2009年6月28日日曜日

国立大学協会の逆襲

現在、政府内では、来るべき総選挙をにらみながら、来年度予算の概算要求基準の閣議決定に向けた作業が急ピッチで進められています。

概算要求基準の基礎となる骨太方針が、財政規律の維持を放棄した「骨抜き方針」となった今、期待できるものは何もありません。

また、高等教育予算に関して骨太方針では、「『教育振興基本計画』等に基づき、・・・高等教育については、国際的に開かれた大学づくり、高等教育の教育研究基盤の充実、競争的資金の拡充などの新たな時代に対応した教育施策に積極的に取り組む。」とだけ触れ、無味な文字が並んだだけのものとなりました。おそらく、財務省の骨抜き戦略が功を奏したのでしょう。

骨太方針に影響力を持つ、財政制度等審議会の財務大臣に対する建議(6月3日)については、すでにこの日記でも、「財務省一流の独断と偏見を多分に含む内容であり、財務省の戦略に基づく政策誘導そのものであること、また、多くの記述やデータが誤解を招くような形で作成されており、正確な情報が必ずしも一般国民の皆さんに提供されているとは思えないこと」についてコメントさせていただきました。さらに、「文部科学省は、財政審の建議に対して、透明性のある方法で、全ての国民に対し、財務省の指摘一つ一つに対する反論を正々堂々と公開していただきたい」とも書かせていただきました。


財務省の誤認識と文科省の説明不足
http://daisala.blogspot.jp/2009/06/blog-post_6435.html


私のこの思いが通じたのかどうかはわかりませんが、このたび、文部科学省ではなく、国立大学協会が、財政審の建議に対する所見を表明しました。(文部科学省と国立大学協会の水面下の連携があったのかもしれません。)
国立大学を取り巻く厳しい状況が実感として理解できる方々にとっては、この所見が関係者の願いを代弁する「神の声」に思えたことでしょう。

今日はこの所見全文をご紹介します。


財政制度等審議会建議に対する所見(平成21年6月24日 国立大学協会)

社団法人国立大学協会(国大協)では、5月に要望書「『安心社会』実現に貢献する国立大学の振興に向けて」をまとめ、各方面に対して財政支援の充実を訴えてきた。

一方、財政制度等審議会(財政審)では、去る6月3日、「平成22年度予算編成の基本的考え方について」をとりまとめ、この中で大学予算、国立大学法人の運営費交付金の見直しについても言及した。

これを受けて、国大協では、6月15日に開催された総会において協議を行った。その結果、財政審建議に盛り込まれた内容については、真摯に受け止めて検討すべき点があるものの、その考え方の基調には受け入れがたいものがあり、また、誤解を招く記述も見られるという認識で一致した。

そこで、財政審建議の主な問題点を指摘し、改めて国大協の要望に関する理解を広く求めることとしたい。なお、医療をめぐる当該建議については、全国医学部長病院長会議などの見解に委ねることとしたい。

問題点1 「質」を高める投資の軽視

財政審は、信頼性をめぐって種々議論のある「世界大学ランキング」を主な根拠に、日本の大学に対する評価を貶めている。一方で、日本の高等教育に対する公財政支出が先進国中、最低水準であること(投資総額の対GDP比、学生一人当たり投資額、政府支出中のシェアいずれも該当)には触れていない。

以前、国大協として表明したとおり、乏しい投資水準に比して、日本の大学はむしろ健闘していると見るのが正当な評価である。少なくとも、費用対効果の面で、日本の大学運営が諸外国に比して非効率であるとする根拠は存在しない。

また、財政審は、国際比較の観点から、学生・教員数の比率に言及しているが、教員に対する支援人材の乏しさについて全く触れていない。私立大学との比較についても、国・私立大学がそれぞれ比重を置く課程・分野の違い等を考慮せずに教職員数の多寡を論じることは当を得ない。教育研究面の一層の成果を達成するためには、大学教育の「質」の指標として広く認知されている学生・教員数の比率を維持・改善しつつ、支援人材の質・量を確保することが必要である。

一律的な人件費削減を続けるばかりでは、国際競争から脱落することは免れない。大学教育の「質」の向上は、人的・物的投資の充実によってはじめて達成されるという基本原則を忘れてはならない。

問題点2 健全な競争、「適切なルール」の軽視

教育の「質」の向上のためには、健全な大学間競争とともに、それを成り立たせる適切なルールが必要である。しかし、財政審は、一部の大学の経営状態や学生の学力に着目し、「大学数や各大学の入学定員を最適規模に抑える」ことを俄かに提唱している。成熟した知識基盤社会において、果たして政府が、自律性を備えた教育機関の「量」の適正規模を決定する権能を持ちえるのか。

政府に求められるのは、公の責任によって振興を図るべき対象範囲、規模を示し、必要な投資を行うことであって、単に総量規制を復活することではない。グローバルな知識基盤社会・生涯学習社会に相応しい知的市民の層をいかに厚く形成していくかという基本理念に立って、制度を設計していくことが強く望まれる。

問題点3  競争的資金の偏重、安易な達成度評価の弊害の軽視

財政審は、基盤的経費である運営費交付金を削減し、競争的資金などで賄うことを求めている。しかし、競争的資金は、主として、特定分野での期限を限定したプロジェクト支援であり、基盤的な教育研究に資するものとは必ずしもならない。加えて、競争的資金の比重が増すにつれて、これを獲得するために必要な申請・評価対応のコストは著しく増大している。日本の大学における教育研究支援人材の不足も背景として、教員は教育研究活動に専心することが益々困難となってきている。

