2007年12月1日土曜日

大学教職員の評価

法人化により国立大学にもたらされた大きな変化の一つが「教職員の個人評価の導入」若しくは「厳格化」ではないかと思います。
前回までにご紹介した「教育の質の保証」や「教員の意識改革」などを解決するための一つのツールとしても重要なものだと思います。

教職員評価のうち教員評価への取り組みは、先の国立大学法人評価委員会による平成18年度の業務実績評価においても特に重視され、積極的な取組みを行っている大学が高い評価を得ていました。

教員評価への取り組みの遅れは、来年度に実施される中期計画期間中の法人評価において、致命的なマイナス評価となり、引いては、次期中期計画期間中の運営費交付金の配分にも影響すると言われています。

各国立大学は、最悪のシナリオにならないよう何らかの手を打たねばならないと悩ましい日々を送っていることでしょう。


国立大学の教員評価への取組状況について、岩手大学の大川一毅准教授らが行った調査*1の結果が記事に掲載されています(2007年10月8日日本経済新聞)のでその一部をご紹介したいと思います。(副題は読みやすくするために私が勝手につけたものです。)

教員個人評価「動機づくり」課題 結果、賞与などにどう反映? 先送り傾向強く


法人化を契機に、教員の個人評価制度を導入する国立大学が増えてきた。
大川一毅岩手大学准教授は、評価制度に課題は多いが、教員の資質向上や学生サービスの改善に効果があると期待を寄せる。
18歳人口の減少や厳しい財政事情の下にあって、世界水準の研究・教育の実施、高等教育機会の確保など、時代や社会の要請に応えるべく、国立大学の一層の改革が求められている。
改革の一環として、教員個人評価システムの開発や評価の実施が進んでいる。
国立大学は、何を目的に、どのような評価をしようとしているのだろうか。

教員評価の目的は「教育・研究の推進」

調査に対し、67大学(回答大学の97.1%)が、教員の個人評価を実施、または実施に向けた具体的準備を進めていると答えた。
「教員個人評価に取り組まない」と回答した大学は皆無だった。
教員個人評価を導入・実施する目的を聞いたところ、64大学(同92.7%)が、「教員活動の活性化や教育・研究活動の促進」をあげた。
「査定の手段」と回答した大学は1大学だけだった。

評価結果の活用としてのインセンティブ付与

評価を行う際に重要なのは、どのようなインセンティブ(動機付け)をつけるか、である。
教員個人評価を実施または試行している38大学の選択肢回答では、▽賞与への反映(11大学)▽特別昇給への反映(8大学)▽教員個人研究経費への反映 (6大学)▽昇任考査基礎資料への反映(5大学)▽教員個人の教育経費への反映(4大学)▽給与への反映(3大学)▽学長、部局長等の裁量経費から教育・研究費を提供(2大学)▽その他(25大学)という結果が出た。
多くの大学は、「教員個人評価の導入・実施」自体に高い優先度を置いている。
インセンティブについては、学内合意がとれる範囲で設定するか、今後の検討課題として先送りする傾向が強いことがうかがえる。
今後、評価結果とインセンティブをどのように関連づけていくかは、重要な課題となるだろう。

評価制度導入に当たっての課題

次に、制度を導入・実施する過程で、課題や障害となったことを聞いてみた。
「人事・昇給・昇任等への反映」が33大学で最も多く、これに「学内合意の形成」「インセンティブ措置」「評価領域・指標の策定」がいずれも29大学で続いた。
コストや人的労力の増加を指摘する大学も24に上り、9大学が「評価担当者の選定」をあげた。
「『人事査定』や『勤務評定』に利用することへの危惧を学内から払拭すること」が導入にあたっての優先課題だったと回答する大学もあった。

まずは実施することに意義

教員個人評価制度の導入・実施は進んだが、評価結果を改善に反映させる仕組み、例えばFD活動(ファカルティ・ディベロップメント、教員が授業内容・方法を改善し向上させるための組織的な取り組み)と連動させた教員の資質向上策などは今後の課題と回答する大学が大半だった。
調査では、国立大学の教員個人評価には、依然として課題が山積することが浮き彫りになった。
だが、教員個人評価が導入・実施されたこと自体が、まずは意義あることだと考えるべきだろう。
大学は、それぞれの理念・目標に照らして、期待する教員像を明らかにし、教員個人評価制度を組織的に機能させた。
これによって、教員は目指す方向性を大学と共有し、大学組織の一員である自覚を深めながら、自らの活動を顧み、今後を展望する機会を持った。
教育活動重視という教員個人評価の特性も、学生の視点に立った教育実践意識の浸透に影響している。
教員個人評価が、単なる評価のためだけではなく、教員の資質向上と、学生への高いサービスの提供に貢献する方途として、発展していくことを期待したい。


教員評価の現実は


そもそも、教員評価の目的とは何なのでしょうか。

関係資料をめくってみると、教員評価は決して教員をランク付けすることを目的としているわけではなく、改善点を把握し、教員個人の意識改革を促したり、教員個人の学術レベルを向上させたり、社会への説明責任を果たしたり、教育研究の質を確保するといったことが本来の目的のようです。

実に良いことではないかと私は思うのですが、上記にご紹介した記事のように、教員評価制度の速やかな導入とその円滑な運用において、各大学の並々ならぬ努力の結果は十分に満足できる状況にはなっていないようです。

教員評価について議論する大学内の会議の様子を耳にすることがあります。

「何のために自分達が評価されなければならないのか」といった初歩的な議論が会議のたびに繰り返され、時計の針が止まった状態(場合によっては逆回りをし始める状態)が延々と繰り返されることがよくあるそうです。

また、ようやく一歩を踏み出すことができても、評価項目の設定、評価結果の活用などといった各論に入ると、「教員比較ができないようにするために共通項目は設けない」「人事考課には反映させないようにする」といったことが前提にならないと話は進まないようです。

さらには、「評価を受ける教員自身が評価ルールをつくっている」ために、「おちこぼれを出さない評価基準や、項目」になってしまい、実施の際には、あくまでも自己評価であるために、ほとんどの教員が「ペナルティのがれの過大評価」をしているなど、何のために評価を行うのかが完全に欠落したものとなってしまい、評価担当者の方々は、公平・公正な教員評価の難しさ、もどかしさにずい分と苛立ちを感じておられるようです。

こういった教員の抵抗的な行動が、大学の改革を遅らせ、世間の常識との乖離を拡げていくことになります。

教員の中には、学生への教育、研究の高度化、社会貢献などの面において、寸暇を惜しんで、敬服するほどの情熱をもって懸命に取り組んでいる人がたくさんいます。

その中には個人評価の結果など取るに足りないと思っている方もいるのかもしれませんが、私から見ると、そういった方々が評価の面で、そうでない教員と同列同等に扱われることは、いかがなものだろうかと思ってしまいます。

民間企業など世の中の常識から見れば、国立大学に評価システムを導入することや、評価結果を活用した教職員の資質向上、引いては教育研究の活性化・高度化を図っていくことは当然のことでしょうし、評価を受けることは、税金を経営資源とする国立大学から生活の糧を頂戴する者としての義務であると私は思うのですが、なぜそこまで評価に抵抗なさるのでしょうか・・・。