2008年3月4日火曜日

高等教育への投資

国際比較におけるわが国の高等教育に対する公財政支出の低さについては、これまでも政府内の諸会議においてさんざん議論されてきたところですが、一向に改善の兆しが見えてきません。

厳しい財政事情や国民的関心の低さを反映してのことでしょうが、国家の未来を担う「ひと」への投資は、もう少し重視されるべきではないかと思います。

去る2月8日開催の中央教育審議会教育振興基本計画特別部会において、大学分科会を兼務する安西祐一郎慶應義塾長、郷通子お茶の水女子大学長、金子元久東京大学大学院教育学研究科長、木村孟独立行政法人大学評価・学位授与機構長の連名による「教育基本計画の在り方について-『大学教育の転換と革新』を可能とするために-」と題する意見書が提出されたことは前回この日記でご紹介しました。

この意見書のうち、高等教育への財政支出の必要性を述べた主な部分をご紹介します。わが国の現状を「鎖国的」と酷評されておりとても印象深い意見書です。


諸外国に比して高等教育への公財政支出の規模が少ないことは、つとに指摘され、平成17 年の中央教育審議会答申「我が国の高等教育の将来像」でも欧米並みの水準を目指すべき旨が提言されている。

今般の教育振興基本計画では、過去の答申内容と整合性を確保し、投資拡充の方向性を明記することは当然であるが、それに止まらず、当面の計画期間を、長期的な展望の中で位置づけつつ、目標やその達成に向けた工程等を描いていくべきである。

益々熾烈となる国境を越えた人材獲得競争の流れの中、国際的に遜色ある投資水準では成算は無い。本提言では、国際競争で優位にあるアメリカを目安とし、少なくとも同国との懸隔を拡大させないことを狙いとした。また、学費上昇等による私費負担の増大に鑑みると、機会均等、さらには「人生前半の社会保障」や少子化対策の観点からも、教育費の家計負担の軽減が不可欠であるとの認識に立って検討を行った。

その結果、我々は、できる限り速やかに公的投資を年間5兆円程度の規模に拡大させることが必要であると考えた。こうした投資増により、はじめて国際競争に伍しつつ、幅広く知的市民を育成することを可能とする教育研究環境が形成されよう。

もとより、我々は、現下の厳しい財政事情について決して無理解ではない。
しかし、先進諸国が高等教育への投資を競い合うように伸ばし、量の拡大と質の向上を共に追求している現実を無視するとすれば、それは鎖国的発想と言わざるを得ない。

当面の5年間を「転換に向けた始動」と位置づけ、「大学教育の質や成果とは何か」という先進諸国共通の難題に真剣に取り組み、我が国としての解を見出すこと、その上で、「選択と集中」を求める要請へ的確に対応していくことが必要と考える。

この結果、社会からの負託に応えられない大学が淘汰されることは不可避となる。ただし、こうした国の政策決定の過程では、拙速に陥らず、教育基本法に則って大学の自主性・自律性が十分尊重されなければならない。


高等教育に対する財政支出に関する記事をもう一つご紹介します。

広島大学高等教育研究開発センターの山本眞一センター長が書かれた「高等教育に対する支出-将来の社会発展のために」と題するレポートです。(文部科学教育通信(2008.2.11号)に掲載)

公財政支出の低い水準

近年、わが国の公財政における教育費支出とくに高等教育のそれが、先進諸国の中で非常に低いということがよく言われる。
ちなみにOECDの統計によれば、2004年時点でわが国の国内総生産(GDP)に対する高等教育の公財政支出割合は0.5%であり、OECD各国平均1.0%を大きく下回っている。
これに対して、米国は1.0%、イギリスは0.8%など、主要国は押し並べてわが国より支出割合が高い。

もっとも過去の推移からみて、わが国の傾向はやや上昇気味であるのに対し、米国は下降気味である。
おそらく科学技術関係の支出が1990年代以来重視されてきたことの蓄積が、多少この上昇傾向に貢献しているのではないかと思われる。

