら、それほどの影響はないであろう。地方大学が地域に存在意義を見いだすことは生き残りのための必要条件だとしても十分条件ではない。
地方大学は、地域だけでなく国家や世界においてもきらりと光るかけがえのない存在でなければならない。そうでないのならば、それを目指して変えていかなければならない。
それを成し遂げることのできるのは、その大学に在職する教職員をおいてほかにない。
なぜ教職員は大学にアイデンティティを持って発展に寄与しなければならないのか。
それは大学が潰れて自分の職場がなくなるかもしれないからだ。我々はそうしたことの被害者であり加害者でもあるのだ。現在、少なくとも地方大学にあって、自学が潰れるかもしれないというリアリティーを根幹に据えない議論はいずれも空疎であり無責任ですらある。
大学の全構成員が大学の死活に関わっている。しかし、決して誰もが同じ役割を担っているわけではない。それぞれの能力によって効率のよい役割分担が図られるべきである。
そして、FDやSDによって各人の能力の開発も組織的に継続して行われるべきである。
大学の第一の使命は人材育成にある。しかし、優秀な学生を数多く輩出する大学がこの競争的環境の中で生き残るとは限らない。宣伝上手な大学だけが学生を確保して生き残ることも可能性としてあるだろう。
だが、それではいい社会にはならない。我々は個性的な素晴しい大学を建設しつつ、それを社会に発信し続けることにも力を入れていかなければならない。こうした広報活動を自覚するようになったのも、法人化をはさんでのことである。
教員と事務職員が働き甲斐のある生き生きとした大学をつくっていこうではないか。そうした大学の学生は青春を謳歌し、地域は元気づくはずだ。
仙道学長から受け継がれた改革の遺伝子
このようなSD活動を通じて培ってきた能力は、前々回ご紹介した記事でも取り上げられていた「大学職員がプロデュース 大学職員サミット やまがたカレッジ2007」という形で花が開きました。
さらに、最近、SDに参画された方々により『あっとおどろく大学事務改善』」という本が刊行されました。内容は次のようなものです。
◇
山形大学では、当時学長であった仙道富士郎氏のリーダーシップの下、平成15年度から毎年、事務職員の企画・運営能力の開発のためにSDを実施してきました。山形大学のSDは事務職員と教員の協同作業を特色としており、平成18年度の第4回目に何をするかということになって、第2・3回目に実施した大地連携(事務職員による大学と地域の連携事業の企画と運営)とは違ったものを考えるように、と学長から申し渡されました。そこで考えたのが本書の作成です。これまでの山形大学の事務職員の改善活動とSD活動を世に問うと同時に、本書の作成を通して事務職員のこれまでの仕事についての評価・点検を目指しました。
本書の中でも触れていますが、少子化と大衆化に伴って大学はいま大きな変革の時期を迎えています。事務職員は効率的な組織改編などによって、その波をもろにかぶっていますが、それを乗り切る力量も求められています。本書はそのような激変の時代にある現場の事務職員を読者に想定して企画されたものです。そして、これから大学の事務職員を一生の仕事にしようと考えている方々も読者として想定しています。本書を読んで、日々の仕事の見つめ直しや改善、活力増進につながったならば、そして大学事務職員という職業を選択するきっかけになるならば、執筆者一同望外の喜びです。
第1章 大学改革と事務職員の歩み
大学設置基準大綱化に伴う教養部廃止や事務の電算化及び組織改革、そして国立大学法人化などの、山形大学の移り変わりを振り返ります。
第2章 地方国立大学事務職員奮闘記
第1章でみた国立大学の激動の時代における、ある若手事務職員の奮闘物語。
第3章 大学事務職員の現場改善
日々の業務改善活動や忘れられない小さなエピソードが、多くの事務職員によって書かれています。
第4章 大学と地域を活性化するSD
平成15年度から実施してきた、山形大学の地域へ飛び出すSD活動をダイジェストでご紹介しています。
◇
このような企画は、私が知る限りこれまでの国立大学では例を見ないものです。
教育、研究を使命とする大学の学長として有能であったばかりでなく、山形大学を、地域に根ざした地域とともに発展する大学として作り上げてきた仙道前学長の功績は計り知れないものがあります。
素晴らしい学長の下で改革を進めてきた山形大学は、その遺伝子や体質を受け継ぐ者によってこれから益々発展していくことでしょう。
後継者として学長になられた結城氏をはじめ、大学現場の教職員がそれぞれの役割や使命をきちんと認識した上で、山形大学のあるべき姿を追い求めていくに違いありません。