2012年9月1日土曜日

大学経営とそれを担う人材(最終回)

前回に続き、広島大学高等教育研究開発センター高等教育研究叢書(第39回(2011年度)研究員集会「これからの大学経営-誰がどのような役割を担うのか-」の記録)から、金子元久さん(当時:国立大学財務・経営センター、現在:筑波大学大学研究センター)による基調講演録を抜粋してご紹介します。


先ほど申し上げたように、日本の大学は、実は大学教員の教育研究以外の時間が非常に多いのです。これはやっぱりシェアード・ガバナンス(shared governance)と言いますか、ガバナンスに参加しているということが一つありますし、あるいは本来は事務職員に任すべきことを任してないというところがきている。入試の負担も大きい。他方で、教育成果の把握、フィードバックについても職員の果たすべき役割はある。いずれにしても、教育に関連して職員が積極的な役割を果たすのは重要な課題だと思います。

それに関して、では具体的にどうやって人材を形成していくべきなのかということになります。

一つは学長あるいは幹部経営職員についてです。私は、日本の学長ないし幹部職員となる前の準備期間が短くて、十分の用意ができていない場合が多いのではないかと思います。それぞれの分野では十分に経験を積まれているうえに、頭はいいと言いますか、賢いのですぐ吸収されるのですが、実は大学経営全体についてのバランスが取れた知識、あるいは一定の見識といった点ではどうなのか。大学がどこに行くのか、何が必要なのかということについて本当に判断するような準備ができているのかということについてはかなり疑問に思います。

結局、部局長の経験者が副学長になり、それから学長になっていく、その間で実は準備する期間があまり取れていないからです。

事務職員についての大きな問題は訓練と処遇が結びついてない、これが最大の問題だと思います。簡単な他機関の研修は別として、たとえば大学職員のための大学院コースなどで勉強しても実はそれが報われない。自分の負担で勉強しているという状態が続いている。職員自身の意欲のみに依拠して人材形成をする、あるいは全く報償を与えない、ということはもう限界にきているのではないかと思います。

そうした意味でも、学長などのリーダー養成についても、中堅職員の訓練についても、研修とか、大学院コースとか、大学団体とかやる研修の人材形成の機会はまだ十分ではない。その質的飛躍をもたらすには、既存の人材形成機能を強化し、支援してく中核のような組織を作ることもことが大きな課題となっていると思います。そうした意味での大学改革支援機関というようなものをつくることは、非常に重要な政策的なオプションではないかと思います。

最後に、高等教育研究の責任というものが私はあると思います。高等教育研究は、いま申し上げたような課題に十分に応えることができていたのか。先ほどアメリカの学長というのは、かなり教育改革で名を残している人が多いというふうに申し上げましたが、考えてみるとアメリカの大学で学長になるとスタンダードな教科書が結構あるのです。学長になったらこれを読んでおくとある程度のことは分かるというのが大体あって、それを読めば大体の一通りのことは言えるようにできているわけです。

しかし、日本の大学の学長先生がこれを2~3冊読むと大体日本の大学の基本的な問題を、歴史から始まり、理念、あるいはメカニズム、そういったことに関して一応の知識を得られるというようなものが提供されているかどうかというと、多分ないのだろうなと思います。高等教育研究の対象として大学のマネジメントを考えることも当然重要でありますけれども、大学経営を行う人の基礎となるような知識として、どういったものが必要なのか考え、それを一定の体系にまとめること。これもやはり高等教育研究の大きな責務ではないでしょうか。
ご謹聴ありがとうございました。(おわり)