先進国の国公立大学については、いずれも基盤的経費が相応の比重を占めており、日本の国立大学のファンディング・システムは決して特別なものではない。政府には、基盤的経費と競争的資金からなるデュアル・サポートの均衡点を見出す努力こそが求められる。第二期中期目標・計画期間を前にする今、立ち止まって大学関係者の声に耳を傾けることを切に望みたい。

加えて、「客観的・定量的」な達成度評価を単純に是とする考え方は、高度・複雑な大学の教育研究活動の特質を踏まえないものと言わざるを得ない。「客観的・定量的」な指標は、教育研究活動の成果を一側面から描くものに過ぎず、安易に資源配分と結び付けようとするならば、その弊は大きい。

問題点4 教育の機会均等の軽視

財政審は、大学の機関数・学生数の量的規模が十分であるとする一方で、教育の機会均等をめぐる困難な状況については示していない。そして、個々の大学の「自己収入の確保」を求める中で「授業料設定の多様化」に触れ、その引き上げを示唆している。

現下の経済情勢にあって、格差の固定化などが懸念されている。経済的理由によって大学進学・修学を断念する層の存在に目を向けない財政審の発想は、「教育安心社会」をめざす我が国の在り方に逆行しているのではないか。

特に、1)日本の高等教育への支出における私費負担の割合(66%)は、OECD諸国平均(27%)を大きく上回っている、2)日本の国立大学の授業料は過去30年間で大きく上昇し(15倍)、実質的に世界最高水準になっている、3)家計の収入の高低により、大学進学率に大きな格差が存する(ある調査では、低収入層の進学率は高収入層の半分に止まる)、4)学生への経済的支援は極めて貧弱(例えば給付制奨学金の比重はOECD諸国中、最低水準)である、といった事実を踏まえた政策が求められる。

運営費交付金を拡充し、授業料・入学料標準額を減額するとともに、国公私立を通じ、給付型奨学金を創設するなど、経済的支援の飛躍的充実を図るべきであると考える。また、これらの施策が、少子化対策の一翼を担うものであることも強調しておきたい。

問題点5 地方との対話の軽視

財政審は、「国・地方公共団体の役割分担の観点」を掲げているが、実際には、「国立大学の再編・統合」の推進という結論まずありきであり、国側の財政事情に基づく一方的なメッセージとなっている。国立大学は、いずれも地域の枠を超えた教育研究活動を展開しており、多くの人々がその恩恵に浴している。リージョナルセンターとしての性質を強く有する国立大学についても、当該地域住民だけが受益者ではなく、ナショナルセンターとしての重要な機能を果たしている。もとより教育資源の有効な活用は重要であるが、当該国立大学を地方へ移管すれば済むというような単純な発想をとるとすれば、将来にわたって我が国の国力を衰微させる危険を招来することは必至である。

問題点6 大学システムの日本的特質の軽視

財政審は、国立大学の再編・統合を求めているが、そもそも日本の場合、大学教育における公的セクターの比重が極めて小さいという特質を持っている。国民の進学需要の高まりを、主として公立大学の拡充によって吸収したアメリカとは対照的に、日本は、私学セクターが中心となってこれを受け止めてきた。この間、公的投資は抑制され、国立大学の量的な比重は低下していった。さらに、平成13年には「大学(国立大学)の構造改革の方針」が示され、以来、約3割の国立大学が再編・統合を経験してきている。今日、アメリカの州立大学が600校を超えるのに対し、日本の国立大学は86校に過ぎない(平成13年当時の101校から大幅に削減)。

このような特質や沿革に照らすならば、眼前の人口減少のみを理由に、国の発展の原動力たるべき国立大学の数を過剰であると断じることは適切ではない。財政審が「我が国の成長力・国際競争力を高める」ことを真剣に考えるのであれば、既存の国立大学がそれぞれのミッションに応じて、一層機能を高めていくことができるような条件整備を推進することこそ肝要である。

以上では、主な問題点に絞って財政審建議に対する所見を述べたが、当該建議の公表を契機に、国立大学では多くの資金が余っているかのような報道(「国立大『埋蔵金』3000億円」)がなされている事態は看過できない。これは、各国立大学が、支出を懸命に節減する努力の一方で、大規模プロジェクトなどに計画的に使用するために積み立てた資金などであって、決して財務上の余裕があることを示したものではない(具体的な考え方は別紙)。こうした誤解が引き起こされることは極めて遺憾であり、国立大学の経営が厳しさを増しているという事実を重ねて強調しておきたい。

国立大学が直面している現状に対する正しい理解に基づき、「骨太2006」に定められた運営費交付金対前年度比1%削減の方針を次年度以降撤廃するとともに、国からの財政支援を出来る限り早期にOECD諸国並みに拡充することを切に要望するものである。「骨太2009」において、こうした方向性が明示されなかったことは遺憾であるが、国大協としては、国立大学の教育研究活動の振興策が適切に講じられるよう、引き続き各界の理解を訴えてまいりたい。

(別紙)国立大学法人等の積立金等について

1)国立大学法人等の平成19年度末における積立金等は、財務諸表上、3,001億円となっています。このうち、会計処理上の形式的・観念的利益である「積立金」が1,555億円と過半を占めています。 一方、所定の手続きを経て、一定の事業の用に供することとなる「目的積立金」は1,446億円です。

2)「積立金」の1,555億円は、国立大学法人会計基準に従って会計処理を行ったために生じる形式的・観念的利益です。実際に法人に現金等が残っているものではありません。

3)「目的積立金」の1,446億円は、各法人が年度を越えた大規模なプ ロジェクトなどに計画的に使用するため、人件費の節減などの自己努力により創出した利益で、財務大臣への協議、文部科学大臣による承認等の所定の手続きを経た資金です。

4)このように、積立金があること自体は、国立大学法人の資金に余裕があることを示していません。全体としては、運営費交付金の削減等により、 国立大学法人の経営は厳しさを増しています。