次に、数字は2002年時点でやや古いが、同じOECDの統計で私費負担を加えた全支出額を比較すると、2002年時点でのOECD各国平均1.4%に対してわが国は1.1%であり、平均は下回っているものの、各国に比べてそれほど大きな差はない。
ただ、私費負担割合が6割近くあり、わが国の高等教育支出は、韓国や米国を別とすれば、家計など私費に拠っているものであることが際立った特徴になっている。
韓国でもそうであることからして、おそらくは私が常々考えているように、東アジア地域では家計が進んで費用を分担するという文化的特質があるからであろう。

わが国は私費負担の多い特異な構造

これに対して、ヨーロッパ諸国はおおむね公財政からの負担がほとんどである。
現在でも授業料を無料とする国々が多いことからも分かるように、高等教育の費用負担の構造という点から言うと、わが国とは大きな差異がある。

なお、ここでいう公財政支出とは、国及び地方政府が支出した教育支出であり、学校のために直接支出された経費のほか、学生生徒に対する奨学金及び民間機関が行う教育訓練等への補助金を含む。
私費負担は、授業料等の家計負担分及び寄付金等の民間機関による教育支出で、私立学校における事業収入など独自の財源による教育支出を含むとされている。

さて、このように私費負担の多い高等教育支出構造をどのように見るべきであろうか。
これは国民の旺盛な教育意欲の表れ、あるいは民間活力の証だというような単純な見方をとるべきではない。
確かに教育とくに高等教育は、それを受けた者に将来の大きな便益がある。
この連載で以前にも触れたように、高等教育の内部収益率は結構高い。とくに医学などではその傾向が顕著である。
少々高い授業料を支払っても将来の便益を受けようとする者があってもおかしくはない。

しかし、高等教育は個人の私的利益だけに限られるものではない。
科学技術人材の養成は知識・技術の開発を通じて、経済や産業の発展あるいは国際競争力の向上に大きな貢献をする。
そのために国は財政事情の厳しい中ではあるが、科学技術関係の支出は増やしてきている。

学部別に異なる授業料を徴収すべきだという財政当局からの圧力に反対が強いのも、かかった経費を私的に負担させるだけではなく、社会全体が受ける利益に対して、公財政がその多くを負担すべきであるという論理が根底にあるからであろう。

それと同時に、高等教育は教養教育を含め、質の高い教育を行うことによって国民の資質を高め、責任感や判断力のある21世紀型市民の育成にも大いに役立つはずである。
文科系の教育は役立たないという批判は、企業関係者を始め社会のさまざまな関係者からよく聞かれるところであるが、前々回の連載で書いたような所要の改善を加えることによって、この問題は解決しなければならない。

教育再生会議も投資の充実を主張

いずれにしても、公財政による高等教育への経費投入はより積極的になされなければならない。

先日出された政府の教育再生会議の第3次報告でも「大学・大学院を適正に評価するとともに高等教育への投資を充実させる」として、先進国と比較して大学への公財政の支援が少ないことから、「人的資源しかないわが国が、今後国際競争力を維持し発展を続けていくためには、高等教育に対する投資を先進国並に充実させていくことが必要不可欠である」と述べ、さらには「基盤的経費(国立大学法人運営費交付金、私大経常費補助金)を充実させる必要がある」とまで言い切っている。

ところで、限られた資源の中からどのような分野に予算を配分すべきかということは、財政の大きな選択課題である。
そこで過去10年ほどの政府一般歳出の主要事項別の金額の推移を調べてみた。増加が著しいのはやはり社会保障関係費である。
これに対して文教予算は減り気味であり、まさに少子高齢化がこのような局面にも影響していることが分かる。もっとも文教予算の中でも科学技術振興費に限って言えば増加傾向であり、そのような意味で公財政にも、資源配分の選択行動があることが分かる。

ちなみに公共事業費が減少、防衛関係費は確保という傾向も近年の政治の動きを確かに反映しており、そのことに興味を持たれる方々も多いだろう。

平成20年度予算の政府案では、大学教育改革の支援に前年度比65億円増が措置されているが、基盤的経費はかねてからの方針通り減額されている。

政策担当者の努力は多としつつも、将来の社会発展に必要な高等教育への投資に一層の努力がなされることを祈らずにはいられないところである。